29/ただいま

前回「記憶」の続きです。


 ああ、起きられる――思った時には、目を開いていた。
 上体を起こそうとしてできなかったのには瞬間的に焦ったが、理由が二つあるのに気付き安堵した。ひとつは右の肘裏にある点滴、もうひとつは、オレの胸の脇に突っ伏して眠る男の体。
 珍しい。
 いつもなら自室で休んでいるだろうに、どういう風の吹き回しだ?
 右腕の動く範囲で、男の額に触れてみる。何故か無性に久し振りだと思ったから、顔が見たかったのだ。
 左のこめかみにある傷跡に指が触れると、ぴくりと体を揺らして目を覚ました――かと思えば、勢いよく起き上がる。少し驚かされた。
「あんた、」
 ベックマンが言いかけたのを微笑一つで遮る。
「珍しいじゃねェか……」
 部屋で眠らなかったのかと掠れた声で訊いてやる。
 ベックマンは、ともすれば崩れてしまいそうになった顔をすぐに引き締めた。そしてオレの手を握る。彼の手は暖かく、オレの手は冷えていた。
「俺、どれくらい寝てた? なんか、オマエの顔見るの……すげえ久し振りなんだけど」
 撃たれて倒れたのは覚えている、と言うと、声の掠れに気付いたのだろう、水を渡された。遠慮なく全部飲み干す。そしてオレが息をついた頃合を見計らって、「三日だ」と答えを教えてくれた。
「三日!」
 信じられない数字だ。かつてそんな長い間寝ていたことがあっただろうか? 思わず天井を仰いでしまった。
 腹が減る理由もそれでわかったが、これは口に出さないでおいた。代わりに、ベックマンの顔を見つめる。
「……何だ?」
 腹でも減ったか、と返され、笑ってしまった。どうしてこう、わかるんだろう。でも、肝心の所はわかってない。
「それもあるけど。……ただいま」
「ああ……おかえり」
 ようやくベックマンも口許を綻ばせた。それが無性に嬉しい。
「皆、心配してたぞ」
「そうなのか?」
「ああ」
「死なねェから大丈夫だ」
「どっから来るんだ、その自信は」
「だって、死ななかっただろ」
 さも当然とばかりに言うと、ベックマンは眉間に皺を寄せた。「結果はな」と苦く返してくれる。結果が良ければいいじゃねェか。何をそう、変な顔をする必要があるっていうんだ。
 点滴パックの残りがいいことに、チューブを咥えると針を引き抜いた。驚くベックマンのシャツを掴んで引き寄せ、間近に顔を見つめる。破顔一笑。
「タダイマ」
 再び言って口付けると、
「オカエリ」
 囁きと吐息のような口付けを返された。
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