シャンクスが新しく副船長になった男の室を訪れたのは、夕食の後だった。
各自の自由時間を過ごす中、ベックマンは分厚い書籍をベッドで読んでいた。シャンクスが入ってくると目線だけ上げる。
「どうした?」
室内だというのに麦わらをかぶったままの船長は、ひどく深刻な表情でベックマンに手を差しのべた。
「手」
「……?」
「さっきからチクチクする。見てくれよ」
医者じゃねぇぞという反論は、恐らく聞き入れられまい。本に栞を挟み、差し出された手を取った。
剣胝ができた掌は硬かったが、ベックマン自身の手に比べれば幾分小さい。この手であの剣を操るのだと、半ば感慨深く見下ろした。
「痛いのはどのあたりだ?」
「人差指の、先の方」
言われた通りに指先をじっと診てやる。手頚を掴んで角度を変えてよくよく注視すれば、指の腹あたりに小さく細い物が刺さっているようだった。
ベッドから下りて机の引き出しを漁る。確かあったはず――と見当をつけて見つけ出したのは、小さなピンセットだった。
マッチを擦り、先を焙る。消毒代わりだ。
そうしてベッドに腰掛けたシャンクスの左手を取り、慎重に棘を挟み、
「い……ッ」
シャンクスが顔を顰めるのも構わず抜いた。引っ込められようとした指はしっかり掴んでいた。
短いかと思った棘は案外深く刺さっていたようで、五ミリほどの長さが取れた。
「……取れたぞ」
「んん。サンキュ」
痛かった、と笑って言いながら血の浮いた指を咥えた。
その時微かに目を眇めたのに気付かれただろうか?
平静を装い、ピンセットを握る。
「あんた夕食前に見張り台へ上がっただろう」
手摺りが痛んでささくれていたから多分そのせいだ。
告げてピンセットを仕舞い、振り返ると――シャンクスはベッドに潜りこんでいた。
「何してるんだ」
ご丁寧に、麦わら帽子はサイドテーブルに引っ繰り返って揺れていた。
溜息で麦わらの赤いリボンを揺らすと、シャンクスはシーツを開いて場所を空けてみせた。
「棘抜いてくれたお礼に、添い寝でもしてやろうかなって思って」
「……要らん」
「じゃあさ、」
いきなり身を起こしたシャンクスに腕を取られ、バランスを崩す。彼の上に倒れこみかけたのは堪えた。
間近で彼の深海色の双眸に覗きこまれ、息を詰めた。
瞳は悪戯な子供のようであり――光源の加減かもしれないが、陽光の下で見るより濃い色をしている。
口の端を吊り上げ、笑う。
「お礼の口付けでも?」
動揺に、咄嗟の返事も出来なかった。そしてシャンクスの言葉に動揺した自分に気付いた時、更に動揺した。
いつもの悪い冗談だ。わかっていながら狼狽するとは。
馬鹿を言うなと嗜めようとして、気を変えた。どうせ冗談ならば悪乗りしてやろう。
「そうしてもらおうか」
人の悪い笑みを選んで口の端に掃いてやると、掴まれた腕を掴み、引き寄せてやった。
驚くのを尻目に、歯をぶつけながら口付ける。
唇だけを触れ合わせていた時間は、時間にすれば数秒だ。だがベックマンには恐ろしく長い時間に思えた。このまま時間が止まればいいのに、とも。
掴んでいた腕を放すと、余裕の笑みを浮かべてやった。
「……礼は貰ったから、大人しく戻れ」
「こ、の……!」
首まで真っ赤に染めるが、言い訳は彼に分が悪い。
「ホラ」
「〜〜〜〜ッ!」
クソッ、と棄き捨てるように言うと、何かを思い返したのか、ベッドから下り様ベックマンの腕を掴み――一瞬だけ唇を触れさせた。
呆気に取られているとバタバタと部屋から逃げるように出て行かれた。
「……参った……」
くつくつと笑い、顔を手で覆う。
最後に見えた顔は、顔と同じく紅色だった。