徒恋 2
――――…政宗。うむ、やはり政宗だろう。
誰かが俺を呼ぶ声がする。
うっせぇな。
俺は眠ィんだよ。
――政宗。政宗。………政宗。
オイオイ何だその呼び名。
この俺をそんなfriendlyな呼び方で呼んでくる奴なんざ、……成実ぐれぇしか覚えがねぇぞ…。
「………?」
俺は重い瞼を持ち上げる。
するとまず目に入ったのは己の下の落ち着いた紅色の布。
しかも温かい。
そして上を見上げれば満面の笑顔を浮かべる男。
「おぉ気がついたか!政宗!!」
ばりっ。
俺は反射的に全身の黒毛を逆立ててその顔面を引っ掻いていた。
いつ俺を呼び捨てにしていいっつったよ、―――真田幸村。
「ぬおおぉっ!!?い、痛い………が、元気そうでよかった!」
頬に血の滲む赤い傷を作られても尚、こいつは嬉しそうに笑って膝の上に居る俺の頭を撫でている。
あぁそうだ、俺は猫だった。
政宗なんつーからつい前世とこんがらがっちまった。
…さっきのは幻聴であってくれよ。
「政宗…早く傷が治ると良いな」
やっぱ幻聴じゃねぇよな。あぁわかってた。
しかし猫ごときに俺の名をつけるたァ、随分な扱いだな真田…。
とんだ愚弄だ。
あの忍び辺りが手当てをしたのだろう包帯の巻かれた腹部を避けながら、真田は俺の背を撫でる。
本能的に気持ち良いと感じようが尻尾が勝手に揺れようが、自分が倒した敵の名を猫につけるような野郎となんざ一刻も早くおさらばしたい。
俺はのそりと立ち上がった。
しかし膝の上から降りるよりも先に、真田が後ろから俺を抱き締める。
また傷を増やしてやるべく前足を振り上げたところで。
「……わかっている。すまぬ。お前とて誰かの代わりなど御免だろう」
…何のことだ?
「しかしせめてその傷が治るまでは一緒に居てくれぬだろうか、政宗」
だからその呼び名が嫌だってのに。
「その右目とその強い眼、あの方と重なって仕方がないのだ。…俺の想う、あの方と」
ちょっと待て…。
「……政宗殿。何故俺はこの想いを伝えぬまま、この手で、貴方を…………」
その声も身体も小さく震えていた。
――――やめてくれ、俺まで思い出しちまう。
捨てざるをえなかった、人間だった時に抱えていた想い。
最近やっと忘れられたと思ったのに。
今更そんな気持ち掘り返したって、何にもならないだろ?
こんな短い手じゃ、アンタを抱き締め返すことなんて出来ねぇよ。
目の前にあるアイツの腕に今度は軽く爪を立てる。
すると真田は俺を掌中に抱え直し、持ち上げて顔同士を突き合せる。
泣いていた。
猫相手に話して泣くか?普通。
大きな眼からは涙の粒が次々に零れて、着流しに染みを作っていく。
戦場じゃ俺を倒したほどの腕なのに、頼りねぇなァ。
ったく………。
「…!政宗……」
先程の手厳しい対応とは違い、今度はぺろりと指を舐めてやる。
泣き止めよ。
俺のことで、泣くな。
傷口を舐めるよう、丁寧に舌を動かしてやればアイツは泣きながらも笑みを浮かべて俺へ頬擦りする。
俺の毛が、こいつの涙で湿る。
今度は頬を伝う水滴を舐めてやる。
しょっぺぇ。
これが、コイツの味か。
「…有難う、政宗」
「……にゃあ…」
「俺と一緒に居てくれるか?」
「………にゃ」
仕方ねぇな。
頼りないこいつを、何だか放っておけねぇ。
それだけだ。
決してこれは、あの想いが再燃したんじゃない。
恋じゃない。
自分に言い聞かせる。
俺は猫の言葉なんか分かるはずないくせにそうか!と、嬉しそうに受け答えをして俺を温かい座布団の上へ寝かせ急ぎ足で餌を取りに行ったアイツと、暫く一緒に居てやることにした。
これはきっと同情みてぇなもんだ。
恋では、ない。
つづく
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