きみのすきなうた
さわりさわりと風が吹いた。
雨が上がった後の空気は澄んでいて、ほんの少し多めの湿気で四方に散らばる
髪の毛に対する憂鬱を相殺してしまう。
「銀時。何処まで歩くの?」
日が落ちて暗くなったこんな時間にを連れ出して、桂や高杉に見つかれば
ただでは済まなそうだな。などと、考えながら、銀時は不安げにおのれの後を
ついてくる少女を振り返った。
「あとちょっと」
「ふうん」
振り返った顔を見て安心したのか、はほんの少し表情を和らげ、また前を
向いてしまった男の着物の袖をきゅっと掴む。
くい と微かに引かれる感覚に チラリ と斜め下を見やれば、細いゆびが自分の
着物を掴んでいるのが視界に入った。
それを見た銀時の口元が緩く上がる。
戦いの合間、一人でふらりと散歩に出かけるのはいつもの事なのだが、今夜は
出がけにをみつけてしまい、つい連れてきてしまった。
ちょうど行こうと思っていた所が、特にお気に入りの場所だったから。
美しい花々の咲く場所や、ススキが見事に茂る広場、魚のたくさん泳ぐ沢に、
星の綺麗な丘など…たくさんある銀時の秘密の隠れ処の中でもそこは格別で、
まだあの三人にも教えてない。
お前が最初だ。と、言ってやったら喜ぶだろうか?
歩きながらそう思うが、声には出せそうにはなくて、溜息が一つこぼれた。
柔らかそうな彼女の手を掴んで指を絡め、口を開けばいい。
ただそれだけなのに、簡単そうなその一歩がとても難しい。
***
膝下まで茂る草むらを抜けて、水辺まで来ると視界が開ける。
とは言っても、もう既に日が落ちてしまっていて銀時が持つ灯がないと歩くの
もおぼつかないのだが、此処ではそれも必要なかった。
「……、わあっ!」
ふわりふわりと浮かぶ光の大群。
初めてみつけた時は、銀時も同じように声をあげて魅入ってしまった。
無数の蛍が群生するこの場所は、人の手が入らないからか、とても神秘的で、
幻想的な空間だった。
「銀時ッ!」
の呼ぶ声が聞こえる。
近くで光っていたのをひとつを捕まえて顔を近づけると、大きな瞳を潤ませ、
泣きそうになっているのが見えた。
「んだよ、お前ェ泣くなよ」
びっくりして、でも気の聞いた言葉なんてかけられそうになくて。
「だって、…あんまりキレイだからッ…」
そう言ってが顔を上げ銀時を見上げた。
…ッ、ヤベェ!
そう思ったが、時既に遅し。至近距離で潤んだ瞳と目が合ってしまった銀時の
理性はあっけなく焼き切れてしまう。
銀時の手の中にいた一匹が飛んでいったのを追っての視線が逸れたのを、
咎めるように身体が勝手に動いて、目の前にある柔らかなぬくもりを引き寄せ
後から抱きしめてしまった。
「……………」
「銀…時…?」
気まずさに押し黙る銀時を、が戸惑ったように呼ぶ。
「落ち着けって…(俺)」
「う、うん」
もそり と小さく身じろいだの細い指がそろりと伸びて銀時の腕を掴んだが
そのまま逃げる様子はない。
「蛍は逃げねえよ」
だって、此処が在るべき場所だから。
「…そーだね」
でも、は違う。
だから、何処かに行ってしまわないように。
腕の中に閉じ込めておきたくなった。
***
「」
「ん?」
「そろそろ帰ェーるか」
「…ん」
暫くそのまま蛍の舞う夜空を見上げていた2人だったが、これ以上はさすがに
がいない事に気づき、誰か(特に最近はやけに兄貴風を吹かす約二名)が
騒ぎだしそうなので、名残惜しく思いながらも渋々身体を離した。
離れて出来た隙間を風が吹き抜ける。
もう汗ばむ季節なのに、ほんの少し寒いと感じる。
このままどこかに連れ去れたら。
さわりとまた風が吹いた。
離れてはいけないよ。と、誰かによく似た声が聞こえた気がした。
それにあえて聞こえない振りをして、が振り返るのを待ってから来た道を
戻るために歩き出すと、また細い指が銀時の袖を掴む。
「…暗いから気ぃつけろよ」
「うん」
いつかその小さくて可愛らしい手を引いて、歩いてみたいと思った。
…連れ去ることは出来ないまでも。
ほんの僅かな時間でいいから、また今のような時間を2人きりで過ごせたら。
***
暫く歩いているとが掴んでいる銀時の袖を小さく引いた。
「あれ?銀時、なんか聞こえない?」
「んあ?」
確かに、耳を澄ませば遠くでお囃子が聞こえる。
「ありゃ、麓の村だなァ」
音が聞こえる方向を確かめてそう言うと、にもわかったらしい。
「この前連れてってくれた?」
「ああ」
「わー。お祭りかぁ。…良いなあ」
歩みが遅くなる。
今 彼女がどんな顔をしているか銀時には簡単に想像がついて、ちらりと横目で
盗み見れば案の定 キラキラ と目を輝かせていた。
けれどそれも束の間の事で、すぐに落ち込んだように下を向いてしまう。
「これから行っても、つく頃には終わっちゃうよねぇ…」
「そーだな」
あの村までは近道を使っても数時間はかかる。
今日はどうしたって時間的に無理だが、しゅんと俯いてしまった姿を見ると、
なんとかしてやりたくなってしまった。
「…今度な」
「え?」
ぴくりと反応したが銀時を顔を上げる。
「今度 連れてってやるっつてんだよ」
「ほんと!?」
拗ねていた顔が一瞬で輝くような笑顔に変わった。
「ああ」
「やった!銀時、絶対だよ!」
「わかったって」
「わあい。楽しみー」
嬉しさのあまりか フンフン と鼻歌まで歌いだした、いつもより幼く見える姿が
あまりに可愛くて、くすりと思わず笑いが漏れた。
「ガキみたいだな」
可愛いあまり、からかいたくなる。
「なによう」
「可愛いって言ってんだよ」
「そういう風には聞こえませんー」
「そういう風には聞こえないように言ってるんですゥ」
煽るように口調を真似れば、とがった唇が つん と上を向いた。
「いじわる」
「まあな」
「天パ!」
「オイ。それは関係ねーだろ」
聞き捨てならない言葉にギロリと睨めば、ぷい とそっぽを向かれてしまう。
「ふん!」
「」
「………」
「こっち向けって」
「意地悪な銀時はきらい」
「ッ!?」
「大きらいっ」
「ちょ、待てって、俺が悪かったです!様!スイマセン!」
「知らない」
かわいくてちょっとかまうつもりがやりすぎたようで、姫はご立腹。
これはマズいと、あわてて全面降伏する。
「に嫌われたら俺ァ生きてけねーよ」
心底困ったようにそう言えば、ちらりと疑うような視線がながれてきた。
「…ホント?」
「ホント!」
こくこく と、大げさなまでに首を縦に振るへタレを訝し気に見ていたは、
ほんの少し考えてから、何かを思いついたらしく銀時に顔を向ける。
「じゃあお祭りと…あとまた蛍見に連れてって。そしたら許してあげる」
出された条件は銀時の願ってもないもので、喜んで飛びついた。
「連れてきます!いっくらでも!どこへでも!だから機嫌直せよ」
「約束ね?」
「ああ!」
侍ゼッタイ約束破ブラナイ!と何故か片言で、でもここまで必死になった事は
ないというくらいに真剣な表情で、右手を上げて誓う。
「じゃ、許してつかわす」
「ははあ!」
まるで、お殿様とその家臣のようなやり取りをして、互いに顔を見合わせると
小さく吹き出した。
「」
それから無事ご機嫌をとったついでに、大事な事を確認する。
「なに?」
「…その…なんだ…『嫌い』は、撤回してくれるか?」
これが確かめられないと、銀時はおちおち眠る事でも出来やしない。
「うん。意地悪じゃない銀時はきらいじゃないよ」
伺うように見つめると、ニコリとが微笑む。
「そうか」
ほっと息をついたところで、の寝起きをする部屋の前に着いてしまった。
どうしても離れがたくてちらりと視線をやれば、どうも彼女も同じような顔を
しているように見える。
「じゃあ…」
躊躇いを振り切るように掴んでいた袖からの細い指が離れた時を狙って、
一瞬だけ銀時は自分の指を絡めた。
「ぎ…」
「今夜の事、あいつらには黙ってろよ?」
声を潜め、戸惑ったように顔を上げたと視線を合わせる。
「…うん」
少し間を置いて、こくり と小さな頭が縦に振れた。
それは初めて出来た2人だけの秘密。
一瞬触れただけの指先が じんじん と痺れたように熱かった。
***
「おやすみなさい」
障子に手をかけてから振り返りそう言ったに銀時は軽く手を上げて返す。
嬉しそうに口元を綻ばせて部屋へと消えたのを見届けてから、自分も寝床へと
向い、既に就寝している仲間を起さないよう横になった。
明日はまた戦わなければならない。
誰かの命を奪って、仲間を護らなければならない。
「…『嫌いじゃない』じゃなくて『好き』…とかは言ってくれないかねェ」
けれどその夜、銀時の頭の中では可能性のきわめて薄い小さな希望ばかりが、
帰り道 が口ずさんでいた曲を伴奏にいつまでも回り続けて、熱の引かない
指先と共に睡眠時間を奪っていった。
2008.11.03 ECLIPSE