サンジが悪夢を見て危うく跳び起きかけたのはバラティエにいた頃以来で、数ヶ月ぶりのことになる。
バラティエにいた頃は一ヶ月ごとに見ていたような気がするが、ゴーイングメリー号のコックになってからはとんとご無沙汰で、もしかするともう見ないのかもしれないと思っていたのに、甘かったらしい。
原因には心当たりがあった。
再び寝ようとしたがどうにも寝付けず、諦めて気分転換を図ることにした。男部屋で寝ている人間が神経の細かくないことは充分承知していたので、気にせず梯子を登って甲板に上がった。
明るい月が、甲板を照らしている。月から口許を隠すようにして煙草に火を点けると、天に向かって吐き出した。
甲板から見上げただけでは、見張り台にいる男が起きているのかどうか、わからない。仮に寝ていたとしても、こんな明るい夜に奇襲をかける馬鹿はいないだろう、とは思うのだが。
気になったが、後ろ髪を断ち切るように視線を甲板に戻し、キッチンへ入った。コックの城、聖域、仕事場であるキッチンは、仲間たちが寝静まればサンジが一人になれる空間だった。
明かりを点けずに椅子に座る。硬い木の実の殻をくり抜いただけの灰皿を手元に引き寄せ、細く紫煙を吐く。頭の中を空にして、立ち上る紫煙が溶けるのを眺めた。
「明かりくらい点けろよクソコック」
可愛いげのない声とドアの開閉は同時だった。
「……明かりが漏れないように気遣ってんだよ、クソマリモ」
可愛いげがないのはお互い様かと口の端を歪める。
「酒は?」
「次から次へ飲むんじゃねェよ。買い置きにも限界ってもんがあるんだぞ」
だから一瓶を二人で分けるぞとサンジが言うと、珍しくゾロは反論もせず、首を竦めただけで了承した。冷蔵庫から酒と、流しからグラスをひとつ。グラスにラムを注ぐと、瓶に口を付けて飲む。
サンジは極力ゾロと目を合わせないようにしながらグラスに口を付けた。
沈黙を、サンジは気にした。二人でいるのにいつまでも黙り続けているのはおかしいと思う。いくら口を開けば喧嘩にしかならない二人とはいえ、今までもこんな時は馬鹿な話をしてきたはずだ。
しかし自分から無言を破る勇気は持ち合わせておらず、従って沈黙を継続させた。本当は訊きたいことがあるのに、言葉にはできないでいた。ひどい臆病者だと内心で己を謗っても、まったくその通りなので反論もできない。
サンジはこそりとゾロの横顔を窺った。凛々しく一本気で強情な彼の横顔を、サンジはひそかに気に入っている。横顔だけではない。汗の流れるこめかみも、剣を操る腕も、自分より大きく逞しい掌も、傷のない背も傷のある胸も、すぐ迷子になる帰巣能力に乏しい方向感覚も、真剣な眼差しも笑った顔も憎らしい顔も、何もかもを気に入っている。
だが彼は、時にそんな彼を愛おしいと思っている自分や、大切な仲間たちをかなぐり捨てて、平気で死と間近に接してしまう。
つい先日も、己で己の脚を切った。仲間を助けるためだったからと本人は言うが、足首から先がなくて――おまけに血を流しながら、満足に敵と戦えるものか。自身の体を支えることすら難しいと、斬るより先にわかりそうなものを。
何故、この男は平然としていられるのだろう。何故、自分は平然としていられないのだろう。
苛立たしく思いながら、酒を呷った。
「おい」
「……あ?」
顔を上げると、眉を顰めたゾロと目が合う。表情に出さないように動揺した。
「辛気臭ェ面してんじゃねェよ」
酒がまずくなると言いながら、ラムの瓶を呷った。嚥下の動きを見せる咽喉から目を逸らせず、不審に思われるだろうかと怯えた。
「……なんで、斬った」
今度はゾロがサンジの発言を理解しかねる表情で、首を傾げた。
「脚。なんで斬った」
「……俺が動けりゃなんとかなるだろうと思った。それと、蝋燭野郎にあのまんまやられてやるのは癪だった」
「馬鹿か、おまえ」
「ああ?」
不穏な空気を撒きながら、ゾロはサンジの横顔を睨む。しかし顔は髪に隠れ、どんな表情をしているのかわからない。
「馬鹿だ、おまえは」
やられるほうの身にもなれ。
サンジの罵倒を、ゾロは左の眉を跳ね上げて聞いた。反論しようとしてできなかったのは、罵倒しているはずの男のほうが深く傷付いているような顔をしているからだ。
紫煙に気を取られたふりをして、開きかけた口を閉ざし、残りのラムを飲み干した。
沈黙はまるで、無言の抗議のようだった。