081/誕生日

 昔から行事や記念日などに興味関心があるほうではなかった。誕生日などと言われても、格別思い入れや感慨などがあるわけではない。無論、その時々に付き合った女性についてはその限りではないが。
 誕生日など年が増えるだけではないか。そう思うだけだ。
 そんな自分だから、他人の誕生日などにも疎い。覚えてはいても、だからどうとは思わないし何かしようとも思わない。馬鹿騒ぎをしている連中をみると、よほど彼らの頭の中のほうがおめでたいように思えてしまうのは、何も私がひねくれているせいではあるまい。
 親友なら、祝ってやろうかとも思う。臭い台詞で言うなら、「産まれて良かった、おまえと出会えて良かった」だ。
 しかしそれを親友の子供にまで範囲を広げられるかといえば――別問題である。『親友』と『親友の子供』は完全に別個の人格だ。近似はあるだろうが、相似ではない。
 それを諭そうにも子煩悩で親馬鹿相手では、素手で熊と対峙し勝利するより難しいと私は思う。
「おい、聞いてるかぁ?」
 常以上の上機嫌で肩を叩いてくるのは、先日仕事で中央から東部までやってきたマース・ヒューズ中佐。私の知己だ。
「耳元で煩くわめくな、聞こえている」
「じゃあ、おまえもちったあ目出てぇって顔しろよ〜」
「……私には関係ないだろう」
「親友の一人娘だぞぉ? もーちょっと嬉しそうな面しろって」
 できるものかと内心でだけ毒づいて、表面にはうんざりした表情を出してやった。
「それより一人で歩け。――重い」
 つれなぁい、などと喚く男は一向に自力で歩こうとはしない。人の気も知らないで、まったくいい気なものだ。こちらは会った時から心拍数が常より上がっているというのに、娘の二歳の誕生日がそんなにめでたいなら出張の日をずらしてもらえば良かったのだ。犯罪者の引き渡しなど、一日遅れたとしても支障はなかろうに。
 娘の誕生日については口をつぐんだものの、引渡しの件を言ってやると、ヒューズは酔った目を真っ直ぐ私に向けた。そうすると自然、顔の距離が近すぎてまた心拍数が上昇する。――酒を飲んでいて良かった。顔が赤い理由を問われず、不審に思われることもない。
 酔っ払いは私の顔をじっと見つめて言った。一瞬「本当は酔っていないのではないか」と疑心に駆られるほど、真摯な顔で。
「だって、久しぶりだろう」
 二十歳をとうに過ぎた男が、「だって」だと?「だって」? 言い訳をするにしても、もっと巧くするものだ。なんだその幼児のような言い訳は。私を馬鹿にしているのか――。
 そんな罵倒は、その時には発されなかった。ただ私は間抜けのように親愛なる友の顔を見つめ返し――やはり呆けていたのだろう。おまけに息もつめていたのかもしれない。あの男の熟柿臭い息をまともに受けていたからではない。そんなことはどうだって良かった。ただ――
 ただヒューズの言葉に打ちのめされ、内心では歓喜に満たされていたのだ。
 愚かだ。
 あまりに愚かしい。
 この男にしてみれば、他意も何も含んではいないだろう、ただの友への言葉に、走り出して周りに叫び散らしてしまいたいほどの喜びを与えられたなど。
 本人にはまったくそのつもりがないのはわかっている。だから私は舞い上がったのと同じだけ、後でうちひしがれるのだ。
 わかっていても、心は翼を得たように羽ばたく。
 鼓動を静める努力をし、汗ばんだ手の平をきつく握りしめる。どうにか平静を装った声を出した。悟られてはならない。
「……だったら、明日の朝食はおまえが奢れ。レミ・カーラのモーニングだぞ」
「軍の大佐がセコいこと言うなよ」
「朝食の三倍ほどの夕食を奢ってやったぞ」
 セコい、とヒューズは笑った。その馬鹿面に、ああばれなくて良かったと安堵しながら、どうして気付かないのかと鈍感を詰りもする。
 私の想いは矛盾ばかりだ。
 それでも誰にも気付かれるわけにはいかないのだ。この想いは。――この男にすら。一生をかけて隠すつもりだ。不毛だと笑いたい奴は笑えばいい。後でこの世に産まれてきたことを後悔させてやる。
 
 
 
 そうして私の願い通り、あの男は生涯私の想いを知らぬまま逝った。
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