獣の声を聞いたような気がして空を仰いだ。青い空に、ぽつんと黒い影が張り付いているのを見付ける。それは大きな弧を描いているように見えた。猛禽類が獲物を狙っているのだろうか。
羽をあまり動かさず空を切る様には感嘆させられる。彼には地上がどのように見えているのだろう。人間とオークとの戦いすら無関心に空を征くのか。
「何を見ている?」
振り返ると野伏の姿があった。――本当は主君であるはずの男だ。
ボロミアは答える代わりにまた空を見上げた。野伏、アラゴルンもつられるように見上げる。「ああ……、」
「あれは鷲だな」
「わかるのか」
驚き、鳥とアラゴルンを交互に見つめる。アラゴルンは鳥に目をやったままで答えてくれた。
「ああ、これくらいの距離ならな。間違いない、鷲だ。近くに巣があるんだろう」
「野伏は目もいいのか」
「エルフには負ける」
笑いを含んだ目が、ようやくボロミアを見た。しかしボロミアは視線を受け止められず、わずかに目を逸らす。
当たり前のことを聞いたと思う。野伏の目や耳が良いのは当然だ。彼らは野山を行き、様々なものを見聞きする。時にはオークなどと戦う時もあろう。感覚が優れていなければ、自然の中のあらゆる兆候を広い出すのは難しいではないか。
ボロミアは会議の時ほどアラゴルンのことを嫌ってはいなかった。ただ、何故かは知らないがまともに顔を見るのは気恥ずかしかったのだ。
照れ隠しのように、また空を見上げた。
「空からは、地上からは見えないものが見えるだろうか」
「鳥になりたいのか?」
「いいや。鳥になったら戦えないだろう?」
今の自分の立場を放棄するつもりは毛頭ない。指輪を葬ることが第一の使命だし、ナズグルやオークから民や都を守らねばならない。それらは誇らしい職務であり、義務でもある。
「どう見えるのかと気になっただけだ」
「そうだな……案外、ここから見えるものを見落としてしまってるのかもしれない」
「どういう意味だ?」
「多くのものを見ていると、そのうち何を見ていたのかわからなくなるんじゃないかと思ったのさ」
「……難しいことを考えるんだな」
再びアラゴルンを見た。なるべく目を見ないようにと思ったが、遅かった。柔らかな苦笑に目を奪われる。落ちゆく陽の光に照らされ、より切ない表情に見えた。胸を打った。
動揺は悟られてしまっただろうか。ボロミアはひっそり吐息する。弟より感情が表に出やすい自覚はあった。
「野伏というのはいつもそんな小難しいことを考えているのか?」
「そういうあんたは?」
「俺は……」
言葉に詰まった。そう難しいことを考えていたわけではない。
「……空からオークの群が見えたら、戦うにせよ道を変えるにせよ、対処しやすいなと思っただけだ」
無愛想で早口になった言葉に、アラゴルンはぽかんとした表情になった、と思ったら続けて腰を折って笑い出した。これにはボロミアのほうが呆然とさせられ、次いで羞恥によって顔が朱く染まる。
「アラゴルンッ」
そこまで笑うことはないだろうと抗議すると、彼は笑いをゆっくり収めながら「済まない」と謝罪の言葉をくれた。誠意は疑わしい。
「済まない、ボロミア。気を悪くさせてしまったなら謝る。ただ、あんたの考えが気に入っただけなんだ」
「俺の?」
「あんたみたいな考え方もあるもんなんだな。……武将なら当然かもしれないが」
柔らかく微笑むアラゴルンに、動悸が激しくなる。落ち着かなければと思うほど空回る。
夕暮れでよかった。顔が朱くなろうと夕日のせいだと言い訳できる。
溜息をつくと顔を逸らして空を見上げた。鷹はもうどこにも見えなかった。