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 どうしようかと思った。
 だってそうだろう、誰が同僚に突然キスされると予測できるのだ。抵抗する間もなく、軽く掠めただけとはいえ、偶然ではありえない。どういう意味かと訊きたくても、彼は無言で去ってしまった。冗談だったのか本気だったのか、あるいは別の意図があったのか。下村には判断できない。
 よくわからない男だとは思っていたが、今日ほどわからないことはない。
 酒は少なからず入っていた。しかし悪酔いするほどではない。互いの酒量はぼんやり把握していたが、仕事の疲労を差っ引いても悪酔いするほどではなかったはずだ。
 なんだ。どういう意味だ。
 軽い困惑に陥りながらも、足は確実に自室へ向かっていた。鍵を開け、部屋へ入る。閉めたドアにもたれながら、そのままずるずると玄関先で座り込んでしまった。
 考えすぎるのは、きっと良くない。
 もともと下村は自分が物事を深く考えるのに向かないと承知している。不得手なことをいくら実践しようとしても、慣れない思考に頭は急にはついていかない。
 溜息を吐き、右手で口のあたりを覆った。
 少なくとも、唇の感触が思いがけず柔らかで心地良かったことだけは黙っておこう。あとは気のせいにしてしまい、眠ってしまうのが良い。
 わかっていても、しばらくは動けなかった。



 さてあの男は口付けの意味を正しく解してくれただろうか、と坂井は足元、革靴の先に視線を落とした。
 衝動は唐突でも、下村に抱いていた想いは決して唐突ではない。いつから彼のことを気にしていたのか自分ではよくわからないが、気になってしまうものは仕方がないと諦めたのは最近の話だ。以来、不自然にならぬように下村とつるむ機会を多くした。
 失敗したと思う。気持ちは抑圧し、伝えるつもりも押し付けるつもりもなかった。が、今となってはどんな言葉も言い訳にしか過ぎない。せめて下村に避けられることがないようにと祈るばかりだ。
 当面の問題として――明日訊かれたらどうしよう。
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