068/扉

 目の前に、大きな屋敷がある。いや、正確に言うと屋敷を取り囲んでいると思われる壁がある。
 壁はどこまでもだらだらと続いており、切れ目はない。僕はその壁の前で途方に暮れていた。
 そもそも、何故こんなところにいるのか。考えかけて思い出す。
 江神さんだ。
 大学の同好会、EMCの会長である江神二郎さん。彼を訪ねて、僕はこの壁の前に立っているのだ。
 壁の中の様子は、外からは窺い知ることはできない。塀が高すぎて、中に本当に屋敷があるのかすらも定かではない。手を伸ばしても塀の天辺には届かない。飛び上がっても無理そうだ。それでもこの中に江神さんがいることはわかっている。何故と問われても困るが、知っているのだ。  どうすれば中へは入れるのか。
 方法はわからなかった。
 
 
 
「なんや、今日はぼんやりしとるなあアリス」
 かけられた声に傍を省みた。江神さんが僕の顔を覗き込んでいる。距離の近さに内心の動揺を抑えつつ、僕は「そんなことないですよ」と返した。
「今日はちょっと寝不足なだけです」
「レポートに追い詰まっとったんか?」
 涼しい目元を優しく笑ませる。ああやっぱり男前やなあと思いながら、僕はええまあと言葉を濁した。実際レポートの提出はあったものの、資料を前もって揃えておいたのと、授業中に取っておいたノートのおかげで睡眠時間を大幅に削減することはなかった。
 僕が呆けていたなら、それは夢の謎解きに熱中していたために他ならない。江神さんには言わないけれど。
 江神さんはふぅんと言いながらラウンジの自販機で買ったコーヒーを啜った。しかし続いての言葉に、彼同様コーヒーを飲んでいた僕はそれを吹き出しかけてしまった。
「で、謎は解けたん?」
「ッ! え、江神さん……!」
 ごほごほと噎せる僕に苦笑しながら「大丈夫か?」と背をさすってくれる。息を整えながら、訊かずにはおれなかった。「なんで、」
「わかったんですか?」
「ん? ということは、ほんまに謎解きしてたんか」
 カマやカマ、と江神さんは笑う。心なしか人が悪そうに見えるのは、ぜひとも気のせいであって欲しい。
「アリスをいっつも見よったらわかるで」
 恥ずかしげもなくそんなことを言うと、タネを披露してくれた。小説のネタを練っているか読みかけた本の謎解きに夢中になっているか。どちらかだと思ったのだという。当たってはいないが、遠からずという所だ。
 僕は首を竦めて口をすぼめた。
「なんや、江神さんの前ではおちおち気ぃ抜くこともできんみたいですね、僕」
「何言うてるんや。アリスのことやからわかったんやで?」
「……江神さん……」
 深読みしそうな言葉をさらりと言ってくれるのが憎い。今この場に望月や織田がいなくて本当に良かったと思う。いたら絶対からかわれるかどうかして、僕をいたたまれない気分にさせてくれるに違いなかった。
 けれども僕には、そういった江神さんの言葉すら、真実のものかどうか判じかねるのだ。
 謎だらけの人。
 だからこそ惹かれるのかもしれないが。
 そんな風に気持ちの端々を見せてくれていても、僕が本当に見たいと、知りたいと思っている所はきっと見せてくれないのだろう。八つ当たりだとわかっていて、江神さんを恨みがましく見上げた。
 
 ――高くて長い壁。
 どこから入れたものか?
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