てんしのうた
珍しく戦いのない昼下がり。
仲間たちは作戦会議を熱く繰り広げていたが、ああだこうだと策を練るのは
性に合わない。
一人抜け出した銀時はてくてくと敷地を歩いていた。
「っと、…」
「お、すまん」
出会い頭にぶつかりそうになった相手が怪我人だとわかり、慌てて道を譲る。
「いや、大丈夫だ」
その男が歩いて来た方向に何気なく視線を送れば、戦いのない日も忙しない
様子の救護所。
担ぎ込まれてくる者がいないからか、松本医師の動きは慌ただしくはないが
怪我人を次々と診察し続けていて、到底暇には見えない。
その近くでは、最近来たばかりの彼の友人の娘だと言うも、パタパタと
動き回っていた。
「どうして、あんなに元気なんだかねェ」
おもちゃのようなその姿に苦笑しつつも目を奪われる。
だって、弱音を吐いてる所を見たことがないのだ。
あの小さい身体の何処に力が在るというのか…。綺麗に洗われたシーツを、
(もちろん洗ったのも彼女だ)取り替えるべく怪我人を支えながら移動さして
手早く変え、また寝床へと戻す。
一日の大半のの仕事はもっぱら重労働だった。
そして、夜になると帰ってくる怪我人の処置に追われる。
「銀時」
声を掛けられ振り返れば、先ほどまで作戦会議をしていた桂が立っていた。
「何を見てる …ああ、彼女か」
「ああ、良く働くなーってな」
その言葉に、桂も同じように銀時が先ほどまで、それこそ穴が開くくらいに
見つめていた娘に視線をやる。
忙しなく動く小柄な身体。
いつもニコニコ笑って誰隔てなく穏やかに接する人柄で、ここの侍たちとも
少しずつだが打ち解けてきたように見える。
あんな若い娘が一人で。と、此処に来た時は一体どうなるかと思っていたの
だが想像以上に強い娘だったようだ。
「…気になるか?」
男ばかりの中あんな可憐な存在が現れたら誰でも心奪われるだろう。
だがこの天の邪鬼が素直に認めるとは思えない。
大方鼻で笑って立ち去ると思っていたのに…。
「なるねェ」
桂の考えに反して銀時は素直に頷いた。
「そうか」
驚いてそれしか返せないでいる桂をどう思ったのか、反対に聞き返してくる。
「ヅラはならねーの?」
「ヅラじゃない、桂だ」
「で?」
「なにがだ」
「気になんねーの?」
いつもは決して自分の手の内を見せたりしない男の珍しくも素直な言葉に、
桂の方が逆に言葉に詰まった。
「ならない。……とは言わない」
仲間からは白夜叉と恐れられるこの友人が、他人に珍しく興味を持ったのを
からかう筈が空振りに終わってしまう。
その揚げ句自分までぼろを出す結果になってしまい、やぶ蛇だった。と桂が
後悔していると近くで話し声が聞こえてきた。
「しっかし、かわいいなー」
怪我の手当をし終わったばかり侍が二人 上機嫌で話している。
話題の人物は言わずもがな、の事で、きっと優しく治療してもらったの
だろうにやけたまま巻いてもらった包帯を眺めている。
「あんな可愛らしい子に手当をしてもらえるなんてよ、生きて帰って来れて
良かったな」
言いながら頷きあっていた男たちだったが、
「でも…」
顔を見合わせると大きくため息をついた。
「許嫁がいるなんてよお」
「世の中上手くはいかねえよな…」
「だって…あ!」
男たちの会話はそこで途切れた。
「ヒッ!?」
「桂殿に白夜叉殿ではないか!せ、先日も見事だったなあ」
銀時と桂に気づいた途端大げさなくらい驚き、二人が何か言う前に男たちは
誤魔化すように笑って後退りながらそそくさと逃げる
ように立ち去ってしまった。
二人して呆気にとられたままその背中を見送っていたのだが、不意に銀時が
触れてはいけない所に触れてしまった。
「…許嫁なんていんの?」
「ア、アア。そうらしいぞ」
そう言えばコイツにはこの事を話していなかったような気がする。
あの後なんやかんやで忙しかったからなのだが、さてどう説明したものかと
桂が考えていると銀時は ぼりぼり と頭をかき退屈そうに欠伸をしてそのまま
何処かへと歩き出した。
「銀時?」
「あいつに、抜け道教えてくらぁ」
抜け道 とは、ここから少し離れた村までの道のりのこと。
普通に歩けば半日はかかってしまうのだが、その道を使えば二時間たらずで
着く事が出来る。
戦に必要な武器や食材の調達に使っているのだが、ここ最近は幕府の状態も
良くない為、支援してもらっていることを天人に気づかれにくい。
せっかく助けてもらっている村に迷惑がかからないので重宝している道だ。
「男がいるんだったら尚更。なにがあっても無事に帰してやんねェとな」
そう言い残して去っていく友を桂は黙って見つめた。
なにかが変わる予感を感じながら。
***
洗い物をしていたは、手元に掛かった影に気づき顔を上げた。
「銀時さま?」
そこにいたのは銀髪の侍。 名は、坂田銀時。
自分を助けてくれた二人のうちの白い方。と、記憶している。
「… さま はいらねェ。それより ちょっと散歩に付き合えよ」
「散歩?」
「麓の村まで」
「あ、ハイ…良いですけど?」
「おおーい、ジイさん! ちょっくらコイツ借りるぜ」
「ああ、かまわんよ」
「先生 行ってきまーす」
訳が分からないまま、さっさと歩き出してしまった後ろ姿を追いかけた。
隣を歩く銀時をちらりと見やりは小さく息をつく。初めて会った時以来
まともに話した事もなかったのだが、姿は良く見かけていた。
いつも、怪我人を背負って救護所へ来るから。
「銀時さん…」
「銀時で良い」
に合わせてくれているのだろう、ゆっくりと歩く銀時の横顔を見ながら
ふと疑問を口にすれば、ぶっきらぼうな口調で遮られる。
「じゃあ、銀時」
助けてもらったという事もあるのだが、歳も近く、他の攘夷志士たちよりも
話しやすい気がして、畏まった口調を改め聞き直すと満足げに笑う顔が見えた。
「なんだ?」
「村って、近いの?」
「ああ、ほんの二時間ちょっとだ」
「っ!? それ、全然近くないよっ!!」
さらりと返された返事にちょっとした遠出になった事に気づくが時既に遅し。
「そーかぁ?」
「もうっ」
「まあ、たまにはいいじゃねえか」
しかし、何でもない事のようにぼーっと空を見上げる銀時を見てるうちに、
たまには息抜きも良いかもしれないと思えて来るから不思議だ。
「銀時は…帰れって言わないのね」
「…言うやつがいるのか?」
「まあ、松本先生も困ってるみたいだし」
父親の代わりに、よかれと思って来たのだが、女の自分では喜んでもらえる
どころか返って気を使わせてしまった感も否めない。
迷惑がられているわけではないようだが、申し訳なさそうにされると、
の方が居たたまれない気持ちになってしまうのだ。
かといって相談出来る相手も居ず、実はほんの少し落ち込んでいた所だった
のだが、ただこうして自分に歩調を合わせ隣を歩いてくれる銀時に気が緩んで
しまったようで、思わず弱音が漏れてしまった。
「あっ…」
こんなことを言う筈じゃなかったのに、と後悔しても遅い。
驚いたようにこちらを向いた顔を見る事も出来なくて、俯いてしまった
の頭を大きな掌がそっと撫でた。
「言いたいやつには言わせとけ」
ぎこちない指の動きはきっと、普段し慣れていないからなのだろう。
「別に役に立ってないわけじゃねえし、
だいたい最初にジジイの方が呼んだんだろ?」
「…」
「今度なんか言われたらこう言い返してやりゃあ良い。
『かわりにどんな人だったら犠牲になっても良いんですか?』…ってな」
必死に言葉を探して励ましてくれる姿に、嬉しくて泣きそうになる。
「…そだね」
そんな事を言ってくれる人は今まで誰もいなかった。
褒めてもらいたいわけではないけれど、認めてくれる人が居るというのは、
何より心強いものだと初めて知った。
「でもね、銀時」
は下げていた顔を上げてしっかりと銀時に視線を合わせる。
初めて会った時はあんなに怖かったのに、今はこんなにも頼もしく思える。
この瞳の奥にある透明で澄んだ揺るぎないものが、間違いではなかったと、
分かったから。
「アン?」
「わたし、犠牲になったなんて思ってないよ?」
「…そうか」
「だって自分で決めた事だもの。…でなきゃ銀時たちとも会えなかったしね」
己がどんなに酷い怪我を負っていようが、微かでも息があるなら連れ帰る。
命すら顧みず戦っている侍のくせに。
矛盾しているようで、本当はあたりまえのその行為がどれほどすごい事か、
なんてわかりきっている。
でもそれを微塵も感じさせないこの男はまるで、掴み所のない雲のようで。
はもっと銀時を知りたいと思った。
「俺はもう怖くないか?」
「…うん」
その常に抑えられた表情からは銀時が何を考えているかは伺えない。
「何人もの命を奪ってきた鬼だがな…」
「けど、私を助けてくれた」
だが、誰より優しい事も知っている。
「まーな」
「それに、いつも一人でも多くの敵を減らそうと先頭を切って出て行って、
怪我した仲間を背負って最後に帰ってくる。…そんな鬼、怖くないよ」
驚いたように、こちらを向いたのが視界の隅に入った。
「むしろ尊敬しちゃう」
「……」
名を呼ばれて、トクンと胸が音をたてた。
この人に惹かれてはいけない。
その甘い音は、には警告のように聞こえた。
ここには彼らの手助けをする為に来た。
戦いが終われば、戻らねばならない場所がには在る。
…そして、隣を歩くこの男にも在るだろう。
自分の身を弁えねば。
「……いざという時はこの道を使って逃げるんだぞ」
「うん」
わかっているのに、切なくなる。
共には居れないと。
そう言われたような気がして。
だが、辛いからといって落ち込んでいてはせっかく自分を認めてくれた銀時
に申し訳が立たない。
だから、せめてここに居られる間は、笑っていようと心に決めた。
***
「見て見て、銀時!」
村で食事をごちそうになり休憩も終わって、そろそろ帰らねばならないのに
先ほどからの姿が見えない。
銀時が辺りを見渡して探していると、小さな掌から溢れそうなほどの饅頭を
持って駆け寄ってきた。
もしもの時はここに頼るのが一番だと思い、村の長に彼女を紹介したのだが、
人懐っこいは早くも気に入られたようで、村長とその奥方に菓子で餌付け
されたようだ。
たしか、一人娘を天人に殺されていて、それもあって銀時たち侍に協力して
くれていたのだが、きっと娘とだぶるのだろう。
珍しく大きな声で笑う初老の夫婦は楽し気に見える。
「銀時は甘いもの好きなんだねー」
帰り道、もらった饅頭を必死に頬張る銀時を見てが楽し気に笑った。
「んあ? ああ、糖分摂取は人類の義務だろうが」
「ふふ、おかしーの」
「おかしくねェ」
くすくすと笑いながら横を歩くは、自分の分の饅頭を2つに割り、銀時の
口元へと運んだ。
「じゃあ、おすそわけ」
はい、口開けてー?と、甘い音色と間近に迫った微笑みに負けて素直に口を
開けばその半分が放り込まれる。
「おいし?」
そのあまりにも真っ白な笑顔に、ドクリと銀時の胸が一際大きく音をたてた。
人並みの感情など、鬼と化した自分には必要ない。
なのに、身体は勝手に彼女の仕草に反応する。
「ああ…」
……あの日。
大切なヒトを奪われたあの日、自分たちのなにかが壊れた。
世界がモノクロに変わってしまった。
色鮮やかだった筈の景色を何一つ思い出す事も出来ないまま、今はこうして
極限の戦場に身を置く事で辛うじて理性を保っている。
苛酷さを増すこの戦はたぶん人並みの感情など持っていては生き残れない。
なにより、たとえ敵だとしても生きる者の命を奪う罪人には相応しくない。
だからこんな風に、この胸が暖まる事など有り得ない事だった。
…彼女と出会うまでは。
死神もきっと呆れてる。
いや、それともその手に堕ちる日が早まると喜んでいるだろうか。
「銀時」
「アン?」
「…なんでもない!」
にこりと笑うその笑顔にまた空の胸が音をたてた。
だがもとより修羅の道を進むと決めたこの身、秘かに想うくらいは見逃して
もらおう。
死神の手招きが見えそうな静かな夕暮れ時。
白き鬼の魂に火が灯った。
2007.12.05 ECLIPSE