はじまりのうた
それは、十日遅れで医院に届いた一通の手紙から始まった。
「どうなさったんですか?父上」
「…ああ、友人から手紙が来たんだけれどね」
そう言って眼を伏せる父の手には酷く汚れた文が握られていた。
先ほど、うちの診療所に運ばれてきた侍は、酷く傷ついていて瀕死の状態
だった。
その侍が持ってきたのが奇しくもの父 に宛てた手紙。
この近くの戦場の救護所で医師をしている昔からの友人からの物だった。
日々酷くなる戦争は毎日多くの死人と怪我人を作り出し、何処の救護所も、
人手が足りない状態と聞く。
案の定、その手紙には足りなくなった薬をわけて欲しい旨と、出来れば人手
を借りたいとあった。
ただ、ここの診療所も他所から溢れた怪我人を収容しているため、人が足り
なくて困っている。
それでも人の良い父は友人の助けを無下に断れないのだろう。
は、その酷く困った様子の父の助けになりたかった。
「私が行きます」
「?」
「親友殿が助けを求めているのでしょう? 父上はここを離れられない。
なら娘の私がかわりに行きます」
止めても言い出したら聞かない娘に最後は父が折れた。
道中なにがあるかわからないと、念のため男の着物を着て、ついでに邪魔に
なるであろう髪も短く切ってしまう。
その姿を見てはぽつりと呟いた。
「髪の毛を置いて行くなんて、今生の別れのようではないか…」
「違いますよ、父上。変装です。変装!」
朗々と笑う娘の行く末に一抹の不安を覚える父であった。
***
寝食をする敷地から少し離れた陣営で、戦の策を仲間と共に練っていた桂に
その日珍しい客が現れた。
「…松本先生。今なんと申した?」
やって来たのは救護所で医師をする松本。
その松本が言った言葉に、桂は動揺を隠せなかった。
「いや、だから援助を求めていた所から了承の連絡が入った。
…と、言ったのだが?」
いつもは冷静な桂が焦る様子を見て、事態を飲み込めない松本もいやな予感
を感じる。
「何処から?」
「北東の村から」
桂の表情が更に強張った。
「…数日前から戦場の区域がずれてるんです」
「なに!?」
「知らずに向かっているなら、敵地のど真ん中を突っ切っている事になる」
「「…」」
その場が重い沈黙で包まれた。
「…そこまで入り込めるのは銀時と高杉くらいのもんだな」
しかし、すぐさま頭を切り替えた桂は救助を計算し始める。
「おい!二人は何処に居る!?」
近くにいた侍を呼び止めるが、返ってきたのは悪い返事だった。
「それが、本日はもう出てしまいました」
再び重い空気になったその場で松本がぽつりと零す。
「…偶然拾ってくれないかのう」
先生。 そんな無責任な…。
周りの侍は口に出せないも心の中でそっと突っ込みを入れた。
「鼻が利くからもしかしたら…」
続く桂の言葉もどうかと思うが…。
しんと静まった中、桂は大きなため息を付いて出陣の支度を始めた。
「私が出ます。見つけられるかはわからないが、危険とわかっていて放って
おく事は出来ない」
「お、ならワシも行くけん」
側で事の成り行きを見ていた坂本は、らしい友の言葉に安心したように笑い
後を追って立ち上がった。
「ああ、頼む」
***
村を出たは数人を伴って父親の友人が居るという戦地へ向かっていた。
しかし、先日まで比較的安全だった筈の村の周りに天人の姿が見られるよう
になり、攘夷に参加していない限りは襲われる事はないが侍を助ける村人たち
に圧力をかけていた。
そのため、途中まで安全のため自営団に付いて来てもらう事になり、人通り
の少ない山道を選び隠れるように歩き続けていたのだが、何かがおかしい。
鼻を突く血と硝煙の臭い。
まるで戦場の真っ直中に居るかのような、恐怖。
そして木々の間から覗いたその光景に、現実を知った。
天人の陣営が向かう先にあったのだ。
いつの間にか戦地が移動していたのだろう、これではたちの村も何時戦い
に巻き込まれるやも知れない。
「ここまでで大丈夫です」
言ってはみたが、どうも大丈夫ではない気がする。
むろん共にここまで来た者たちも同じように思っているのだろう。
なかなかをおいて立ち去る事が出来ないでいる。
「大丈夫」
これ以上付いてきてもらえば帰るのにかなりの時間がかかる。
その間、さらに村が手薄になり危険にも曝されやすくなるのだ。
「だが…では、これを」
それは一丁の拳銃。
「どうしてもという時に使ってください。音がすればこちらの居場所が知れ
ます」
追い詰められるまでは逃げろという事だろう。
確かに、女一人ではたかが知れている。とにかく逃げ切るしかない。
とは思っていたが、実際はそう上手く行かないわけで。
「ッ …ハアッ ハッ」
かなりの時間歩ていたとは思うのだが、見つかってしまえば何の事はない。
あっけなく。という言葉で片付けてしまうしかなく、見つかったのだから、
とにかく逃げる事に専念しては走り続けていた。
「も、ムリッ…ってば!」
だか、人一人だとしても気の立った天人は逃すわけもなく追いかけて来る。
すぐに追いつかれてしまった。
木の幹に背をあて、は荒く息を付きながらも、周りを取り囲む天人たちを
睨みつける。
「…ッ」
もうダメだ。
と思うが、諦めることは出来ない。
最後の最後まで、生きようとする努力を怠ってはならないと、医者の父から
教えられて育ってきた。
たとえ天人であっても傷つけるのは躊躇われるが、は仕方なく持っていた
銃を構えた。
弾は六発。
相手はその数を遥かに超える。
隙をついてまた走り出すしかない。
***
その日、特に仲が良いわけではない二人が行動を共にしていた事に、理由が
あったわけではない。
ただ、何となく向かった先が同じで、特に張り合っていたわけではないが
(否、若干そのような気持ちがあった事も渋々ながら認める)いつの間にやら
敵地奥深くに入り込んでしまっていた。
さすがに此処まで来ると回りに味方の姿は見えず、孤立無援の状態である事
は理解出来た。
しかし、二人はその日、なかなか引こうと思えなかったのだ。
まるで、その後の運命の出会いを予感していたかの如く。
「銀時…」
横を走る高杉の呼ぶ声に銀時も立ち止まった。
「ああ」
聞こえたのは一発の銃声。
「あっちの方だな」
高杉がすっと迷いなく指差す方向に何らかの気配を銀時は感じていた。
「戦ってる。…という事はどちらかは味方だという事だ」
「もう片方は敵だがな」
「ああ…」
「「それでも、見捨てるわけにはいかない」」
追ってきた敵を切り裂いて、二人は銃声のした方角へと走り出した。
***
放った弾丸が当たったのだろうか、うめき声がする。
「んだよ。ガキじゃねえか…」
それから、すぐ近くで聞こえた声にが目を開けると何かが目の前にあった。
「…え…?」
の頭がその物体を認識する間もなく、其れらは走り出し、鮮やかな剣舞の
ように刀が舞う。
現れたのは白と黒の獣。
二匹の其れが一瞬にして辺りを血の海に変えた。
2007.05.27 ECLIPSE