023/森

 ある日、森の中。熊さんに、出遭った。
 花咲く森の道。熊さんに、出遭った。
 
 
 遊びに行こうと幼い兄弟に誘われ、海賊頭が向かったのは村はずれの森だった。
 村の大人たちが「子供だけで行ってはいけません」とうるさく言う森へ以前から行ってみたいと思っていた好奇心旺盛な年頃の兄弟、それなら大人がついていれば問題ないとばかりに、懐いている海賊団の頭をそれはもう熱心に口説き落としたのだった。
 もっとも、海賊団の一味に言わせれば「お頭も子供みたいなもんだからなあ」ということになるのだが。
「あっ、リス!」
「どこだよ?」
「あっちの枝!」
 ルフィが指したほうをエースが目で追う。敏捷な小動物はすぐに姿を隠してしまったが、ちらりと姿は捉えられたらしい。「本当だ!」と喜んで見せるエースは歳相応の子供に見えた。
「シャンクスも見た?」
 ルフィが繋いだ手を引っ張り、麦わら帽子をかぶった男を見上げる。森に入ったときから興奮を隠せない少年を微笑ましく思っていたシャンクスは、思わず笑みを零して頷いた。
 森の危険はマキノに聞いていたが、二人がこんなに喜ぶなら来て良かったかなと、楽観的に思っていた。
「リスだけで喜ぶなよ」
 ほら、と少し離れた茂みを指す。茶色のウサギがちょこんと顔をのぞかせていた。
「こっちはクワガタだな。ミヤマかな。ノコギリもいるな。樹液に群がってやがる」
 木の幹を指差すその先には、立派なハサミを持つ、あるいは角を持つ、つやつやした昆虫。少年なら一度は憧れるクワガタとカブトムシ。
 ルフィと二人きりで森に入っていたら、きっと見つけられなかった。エースはシャンクスの笑顔を見上げた。自分ももっと背が高くなれば、弟と二人でも色々なものが見つけられるだろうか。
「クワガタっ!」
「あ、おいルフィ」
「ルフィ!」
 幹に飛びつこうとした弟を制したのは兄だった。
「森に生きてる動物は、かまっちゃいけないって村長に言われただろ! 危ないんだから。見てるだけだ」
「ケチ」
「村長に言えよ」
 ルフィは口を尖らせるが、エースと繋いだ手を離そうとはしなかった。まったく、微笑ましい兄弟だ。村人全員に愛されているのも頷ける。
 さて、自分にルフィのような弟がいたら、エースと同じように対処できるだろうか。……無理かもしれない。どちらかといえば、一緒になって飛びついていただろう。
 シャンクスは空いている左手を伸ばすと、頭上の木の枝を折った。
「お兄ちゃんの言うこと聞くお利口さんにはご褒美だ」
 差し出された枝を、ルフィは嬌声をあげて受け取った。枝の先には、赤く熟れた林檎。
「ずっりい! ルフィばっかり!」
 膨れるエースに顔を寄せて、笑いながらシャンクスは囁いた。
「もっとお利口なお兄ちゃんには、また別にあげるからさ」
「本当?」
「嘘ついたら副船長に言いつければいいだろう」
 副船長と言われてシャンクスの言葉に真実味が増したのか、エースは顔をあげて子供らしからぬ笑顔を見せた。
 案外子供に好かれるタイプだったんだな、と自船の副船長を思う。子供にも対等に接するあたりが、プライドと責任感の強いエースあたりにもてるのだろう。
「シャンクス、あっち! 花がいっぱい咲いてるよ」
 ルフィが示した木々の合間を見れば、確かに赤や白の花がちらほら咲いている。
「マキノにお土産にしよう!」
 目を輝かせて言われては、拒否するのは難しい。まあ熊の大群に囲まれでもしない限りは大丈夫だろうと鷹揚に判断し、茂みに分け入る。
 近くまできてみれば、予想より広範囲に花々が咲いている。
 歓声をあげて子供たちは花を見つめた。
「いいか、十本までだぞ。それ以上は折ったら駄目だ。花がかわいそうだからな」
「はぁい!」
 兄弟は元気に返事をすると、どの花をマキノへプレゼントするべきか、熱心に選び始めた。
 シャンクスが眼を眇めたのは、兄弟の姿が微笑ましかったからだけではない。兄弟の後方に、風の音ではない茂みが揺れる音を聴いたのだ。人、ではない。小さな動物でもない。幸か不幸か、幼い兄弟がそれに気付いた様子はない。
 冬眠が途切れた熊だろうか。
 細めた眼で音のするほうをしっかりと睨む。同時に、さりげなく兄弟を背にかばう風に立った。気だけでも威嚇しておきたい。
 たとえ熊だろうと、負ける気などはない。海では海王類とも遊んだのだ。陸の生き物があれより大きいはずがない。気掛かりなのはただ、兄弟に怪我を負わせないかということだけ。
 野生の動物ならば、人などよりよほど殺気を感じてくれるだろう。そして、相手が自分より上かどうかということも。
 姿が茂みの間から見えたと思った。その時にはもう、熊の眼を射ている。
 睨み合ったのはほんの数秒。
 ――失せろ。まだ死にたくないだろう。
 念を瞳にこめる。獣は咆哮をあげることもなく、わずかに怯えた様子でシャンクスに背を向け、もと来た道を帰っていった。
 後ろ姿を完全に見送り、気配が遠のいたのを感じると、シャンクスはようやく詰めていた息を吐いた。
「シャンクスはマキノに土産はいいのか?」
 マントの裾を引かれ、あわてて振り向く。手に花をしっかり握ったルフィが見上げていた。「オレか?」と言いながら、にやりと笑ってやる。
「オレはいいの。おまえらはちゃんと選んだか?」
「おう!」
 二人して顔を見合わせ、にかっと笑う。そうした笑顔は本当にそっくりだ。
 兄弟の頭を撫でると、笑いながら言った。
「おい、副船長! 帰り道を案内してくれよ」
「副船長?」
 首を仲良く傾げた二人の前に、ややあって姿を現したのは紛れもなく、彼らの知る副船長だ。シャンクスにしかわからない程度に苦笑している。
「副船長だ!」
 真っ先にエースが、次いでルフィが大きな身体に走って飛びつく。わずかな身動ぎもせずに兄弟を受け止めると、シャンクスを見た。
「やっぱり、道を覚える気なんてなかったな?」
「人聞きの悪い。オレは仲間が船長に過保護だって知ってるだけだ」
 そっちのほうがタチが悪い。
 吐息で訴えると、鼻で笑って流された。
「さ、マキノさんとこに帰ろう。どうせ他の連中はおまえに任せて安穏としてやがるだろうから、今日のオレたちの飯代はやつらにツケるぞ!」
 豪快に笑うと、副船長から兄を引き剥がせなかった弟と手を繋ぐ。
 帰る道中は行き以上に楽しいものになったのだった。
>>> next   >> go back