094/全部

 時折下村が部屋に来るのを咎めたことはない。大概が夜だが、稀に午前や昼間に来ることもある。
 そもそも最初にこの部屋に下村が来たのは私が連れてきたからだし、その時に気が向いた時にはいつでも来て良いというようなことを言ったのは私のほうなので、おいそれと叱るわけにもいかない。――言い訳かもしれないが。
 訪問者としての下村は、一風変わっていた。
 部屋に来てもソファに座ったことはないと思う。床に敷いたラグの上に座り、ソファの足を背もたれにする。そこはちょうど私の指定席の側で、たまには私の脚にももたれてくるが、それも咎めたことはない。
 よく喋る自覚がある私にしてみれば珍しいことではあるが、下村といる時には言葉を費やすことは多くない。下村が大半眠っているせいもあるし、旧年の友というわけでもないので話題が自然と限られたせいもあるかもしれない。どうやら無言の空間が互いに耐えられるものだと気付いてからは、会話を放棄してしまったようなところもある。
 そんな状態で一緒にいられるということは、ある意味気が合うといえるのか。
 本人がわかっているのかいないのか――多分、薄々自覚はしているだろう――下村はおそらく、私に惹かれている。自惚れではない。彼の向ける視線やちょっとした表情の端々に、それを感じるのだ。懐かれているのかもしれない。
 最初はシティホテルに泊まっていたという下村は、今ではねぐらを桜内のマンションに移している。その事実から見れば、私より桜内とのほうが気が合うのだろうと思うのだが、ふらふらと気まぐれにやってくる。
 東京から女を追い掛けて来たと言っていたこの坊やは、実に危うい空気を身にまとっている。私にしてみればその危うさが気になっていて、だから下村を構うのかもしれなかった。見ていて切なくなる。
「叶さんとこは、結構好きですよ俺は。落ち着く」
「そりゃ何よりだ。それより、おまえは女はいいのか?」
「え?」
「そのためにわざわざ東京から来たんだろうが。いつまたおまえが無茶をやらかすのか、楽しみではあるんだが?」
「嫌がらせみたいですよ、それ」
 下村が小さく笑う。
 まったく、なんて顔をしてくれるんだ。だから放っておけないんだと心の中で言い訳すると、下村に軽く両手を広げてやった。
 男を甘やかして何が楽しいのか――冷静な声が遠くから聞こえた気がした。が、気にしないことにする。馬鹿なことをしている自覚はある。それで充分だ。
「――おいで」
 下村は一瞬きょとんとした表情をして、次にはわずかな苦笑とかすかな別の感情を見せて、誘われるように腕の中へ収まった。
 野良猫を放っておけないような気持ちはこんなものだろうか。私がいつまで構えるのかわからないが、構える間は存分に構ってやろう。大人しく収まっている下村の頭を撫でてやりながら、私は自分に苦笑した。
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