07/偽善の恋

 叶が下村を部屋に置いていると聞いた時、桜内は奇妙さを感じた。冬のただ中、年末やクリスマスが間近のある日のことである。
 その感じは言葉という形にするには曖昧すぎ、輪郭を指でなぞればたちまち消えてしまう。水面に映る月を掬いあげようとする。そのような類の感じであった。
「なんだか酷いことを言われているような気がするんだが?」
「酷いわけあるか。じゃあなんだって下村を住まわせているんだ」
 好き好んでよく知らない奴の面倒をみるタイプでもないくせに。言ってやると、叶は苦笑した。
「……そういえば、ドクのマンションにも居着いていたんだったか」
「…………それは今、関係ない」
「あんたのほうがよほど、面倒見てやるのは珍しいと思うがね」
 顔には悪戯っぽいものがあり、明らかに楽しんでいると知れた。桜内は短い溜息を吐くと、眉間に眉を寄せた。
「面倒を見てたわけじゃない」
「じゃあ、何だったんだ?」
「居ただけだ。野良猫が気まぐれにやってくるみたいにな。――気に入ってなかったと言えば、嘘になるが」
「同じさ」
 コニャックのグラスに口を付け、呷る。叶の目が優しくなったような気がしたが、瞬きする間だけだった。
「特別なことは何もない。少なくとも、坂井が心配するようなことは、な」
「坂井?」
 何故そこに坂井が出て来るのか。意味ありげにニヤつく叶の顔を数秒見ると、桜内は得心したとばかりに頷き、同様に笑った。
「やっぱりか。そんな気はしたが」
「ああ、間違いない。下村のほうはわからんが、少なくとも坂井はな。――でないと、あいつが店を飛び出してまで助けに行こうとした理由の説明がつかん。藤木のことがあるにしてもだ」
「ああ――だろうな。あいつが下村を連れてきた時も、いつもとは違った」
「珍しいもんだ。俺の時とは違うな」
 小さく笑う叶の表情は、言葉とは違い、ひどく優しいものだった。
「よく知らなくても惹かれるものはある、ってことか」
「惹かれるというより……放っておけないのかもしれないな……」
「……わかるような気がする」
 あれは目を離したら野垂れ死にするタイプだと桜内が断じると、叶は声をあげて笑った。
「確かにな……」
「おまえや坂井はどうとでも生きていくだろうが、そのへんが下村が懐く要因かもしれない」
「生きていくことに関しちゃ、俺や坂井よりあんたのほうが長生きするだろうぜ。俺よりは坂井だろうな」
 荒事に直接関わるわけではない。命のやりとりをするような人種ではないから。そういう意味なのだろうとその時は思ったが、後になって思い返してみると、別の意味を含んでいたかもしれないと桜内は思った。
「だから、下村は本当は坂井に懐けばいいのさ」
「……なんでそうなる?」
「俺が長生きするように見えるか?」
「死神の機嫌次第じゃないのか?」
 疑問に疑問で返してやると、叶は手の中のグラスを弄びながら頷いた。
「そうさ。いつだって死神は傍にいる。帰りに事故死する可能性だってある。だが、どんな要因だろうと俺があの二人より長生きすることはないだろうさ。言っておくが、それが嫌だってわけじゃあない」
「死ぬ時は死ぬ、か」
「そういうことさ」
「で、それと下村に何の関係が?」
「…………俺は意地が悪い、あるいは捻くれてるってことさ」
「ますますわからん」
 顔をしかめて言うと、叶はあたかもわからなくていいと言わんばかりに微笑んだ。
 あの男のあんな表情は珍しかったので、桜内はいつまでもそれを覚えていた。
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