物は、価値がわかる人間が持ってこそ。
価値をわからぬ人間の手元に置いたとしても、それは単なる物にしか過ぎない。
誰もが賞賛する美術品ですら、置物や古ぼけたガラクタに過ぎなくしてしまうのは、価値を知らぬ人間だ。
とはいえ、どのようなガラクタでも、本人にとっては宝物、という場合も、あるにはあるのだが。
海が穏やかな午後、うららかな日差しを左肩に浴びつつ、ベックマンは自室に篭っていた。
机の上に細々と並べられた螺子や金属片、大きさの違う歯車がいくつか。小さな螺子回しに先の細いラジオペンチなどが、彼の性格を物語るように整然と並べられている。
彼の手の中にあるのは、銀盤の懐中時計だった。
ひどく集中しているらしく、眉間に微かな皺が寄っていた。船が波を割る音すらも聞こえず、甲板の喧騒からはいっそう遠かった。
角度を何度も変えては何かを確認し、彼の爪より小さな歯車を嵌め込んでいく。
ガラス盤を嵌め、蓋を閉じてやると竜頭を押してまた開けた。かち、かち、と一定の正確な音が響くのを確認し「よし」と小さく呟き、満足げに椅子の背に凭れた。
「やっと終わったのか?」
声に驚き、振り返る。ベッドの上で鷹揚に笑っていたのは、シャンクスだった。ベックマンへ手を振る。どうやら、寝そべったまま本を読んでいたらしい。
否、それはいい。
問題は、何故シャンクスがこの場に居るのか、だ。
「……いつの間に入ったんだ」
「んー? お前が時計いじってる間。ノックもしたぞ、一応」
返事がないから倒れてるのかと思った、と笑われる。ベックマンは苦笑し、煙草を咥えた。シャンクスがノックしたと言うのなら(そしてその言葉を信じるなら)、気付かなかったのは自分の不覚だ。
「オレに気付かないくらいだから、相当集中してたんだろうな。後ろから覗き込んでも気付かなかったもんな」
追い討ちされ、火を点ける手がぶれた。
わざとらしくならないよう咳払いし、「それで、」微妙に逸らされてしまった話題へ話を戻す。
「なんでここに居るんだ?」
何か用事があって来たのではないのか。問うと、シャンクスは呆れた表情をした。
「飯の時間だから、呼びに来たんだけど?」
他の連中が呼びに来たけど、お前応答しないから心配されてたんだよ。
集中しすぎだと笑われる。非常に不本意だったが、言い返せない。
ベッドから降りたシャンクスが、作業を終えた時計を覗き込む。そして蓋に施された微細な彫り物を指でなぞりながら、吐息で笑った。
「懐かしい時計だな」
「……ああ」
「まだ動くんだ、それ?」
「少しも狂わない」
だから持っているんだと呟き、腕を引いて赤い頭を寄せた。こめかみに口付ける。
「それだけ?」
「それだけだ」
昔はそれなりに意味があった時計だが、今となっては単なる懐中時計にしか過ぎない。たとえ一般にどんな価値があろうとも、ベックマンにとってのそれは「ちょっと洒落た懐中時計」にすぎなかった。
ただし、誰がどんな大金を積んでも譲らない程度の価値は、彼の中にあった。
そういうもん? とシャンクスが訊くのにそういうもんだと柔らかく微笑む。この時計にまつわる過去がどうあれ、時計は時計。時間を刻めればそれで良い。
膝に乗り上げたシャンクスの腰に腕を回し、支えてやる。
彼が前ばかりを見ているから、いつしか後ろを気にしなくなった。後ろはただ、記憶の隅に留めておくだけで良い。
一度軽く口付けると、シャンクスは笑って飯食って来いよ、と鼻頭に口付けを返してくれたのだった。