この場所では木々をそよがせる風さえ、色を変えているかのように感じられる。
ボロミアは手摺りから身を乗り出すように景色を眺めた。エルフの手で作られたそれは、繊細なラインを描いているにもかかわらず、ボロミアが全体重をかけてもびくともしない。エルフそのもののようだと思う。彼らは外見こそ優美で繊細、髪の一筋から爪の先まで美を集めたような生き物であるのに、膂力や戦闘能力では遥かに人間を上回る。
テラスから見渡せるのは、館のごく一部だろう。たいていは木々や岩に巧く調和しており、よくわからない。エルフが自然を愛している証のようにも思える。
しかし、ここは良くない。テラスの場所ではない。館そのものが問題だ。
この館では、空気の流れが外より随分遅いように思える。つまり、外界のほうが時の流れが早いのではないかという危惧を、ボロミアに抱かせるのだ。
国は。白き都は。父は。弟は。今この時も危機に晒されているのではないかと思うと、どうにも焦燥感に駆られてしまう。
一人で国や民を守れるなどと自惚れる気はないし、現実としてありえまい。国のことを思えばこそ裂け谷までやってきたが、国の情勢がわからないと不安にもなる。
――弟や父がうまくやってくれているに違いない。
わかっていても、気持ちばかりは焦った。
「どうかなさいましたか」
はっと背後を振り返る。金髪のエルフが柔和な微笑を口元にたたえ、人懐こく隣へやってきた。
「あんまりぼんやりなさっていると、魂を食われてしまいますよ」
「魂を?」
「化け物のひとつやふたつ、潜んでいたってわからない様子でしょう、ここは」
言われてみれば確かにそうかもしれない。しかしボロミアにも武人としていささかのプライドはあった。妙な気配を感じれば、わからないわけがない。
だから問うたのは別のことだった。
「私はそんなにぼんやりしていましたか」
「ぼんやりというか、物思いにふけってらっしゃるというか。何か悩みごとですか?」
「少し、国のことを考えていたのですよ」
「あなたはたいそう真面目な方なのですね!」
「そうですか?」
「国のことなど、私は一度も考えたことがありません。ここに来れば、そういったこととは無縁になりますしね」
エルフの若者の言葉に、ボロミアは同意の意味で頷いた。
「いつも国のことを考えてらっしゃる?」
「ええ、まあ」
「それでは、たまには忘れてみてください。思い詰めても良いことはありませんから」
思わず見とれるような微笑をひとつ寄越すと、エルフはそうするのがごく当り前のように手摺りを越え、身を落とした。慌てて下を覗きこんだが、彼は優雅に手を振ると森の中へ身を隠してしまった。
なんだったのだろう。
思っても、本人がいなくなってしまったのではわからない。
彼の名前すら訊き忘れたことに気付いたのは、もう少し経ってからのことだった。