よるをまつうた
どれくらいの時間が経ったのか、正確にはわからない。
酷く長く感じられたが、実際にはさほど過ぎてはいないかもしれない。
けれどその場で、今もまだ生きているのは目の前の侍二人との三人だけ
になった。
唖然としたままその場に佇んでいると、こちらを振り返った二人がゆっくり
と近寄ってくる。
「んで? 小僧はなんでこんなとこで迷子してんだ?」
顔を覗き込んできた銀髪の侍が、ごしごしと汚れた頬を袖で拭ってくれた。
どうやら身体のサイズと服装から少年と勘違いしてるのだろう。
それからポンポンと頭を撫でられる。
怯えて動けないでいると思っているらしい男の気遣いを感じながら、は
返事をしようと口を開いた。
「…迷子、じゃ ありません…」
しかし、その喉からは掠れた小さな声しか出ず、視線を下ろした先に見える
自分の手がガタガタと震えている事にようやく気づく。
二人の動きが素早く鮮やかすぎたせいで、目の前で起った出来事を脳が処理
しきれていないままでも、身体は正直に恐怖を訴えていた。
男の肩越しに見える光景はまぎれもない現実で。
ゴロゴロと転がる死体の山と血の海。
大義名分があるとは言え「命の奪い合い」という行為を初めて目の当たりに
して、言葉では現せない感情がの胸に沸き上がる。
助けてもらったというのに正気の沙汰とは思えない目の前の男たちが怖くて
仕方なかった。
誰かの命をこんなに簡単に奪ってしまってどうして平気な顔をしていられる
のだろう。
俯き視界から其れらを排除して、とりとめもなくそんな事を思った。
***
なんとか一言だけ返し黙り込んでしまったを二人は無表情に見ていたが
見捨てる気はないようだった。
その証拠に一向に立ち去る気配はなく、尖った神経が落ち着くのを静かに
待っている。
震えは未だ止まらないままだが、このまま此処に居るわけにもいかないと、
は、ゆっくりと息を吐き出し呼吸を整えた。
意を決して顔を上げると、四つの瞳がこちらをじっと見つめている。
「そうか、それならなんでこんな所をうろついている?」
それまで黙っていたもう一人の方がようやく口を開いた。
真っ直ぐこちらを見る瞳は鋭く、まるで獣のようだと思った。
しばらくその目を見つめ返し、もう一人の男へと視線を移す。
「……」
二人の目を見つめるうち、不思議とからゆっくりと恐怖が引いていった。
姿こそ返り血で紅く染まっていて確かに恐ろしい形相だが、その目は澄んで
いて一点の曇りもない。
幾らか硬い表情をしてはいるが、怯える自分をどう扱っていいか分からずに
戸惑っているだけのようにも見える。
「…くすり。 薬を、届けに 来たんです」
震え続ける両手をぎゅっと握って声を振り絞った。
まだ大分掠れてはいたが、先ほどよりはしっかりした声とその内容に二人の
侍は顔を見合わせて話し始める。
「薬?」
「ジジイか?」
「…だろうな」
「言えば俺たちで取りに行ったものを」
こんな子供に一人で運ばせるなんて。
そんな目でこちらを見つめてくる。
「…まあ良い。とりあえずコイツを村の近くまで送っていこう」
銀髪の方がそう言いながら、再びの頭を撫でた。
「…えっ!? いいえ、それには及びません」
思いもよらぬ方向に会話が進んでいる事に気づいたは、慌てて首を振り
話に割って入る。
自分のすべき事を成し遂げる為に。
「…?」
「薬と、治療の手伝いが出来る者。…両方が頼まれたものです」
驚いたように顔を見合わせる二人に事の経緯を説明する。
そちらにいる医者の松本良純から手紙が届いた事。
足りない薬を父親の代わりに届けている事。
そして、途中あっけなく天人に見つかってしまい追いかけられていた事も。
「おまえがか?」
こちらを指差した男がそう言った。
薬はまだしも、治療の手伝いが出来るようには見えないのだろう。
だが、は父親の診療所では治療も手伝っていた。
確かに、今は子供のような着物を着ているので信じられないかもしれない
が、追々分かってもらうしかない。
「はい」
「危険な所だぞ?」
「承知の上です」
「だが…」
「父の親友殿の頼みです。患者を放り出せない親の代わりを子供がするのは
当然の事でしょう?」
一度決めた事をそう簡単に覆すような弱い女ではない。
安全な庇護下でそれを当たり前だと思ってしまわないように、こんな自分に
何が出来るかは分からないが、必死になって生きてみたい。
いつか出逢えるかもしれない大切な「誰か」が助けを求めて来た時、迷わず
この手を差し伸べられるように。
伸ばされた手をしっかりと握り返せるように。
「覚悟は出来ています」
「そうか」
きっぱりと言い切ったに、ようやく納得したらしい銀髪が笑って頷いた。
「俺の名は 坂田銀時 。それでコイツが 高杉晋助 。まあ、よろしく頼むわ」
「…はい、よろしくお願いします」
いつの間にか、震えはとまっていた。
***
目の前に立つこの二人には興味が湧いた。
住んでいた村にも侍は居たが、ここまで透明な人間は居なかった。
狂っていないと、そう判断したが、あんなふうに戦いの中に常に身を置いて
正気で居られる方がおかしい気がした。
正気だけど狂気も持ち合わせている、どちらとも言えない状態なのかもしれ
ない。
黒くもなければ白でもない。
相反する二つの其れがどちらをも相殺しているかのようだ。
…いや、其れこそが狂気なのだろうか?
たとえ狂ってでも、この若い侍たちが戦わなければならない理由があったと
して、獣のように暴れる日々に疑問が沸く事はないのだろうか。
もしかしたら確固たる何かが在るのかもしれない。
…本当に?
生きる事以上に大切な事などあるのだろうか。
未来ある命を散らしてまで?
獣と化してまで剣を振るう理由を、は知りたいと思った。
***
「俺が持つ」
を連れたままで敵陣を突っ切るのは難しいと考え、三人は暗くなるのを
待って闇に紛れ戻る事にしたのだが、重い荷物を背負ったまま歩きにくそうに
していたのを見かねたのか、銀時と名乗った侍が目の前に立った。
どうやら代わりに持ってくれるようだ。と気づいたは背負っていた薬を
下ろす。
このままでもじゅうぶん走れるとは思うのだが、足手まといになるのなら、
持ってもらった方が良いかもしれない。
しかし、銀時が掴んだのは、荷物ではなくの身体だった。
「え…?」
ワケが分からないまま、目の前の男を見上げればフザケているようには到底
見えない。
助けを求め、もう一人の男に視線をやれば、呆れたように溜息をついていた。
どうやらこちらは大丈夫なようだと安心したのも束の間。
「お前はバカか? コレは人間だぞ? 落としたら怪我すんだぞ?」
さも当然のような顔をしてをびしりと指差した高杉はそう言い放った。
「バカはお前だ。薬のが落としたら使えなくなるだろうが」
それに応える銀時も当然のように主張する。
「……」
割って入る勇気もなく、それ以前に話しの内容の次元の違いに付いていけず
固まる。
「「……」」
黙る二人が何を考えているのか察する事は容易ではない。
や、そんな事で悩まないでください。
声にならない願いは届く事なく。
「一理あるな」
「だろ?」
何やら納得した様子の二人は頷きあっている。
つーか、おとす事前提なんですか?
ひょいっと軽々担ぎ上げられ、慌てて首を巡らせると くるん と四方に跳ねる
銀色の髪が視界に入った。
「わ、わたしっ…自分で、走れ ま すっ!!」
不安定な状態に泣きそうな声をあげれば、二人の男がほんの一瞬固まる。
「…ワタシ?」
「あの!?」
「そういや お前、名前は?」
まったく話を聞いてもらえないまま名を聞かれ、慌てふためくのにも疲れた
はぐったりと身体の力を抜いて素直に名乗る。
「 です…」
「…お嬢ちゃんか」
「なら話は別だ。 クラブ地獄の三丁目まで、お一人様ご案内〜」
力の抜けきったふざけたような声。
隣で薬の入った荷物を背負った高杉が、くっと小さく笑った。
そして薄闇の中、二匹の獣は走り出す。
どうやら、生きる覚悟の前に、落ちて怪我をする覚悟をしなければならない
ようだ。
2007.11.17 ECLIPSE