049/思い出せない

 目が覚めて起き上がろうとして――割れるような頭痛と、理解不能な腰痛に、坂井はうめき声をあげて起床を断念した。
 頭の内側から忌ま忌ましいほど響く頭痛は、おそらく二日酔いのせいだ。そういえば夕べはペースを崩しまくり、いつもよりかなり早いペースで酒瓶を空にしていった覚えが、うっすらある。そう、確か仕事が引けた後、叶に誘われて彼の部屋で呑んだのだ。愚痴のようなこともたくさん零した。叶は珍しく優しい目をして、黙って話を聞いてくれていたような気がする。
 ――それから、どうしたんだっけ?
 目に見える範囲の物を確認する。自分の部屋ではない。寒々しさを覚えるほど家具や生活臭の薄いここは、間違いなく自室ではない。そもそも坂井の部屋にベッドルームなど作る余裕はない。とすれば答えはひとつ。
 叶の部屋だ。
 何度か遊びに来たことはあるが、さすがに寝室にまで立ち入ったことはない。が、シーツやカーテンの色はリビングのものと統一されたトーン。まず間違いないだろう。
 ということは、昨夜は帰らなかったということになる。おまけに、叶のベッドまで占領してしまったようだ。到底自分でここまで歩いてこれたとは思えないから、叶が手を貸してくれたのかもしれない。また要らぬ世話をかけてしまったようだ。
 ここがどこなのかはわかった。頭痛の理由もわかっている。では、この腰痛はなんだろう。覚えがあるような、ないような鈍痛だ。
 まさか、叶と何かあったのだろうか。あまり考えたくはない。
 原因を探りかけた時、部屋のドアが開いた。
「お、起きたか。今起こそうと思ってたところだ」
 叶は二日酔いになっていないのか、軽い調子で言うとベッドの脇までやってくる。髪が濡れているのは、シャワーを浴びたのだろうか。
「叶さん……」
 発した自分の声がひどく掠れていることに驚いた。叶の指が、坂井の髪を梳く。スウェットの下だけを穿いた叶は、傷だらけの上半身を晒していた。普通の生活をしていればまず負わないそれらの傷跡に、坂井はしばし見蕩れる。
「飯の支度ができているんだが、起きれるか?」
 声音は笑いを含んでいる。きっと彼は理由を知っていると、坂井に確信を持たせた。
「体、痛くて……」
「だろうな」
 にやにやと笑う叶は、坂井を「小僧」と揶揄する時と同じだ。更に理由を問おうとしたが、叶の爆弾発言が先んじた。
「あれだけよがって腰振ってりゃ、痛くもなるだろうさ」
「な……!」
 脳内が真っ白になる、という状況を、坂井は初めて体験した。
 呆然とする坂井に、叶はさらに追い討ちをかける。
「俺は普通に寝かしつけようとしたんだがな」
 笑いながら、昨夜の顛末を聞かせてくれた。
 しこたま酔っ払った坂井がいい加減ぐにゃぐにゃしているのを見かね、ベッドまで肩を貸して寝かしつけようとした。が、坂井は酔っ払いの馬鹿力で叶に抱きついて離れず、叶は「女だったら襲われても文句言えないぞ」と言った。坂井は「女じゃなきゃ襲わないんですか?」と返し、更に叶は「こだわりはない」と苦笑した。それに対して坂井は「じゃあ、しましょう」と、実に楽しそうに笑って答えたのだった。
 我がことのはずなのに、聞いてもまったく実感がない。さっぱり記憶にない。坂井は呆然と叶を見上げた。どれほど黙っていたのかはわからないが、やがてひとつの疑問が頭を掠める。しかしそれを口にするのはあんまりにも自分がいたたまれない気がする。
 結局、激しく遠まわしに問いを口にした。
「……何回したんですか」
「それはイッた回数なのか? それともおまえに突っ込んだ回数?」
「叶さん!」
 訊かなければ良かった、と心底後悔した。叶は笑いながら「おまえがイッたのは4回、おまえに突っ込んだのは2回」と答えを教えてくれる。坂井はとうとうシーツを頭からかぶった。そして遅ればせながら、シーツに埋もれていた自分の体が裸だということに気付く。
「何も隠れなくたっていいだろう」
 叶は「若気の至りってことにしとけ」と笑うが、なまじ相手がしょっちゅう顔を突き合わせる人物だけに、まったく気にしないのは困難だ。
 今度から限界を超えて飲むのは絶対止めよう、と坂井は堅く心に誓った。
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