意識が覚醒したのはわかったが、目は閉じたまま息を深く吸い込んだ。すっかり鼻に馴染んだ細巻きの葉巻の香りに気付く。
叶の部屋には、広さに見合った大きなソファが置いてある。脚の低さの割にクッションのきいたソファへ寝転がるのが、目下、下村の好きな時間だ。
寝転がるだけでは済まず、寝入ってしまうこともしばしばだが、叶に咎められたことは一度もない。寝入ったことを知っていながら放っておいてくれるのだ。最初こそ下村は「起こしてくれれば良いのに」と思ったものだが、今では気を遣うことも無用であり――かといって心を開ききったわけではないが、その距離感が心地良い。
不思議な男だと、一人掛けのソファに座った叶の気配を感じながら思った。
「飯はどうする? 食っていくか?」
外食が面倒なら出前を取るが。
そう言って寄越した叶は、おそらく下村のほうを見てはいない。薄ら瞼を開くと、彼の視線はやはり手元の洋書へ落ちている。
「……気配だけでわかるもんなんですか?」
「目が覚める前は、無意識だろうがもぞもぞ動いているからだ」
言葉を省いた抽象的な質問の意図を、叶は正しく汲み取ってくれた上で答えてくれた。
「……そんなもんなんですか?」
「勿論、気配だけでもわかるさ」
「やっぱり。絶対そうだと思いましたよ。……なんでそこで笑うんですか」
「いや。気配だけでわかるってだけで納得されるほうが珍しいからな」
「そうなんですか?」
下村は小さく首を傾げた。叶はいっそう喉の奥で笑う。
「俺が殺し屋だと知っていれば、おまえと同じ反応だったかもしれないな」
そもそも、自分の目の前で眠る人間など滅多にいないが。
叶の発言に、そういえばそうかと納得する。考えてみれば、下村も人前で居眠りをするたちではない。
「叶さんだからかな」
わざわざこの部屋へ来ようと思うのも。ソファで眠ってしまうのも。叶という人柄に引力、あるいは甘く中毒になる毒を盛られたように引き寄せられ、溶かされてしまう。それは叶だからか。
呟きに叶は苦笑し「坂井が聞いたら俺が殺されそうだ」とのたまう。下村は発言の意図が掴めず、首を傾げるばかりだった。