いつも追っている。
あと少しと思っても、その人は軽やかに掴もうとした手を擦り抜けて行ってしまう。
常に先へ行ってしまう人。
理想の人、とも言えるかもしれない。
「おまえは本当に藤木が好きだな」
「焼き餅ですか」
心にもないことを言えば、呆れた顔をされた。
「感心したんだ」
「感心されるようなことをした覚えはないですよ」
「何かしたから感心するってだけじゃないだろう」
坂井が違和感を覚えるのは、叶が自分の部屋にいるという状況に慣れないせいかもしれない。普段は叶の部屋に行くのだが、この日はどういう心境か、叶のほうから「おまえの部屋を見たい」と言い出したのだ。
その感想はといえば、
「何もないな」
だったのだから、坂井は顔をしかめた。
そもそも寝るためだけのねぐらなのだから、物などあるだけ邪魔だ。休日にしても、川中に呼び出されることも少なくない。家にいないのだから、物がないのは当然ではないか。
そんな何もない部屋を見るだけで何が面白いのかと思えば、やはり上がり込まれた。今はちゃぶ台を挟んで向かい合い、互いに胡座をかいている状態だ。不揃いの湯飲みには、温かなお茶が注がれている。
「おまえは一途だな」
湯飲みの中を覗き込みながら、叶がぽつりと言った。いつもの、揶揄するような口調ではなかった。だがそれがかえって坂井を苛立たせる。
他人事のように言うなと、喉まで出かかった。
「……叶さんだって、人のこと言えないじゃないですか」
「うん?」
「宇野さん。……一途だと思いますけど?」
「そうだな」
あっさりと肯定されると、肩透かしを食ったような気になる。喉を鳴らして茶を飲む叶の内心は、坂井にはわからない。
どうしてそんなに優しい表情をするのか。
それほど宇野が特別であるなら、どうして自分などに身を任せられるのか――だがそれはお互い様だということに気付くと、口に出すことはできずに胸の内にしまい込んだ。
言葉の代わりだとばかりに、叶の傍へいざる。
明日は休みで、特にすることはないし珍しく川中からの呼び出しもないから、だとか。夜中だし、だとか。家に来たのだから、だとか。
様々な言い訳が巡ったし、それらも立派な言い訳で、言えばまた呆れられそうだが、ちゃぶ台に置いた湯飲みのふちを人差し指で撫で、何やら考え込んだ素振りに欲情したのだと――たとえかすかにだったとしても――言うよりはマシだろう。
自分勝手に解釈すると、叶の肩を掴んで畳へ押し倒した。