報告を受けた船倉の惨状を見、船員の誰からも一目置かれている優秀な副船長は、大きな溜息をついた。
大人気ないとわかっていたが、こんなに大人気ないとは思わなかった。物に八つ当たりするなど、まるで彼らしくない。
宝箱からは宝飾品や高価な布や服の類、木の箱からは銃器やアンティークな置物の類、小物類などが引っくり返ってばら撒かれている。ぶちまけられた、が言い方としては正しいのかもしれない。
食器の類が割れなかったのは幸いだった。厳重梱包した上、奥の方にしまっていたのが良かったのかもしれない。それにしても、これの後片付けをすることを考えると――非常に頭の痛い話である。ぶちまけた当人にやらせればいいのかもしれないが、おそらく当分は無理だろう。
仕方ないと諦め、片付けるためにドアに鍵をかける。他の船員を信用していないわけではないが、宝物庫のドアの鍵は基本的にかけておくものだと決めている。
さて、どのようにして船長の機嫌を直させようか。ここの片付けが終わるまでにその手段を思いつけばいいのだが。
半ば呑気な気持ちで片付けを始める。他の仕事は一段落しており、取り立ててしなければならないこともない。ゆっくり考えさせてもらおう。
気配を完全に殺し、大きな荷物を抱えて何度かその扉の前を往復した。
足音も消し、速やかに目的を遂行する。
最後まで気付かれなかったことに安堵し、赤髪の船長は船底を後にした。
副船長の不在に最初に気付いたのは、幹部ではなかった。副船長に言い付かっていた仕事を終え、その報告をしようとしていた若い船員だった。
広い船とはいえ、人間一人が完全に消失してしまうなどありえない。賢明な彼は誰かに訊くより先に、船の中を歩いて回った。が、どうしても見つからなかったのだ。夕食の席にも姿を現さなかった。
結局仲間達に副船長の行方を訊いて回ったが、成果はあがらない。最後に行き着いたのが医務室、ドクトルの所だった。
「副船長? いや、見てねぇなあ。……そろそろこっちに顔を出す時間なのは間違いないんだが」
時計にちらりと目をやると、消灯時間に指しかかろうとしていた。
「……そろそろ包帯を替えに来る時間のはずなんだが」
律儀な男だ。まさか忘れるということはないだろう。彼は船長とは違う。
「……ん?」
ふと、船医は首を傾げた。
「お頭には訊いたか?」
「ここに来る前に訊きましたよ。知らない、って一言返されただけです」
「それだけか? その後は? 騒いだりしてなかったか?」
「はい」
いよいよ首を傾げた。
船長は、副船長が朝の戦闘で負傷したことを怒っているはずである。手当てをしていた時も、怒っている様子だった。なんで飛び出した、と、ひどく憤慨していた。怒っていたからこそ副船長を無視しているとも考えられるが、船長は怪我をした副船長に無理を言ったことは今まで一度もない。休めと、自ら率先して言うだろう。にも関わらず、副船長不在の無関心。理由がつけられても、納得がいかない。
船医は眉間の皺を深くし、部屋を出た。若い船員は慌てたように後からついてくる。
この船員の言うことが事実なら、副船長が姿を消したのは昼過ぎ、ちょうど手当てを終えて出て行った後。その後少し、船長の姿も見えなかった。ヤソップが探していたのを知っている。
大人しく話さないなら話させるまでだと、物騒なことを考えていた。
「お頭」
ノックをして呼ばわると、応答を確認してから入室する。応答の確認をすることなくこの部屋へ入れる男を一人知っているが、許されているのはその男だけだ、と皆思っている。シャンクスは気にしないかもしれないし、男も別段気にしないかもしれないが、周りがそれを気にするのだ。格差というものは、あった方がいい場合もある。
「どうした、ドク」
この男にしては珍しく、机に向かってペンを握っていた。それがいっそう船医の疑念を募らせる。普段はなんのかんのと理由をつけ、日誌をつけるなどやりたがらないのだ。
「そろそろ消毒と包帯を替えなきゃならない時間なんだがな、現れない」
誰の、とは言わず、じっと船長の海の色に似た双眸を見つめた。言わなくてもわかっているに決まっている。
「……オレは知らないと、さっきそいつに言ったはずだが?」
船医の後ろで縮こまっている若い船員にちらりと目をくれ、肩を竦める。そんな反応は船医の予想の範疇だ。最初から素直に吐くような男なら、この船の人間は誰も苦労しないに決まっている。特に、現在行方知れずのあの男が。
「……副船長が強情な男だってのは、お頭も知っているとは思うが、」
一拍呼吸を置き、船医は航海日誌に目線を移した。予想より遥かに読める文字で、今日の出来事が綴られている。
「刀傷四、銃創一。刀傷は合計十八針縫った。麻酔なしでな。銃創は五針。同じく麻酔なしだ。増血剤だけはなんとか飲ませたが、痛み止めや化膿止めは飲んでない。今晩は発熱のおそれ有りだ。化膿止めも飲んじゃいねぇから、破傷風の心配もちったぁした方がいいだろうな。おまけに輸血もしてねぇし、晩飯も食ってねえみてぇだから、貧血起こしてぶっ倒れてる可能性もある」
間をあけると、シャンクスは言葉によってではなく視線で「何が言いたい?」と問う。視線の意味を正しく理解し、船医は口の端だけを持ち上げた。そうすると、アウトローらしい凄みのある表情になる。
「副船長の方から救けを求めるなんて真似は、絶対にできねえってわけさ」
途端、シャンクスは顔を歪めた。苦笑しているようにも見える。
「オレを脅してるのか、ギィ?」
「おれにあんたを脅す度胸はねぇよ、お頭。おれは、おれの患者が心配なだけさ」
忌々しげに舌打ちすると、立ち上がって二人の脇をすり抜ける。ついてこい、というような素振りを見せたので、大人しく船長の後に従った。
「別にあいつを許したわけじゃないけど、」
今はそいつに免じて仕置きを撤回してやるよ。
若い船員を一瞥した船長に従いながら、船医は内心だけで微笑んだ。
実は潮時を測りかねていただけなのではないか、とは、突っ込まないでいておいてやった。それが船長に対する、一応の気遣いというものだ。