おや、とベックマンは目を瞠った。甲板に、船長の姿を見止めたからである。風に外套とシャツの左袖をなびかせ、舳先から海を眺めているようだ。
昼や夕方であったならば珍しくはない。しかし今は、空が暗いのは夕方や夜と同じとはいえ、早暁前だ。いつもなら、まだ夢の中だろう。
考えているうちに、船長がこちらを振り返った。
「よぉ」
いつもと同じ、晴れやかな笑顔。眠気は微塵も感じられない。ますます珍しいこともあるものだ。
「珍しいな」
「たまには、な」
歯を見せて笑う顔は常と変わらないように見えた。が、ベックマンはほんのわずか、違和感を覚える。既視感、かもしれない。
「そんな、恐い顔するなよ。朝っぱらから景気が悪ィ」
船長は笑顔を苦笑に変え、左肩あたりを擦るように撫でた。
その仕草には、見覚えがある。
「っ、おい!」
頭へ手を伸ばすと、船長は身を捩って逃げかけたが、右腕を掴んで阻む。額へ手を当てると、普段より少し熱い。
「微熱だ、微熱」
気遣わしいベックマンの視線に気付き、苦笑が浮かぶ。船長の顔を、それでも胡散臭そうに見下ろした。
大体この船長が何かを我慢しようとしている時はロクなことがない。そんな顔で見るなと言われても、無理な話だ。
「雨が降るだけだから、気にすんな」
天候ばかりはいかに優秀な副船長といえどもどうにもしがたいだろ。
笑いながら言われ、不承不承頷いた。天候は、たしかに人の手に及ぶことではない。彼の痛みも、他人が代わることはできない。
「だからさァ、そんな顔すんなよ」
右手で頬をやわらかく叩かれる。
「雨が止めば、収まるし」
「……せいぜい、いつも通りにしていてくれ」
「任せろ」
痛み止めは飲んだのかという馬鹿な問いは喉の奥までせり上がっていたが、発しはしなかった。必要があれば、きっと飲む。それに薬に頼りきりでは、肝心な時に効かないかもしれない。そちらのほうが恐ろしい。
「また難しい顔しやがって」
景気のいい顔しろよと笑う船長の背後で、空は赤々と雲を焼いていた。