097/鍵

 坂井の感性は下村とは違う。違うのが面白いと下村は思うのだが、坂井はどうやらそうではないらしい。
「おまえが何考えてるのかさっぱりわかんねぇ」
 悪態をつきながらも笑っているのは嫌ではないからだと思う。
「坂井だってわかんねぇよ」
「……おまえに言われるとショックなのは、なんでだろうな」
 眉を顰めた坂井に苦笑を返すと、下村は肩を竦めた。その顔を見て、坂井が笑う。
 出会った頃に比べれば、坂井はよく笑うようになった。
 いいことなのだろうと思う。笑わない、というより感情が動かないのは体に悪い。それに元々から暗い男ではなかったはずで、それはかなり最初からわかっていた。
 年が明けて春になって下村がブラディ・ドールのフロアマネージャーとして働くようになって。我ながら恥ずかしい状況を経て告白しあい、お付き合いというものが始まって、数ヵ月。割合順調だとは思う。休日には何もなければほとんど一緒にいて、何もしなければ何かする時もある。
 下村としては自分がどうこうというよりも、坂井がいいようにしてほしい。言うと坂井は怒るから、心の中でだけ思っているのだけれど。
 坂井をおいて逝った殺し屋のことは、なんとなく知っている。はっきり聞いたわけではないから想像の部分もあるが、おおむね間違ってはいないはずだ。
 少しでも力になりたいと思う。支えは、本当には必要ない。坂井は下村よりずっと強い男だから、ただ傍にいるだけで充分なのだろう。力になりたいというのは半分くらいは本音で、あとの半分は手前勝手な自己満足を満たすため。
 坂井には笑っていて欲しいと真剣に思い、そうするためには何でもする自分がいることをわかっている程度には、坂井を好きだからだ。
 ただ、下村は自分が坂井より長くは生きないと思う。――思いたいのかもしれない。坂井がいなくなるのは、考えたくないことだから。
「なに変な顔してんだよ?」
 ひょいと顔を覗き込む。びっくりしてやや上半身を反らすと、下村は表情を和らげた。
「別に?」
「傷付いたか?」
 先ほど言った言葉を指しているのか。すぐにわかった。
「――いいや?」
 坂井が自分を傷付けることはない。本当には。
 下村は微笑むと、坂井を抱きしめた。
 ずっと居たいと、祈りの強さで思うけれど、それはきっと叶わないだろうから。
 だからせめて、二人の生死が分かたれるまでの間で構わない。
 同じ扉をくぐって、同じ部屋で過ごそう。その手に握りしめた鍵を使って。
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