015/雑踏

 ふぅ、と息をついてビルの壁にもたれた。混雑した店内を逃れて表に出たはいいが、外にもやはり大勢の人間が行き交っている。日頃あまりに見慣れない人の多さに、どこから湧いて出てきたんだと辟易するのは無理もない。
 ブラディ・ドールで出している酒の一部を買い付けるのに、久方ぶりに東京を訪れた。店で出している酒は大抵、業者からの納入で間に合うのだが、客の中には珍しい酒を好む者もいないわけではないので、数ヶ月に一度の割合で東京へは来ていた。
 師走とはよく言ったもので、年の瀬を控えたこの月、コートに身を包んだ人々の群れは足早に思い思いの場所へ向かうため、あるいはこの寒さをしのぐ場所へ向かうために足を速めている。
 黒いコートのポケットからソフトパッケージの煙草を取り出す。ジッポはその反対側に入っている。煙草を咥え、ジッポの表面を撫でてから火を点ける。人の群れは無秩序にもかかわらず、どこか秩序をもって駅へと流れて行く。流れは誰も何にも関心をもっていないかのように見えるが、一人一人はそうでもない。
 圧倒的な数の人の群れに居るのは、得意ではない。紛れるのには良いかもしれないが、目が回りそうになる。
 溜息を紫煙で誤魔化し、灰を落とす。
 この人の群れに、自分はどう見えるだろう。人待ち、のように見えるだろうか。実際は一人で来たのだから、待つ人などいないのだが。
 つい先日までは、そうではなかった。
 下村がいた。
 ドライブも兼ねて、下村と二人で都内まで。買い付けが終わると食事をし、時間があれば観光地らしい所へ行き、車を飛ばして帰る。何度かそんなことをした。デートみたいだと思わないでもなかったが、普段表情の変化に乏しい男もこんな時ばかりは楽しそうにしていたので、自然と坂井も楽しみにしていたのだ。
 下村が交渉しているのを待っている間、やはり坂井は店の外でこんな風に煙草を吸って待っていた。
「坂井」
 そう言って彼が自分の肩をぽんと叩くのを、待っていた。
 今はもう、ない。
 どれだけ待っても、彼は来ない。
 わかっているだけになお腹立たしい。こんなことを考えるのは、下村への冒涜だろう。
 すぐに短くなった煙草をもみ消し、携帯灰皿へねじ込む。立て続けにもう二本吸う。ニコチンは空っぽの胃や肺より、目や胸に染みた。体の奥の方から何かが湧き上がってこようとするのを、フィルタをきつく噛んで堪えた。
 忘れずに覚えているのと、未練は別物だと知っている。いつまで未練を垂れ流しているつもりかと、自分を殴りつけてやりたい衝動に駆られた。
 コートに手を突っ込み、ジッポを握りこんだまま、駐車場へと歩く。ジッポの表面をそっと撫でる。そこに刻まれた文字が指に引っかかった。
 こんな所でもあの男の面影を追っている自分に、笑い出しそうになるのをどうにか押さえながら歩いた。
 
 街はこんなに人で溢れているというのに、ただ一人の男だけが、どこにもいない。
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