眠っている僕の耳に、低い声が旋律を伴って聞こえてきた。いや、完全に眠っていたら聞こえるわけがないので、きっと何かの拍子に目が覚めてしまったのだろう。
今、僕は京都の西陣の江神さんの下宿にいた。授業の終わりがたまたま重なって、土砂降りの雨の中をひとつ傘でふたりしてここまで帰ってきた。傘をさしても雨が激しいのには変わらず、結局傘の意味はあまりなかったような気がする。ずぶ濡れのままいると風邪を引くとの真っ当な江神さんの意見により、僕らは交代で下宿の風呂を使わせてもらって体を暖めた。部屋に揃ってからはミステリ談議に終始し、気が付いたら大阪に帰るべき僕は終電を逃していた。
そんなわけで僕はまた江神さんにお世話になったというわけだ。
眠ったのは多分、午前を回った頃合いだった。今は――まだ、夜は明けてないと思う。
江神さんは窓枠にもたれながら煙草をふかしている。その唇がかすかに動いているのはやはり、何かを口ずさんでいるように見える。薄暗がりなので、たしかではないのだけれど。耳に聞こえる旋律までが幻だとは思えなかった。
抑揚の乏しい旋律は、流行りの歌ではないと思う。童謡の類ではないか。そう感じたのは江神さんの表情のせいか。
低く柔らかい声は何を紡いでいるのか――知ろうとしたのに、強い眠気に襲われてしまって叶わなかった。
起きたら直接、江神さんに聞いてみよう。答えてくれるかどうかはわからないけれど。