徒恋 6
頭を冷やしに行ったらしい真田が紅揃えの装束を汗まみれにして戻って来る頃には、最早日が傾いていた。
縁側で不貞寝をする俺に、ひたひたと遠慮がちな足音が近付く。
その足音が止む前に、俺は気だるげに上体を起こした。
「どこまで頭冷やしに行ってたんだ、このcherryが」
「!…起きていらっしゃったか」
ぼりぼりと頭や耳を掻いて一つ欠伸をこぼしていれば、真田が俺の隣へと腰掛けた。
かと思えば、気合いを入れるように、掌で自分の頬を叩いてやがる。
バシ、バシと容赦の無い音が響く。
まるでこれから告白でもしようってばかりに……って、もうわかってんだ。
どうせよ…期待したって、初心なアンタにゃそんなこと出来ねぇんだろ?
こちとらもう二回も期待を裏切られてる。
今夜あたり、夜這いにでも行ってやるから大人しく待ってろよ。
「…あーあ、アンタが中々戻って来ねぇから退屈しちまった」
「ぬおっ!それは申し訳ござらん!そ、その………この花を採りに行っていたら、遅うなってしまった」
ちらりとそちらを見遣れば、真田は俺に向き直り、両手で竜胆の花を数本差し出していた。
花弁は深い青紫色で、一本の茎からは幾つもの花が控え目に蕾を開いている。
「山中で鍛錬をしていたら、崖の上に咲いているのを見付けたのです。この蒼、凛とした姿、しかし何処か慎ましやかで可愛らしい蕾……政宗殿のようだと思い申した」
「Oh………」
「どうか…これを、受け取っては頂けぬだろうか」
慎ましやかだとか可愛らしいだとか、そんな耳を疑う形容も、真剣な表情で花を差し出す男前を前にして、突っ込む気も失せちまった。
くそ、不意打ちかよ……卑怯だぜ。真田幸村。
夕陽で、紅くなってんのがバレなきゃいいが。
「つーか、崖ってアンタ……」
「…あと一歩で落ちるところでした」
「…crazyだな」
「それでも、政宗殿にこれを捧げたかったのです」
俺が、どうにも素直になれず武骨な所作で花を受け取ると、真田はそこから一輪持ち出して、俺の耳元へ挿した。
ヤツは大きな目を細め、すっと口角を上げる。
近くなった花の匂いよりも、真田の笑顔と汗の匂いが、堪らなく俺の心を掻き立てた。
あ〜………ヤベェ、………余計に惚れちまう…。
「…よくお似合いです」
「Han…そうかい」
へたり、と己の耳が垂れているのがわかった。
動物ってのは感情を隠せないらしい。
んな恥ずかしいことすんなよなチクショウ…いっそ襲ってくれた方がハズくないってーのに。
俺が決まりが悪そうに目線を伏せていれば、体をふわりと包み込まれた。
そして耳元へ唇を寄せられる。
駄目だ、期待しちまったら駄目だ。
どうせまた邪魔が入る、あのクソ忍あたりが割り込んでくるに違いねぇ。
――――だが、真田の匂いと体温がとんでもなく気持ちいい所為で、俺の両腕は控え目ながらあいつの背に回ってしまった。
目を閉じて、嗅覚と聴覚へ神経を集中させる。
「…政宗殿……」
「…真田……」
「某、は」
「あぁ」
「以前から」
「あぁ」
「そなたのことが―――」
「旦那ー!!大変大変!!織田の残党がはんら…って…」
「あ………あぁ?」
「「「…………」」」
………やっぱりな。
殺していいか?あの忍。
なんて考えてたが、今度は真田が、俺を離そうとしない。
「…おい」
「………」
いくら忍とはいえいつまでも他人の前で抱き合っているのが気恥ずかしくて、俺は尾で真田の腕をぱしぱしと叩いた。
だが、真田は未だ、熱い腕で俺を抱き締めたまま。
寧ろ強まる腕の力に、誤魔化せない程、顔に血が上るのを感じた。
「真田……」
「…それで?織田の残党が半裸でどうしたというのだ」
「え?あ、えーっと……半裸じゃなくて、叛乱起こしたらしいんです。美濃で」
「何…」
「それで、『即刻鎮圧に行って来い、幸村ぁあ!!!』…だそうです」
「……わかった」
真田は静かに返答をすると、漸く俺から腕を解いた。
妙に伏せがちな顔を覗き込んでやれば…何だ、やっぱりアンタも真っ赤じゃねぇか。
その様子に俺はふと口許を笑ませ、真田のこめかみへと唇を寄せた。
反応は相変わらずではあるが、cherryなアンタにしてはちぃとばかり頑張ったな。
真田は更に顔の赤味を増させつつ、眉をハの字にする。
「ま…政宗殿…」
「久々に暴れてぇから俺も連れてけ…って言いたいところだが、そう目立つ行動は出来ねぇしな」
「…うむ」
「ヘマ踏んで死ぬんじゃねぇぜ」
「………」
「…真田?」
真田は無言で忍が用意した草履を履き、すっくと立ち上がると俺を振り返った。
こちらを見据える真摯な目。
薄く唇を開いたと思えば。
「………某が戻った暁には、お伝えしたいことがありまっおおおおおおぉ!!!?」
「即刻って言ってんでしょ!ハイハイ出発しますよー!!」
鴉に掴まった忍の野郎が、一瞬の内に真田を連れ去りやがった。
確信した―――あの野郎、絶対ぇわざとだろ………。
忍への不満を竜胆の匂いで誤魔化し、小さくなる忍と真田の背中を眺めながら、俺は花瓶を探すべく立ち上がった。
この花が枯れるまでには帰って来いよ、honey。
つづく
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