近道 2
2006年クリスマス夢
一旦自宅に戻ったゲンマは、前日に用意したリュックを担いで部屋を出た。
忍の足でなら、跳べば一瞬。
の部屋とゲンマの部屋の距離はそれ位。
アカデミーから自宅までは跳んで来たのに、今その足は屋根ではなく大地を踏みしめる。
―― 少し落ちつかねえとな・・・。
仲間達のお陰で、と過ごす時間が増えた。
かなり遅くなると言ってあるのだから、は少し驚いて満面の笑みを見せるだろう。
自分が其処にいる事、それを喜んでくれる相手。
扉が開いた時の、の表情を思い浮かべると、思わず顔がにやける。
『風呂ぐらい入ってくれば良かったか?』
『あーそりゃまずいだろ、顔見るなり襲っちまいそうだ。』
頭の中で自分とそんな会話をしながら、ゲンマはブザーを鳴らした。
「俺だ。」
ゲンマの声が部屋に届くと、部屋の中から僅かな物音と玄関の明かりが灯る音。
鍵が開く音が聞こえて、扉が開いた。
「ゲンマ・・・早かった・・ね・・・。」
「あぁ、アイツ等のお陰でな。」
きっと最高の笑顔で迎えてくれる筈・・・だった彼女は瞳いっぱいの涙を浮かべて。
そんな出迎えも悪くない。
後手に扉を閉めて鍵を掛けると、ゲンマはを包み込んだ。
「ゲン・・・マ・・・。」
「どうした?」
「痛い・・・。」
「腹か?頭か?」
差し入れを受け取ったアンコは、そんな事言っていなかった。
もしかしたら、具合が悪くて執務室に来なかったのか、と一瞬にして分析を始めるゲンマのコンピューター。
「違う・・・。肘と、足の指・・・。」
「あ?」
「だって、遅くなるって言ってたからさ〜。もう、慌てちゃって。
したら、足の小指を柱にぶつけて、痛くてよろけたら肘ぶつけた。」
「・・・。」
「すっごい、痛いんだよ。知ってる?肘ってさ、変な所ぶつけると、き〜〜んってなるじゃない?」
「・・・。」
「そんで、足の小指だってめちゃくちゃ痛いんだから。」
喉を締め付けて、必死に堰き止めていたゲンマの笑い声が漏れ始める。
でもそれは堪えきれず一気に決壊して、の頭上に降りかかった。
「ほんとお前、そそっかしいな。」
「まぁ・・・それは認めます・・・。」
―― そこが可愛かったりするんだけどな。
「気をつけろよ。」
「はーい。・・・う〜痛かった・・・。」
自然と緩んだゲンマの腕からが抜け出すと、ゲンマはサンダルを脱ぎ始める。
「あとで消毒してやるよ。」
「へ?血、出てないよ。」
「そうか?」
「うん。」
頭を撫でて部屋に入っていくゲンマの後姿を見つめて、は玄関の明かりを消した。
―― 肘も、足の小指も凄く痛かったけど、涙の三分の一はゲンマの顔が見れたから。
「、差し入れあんがとな。昼飯も食ってなかったから、マジ助かった。」
「すごく忙しかったんだね。足りた?」
「ああ、丁度良かったぞ。」
アンコが喜んでた、ライドウが飛び付いた、と
の入れたお茶を飲みながら、今日の出来事をゲンマは話始めた。
―― 俺の一番食いたいもんは、まだ、だけどな。
真っ赤になって、千本ならぬ、縫い針が飛んできそうな一言を隠して。
入浴を済ませたゲンマが、タオルで髪を拭きながらの居るリビングへ戻って来た。
「ちゃんと、乾かさないと・・・寝癖つくよ。」
動いていた手がピタリと止まって、多分が話し始めた時に用意していた返事は、ずれた物になったのだろう。
でもすぐその手は動き出して、
「そんなすぐ寝ねーだろ。」
ニヤリと笑いながらそう言った。
「あ・・・まぁ、それは置いといて、ゲンマ、明日着ていく忍服そこに掛けてあるからね。」
ゲンマが部屋の壁を見ると、一式揃えられた忍服が掛かっている。
それは以前、ゲンマが此処に来た時に着ていた物。
綺麗に洗濯されて、プレスされて。
僅かな綻びが思わぬ隙を生む事もあるからと、が丁寧にチェックしたゲンマの忍服。
此処は忍服屋。
文字通り、売るほどあるし、忍服は制服のような物で、請求は個人ではなく里なのだけれど、
使い捨てなんて事はしていなくて、日常的な汚れは各々きちんと洗濯して落としている訳で。
「わりぃな。」
「あと、インナー系は持って行くんでしょ?少し。」
「ああ。」
「これ、暖かいの作っといた。薄さとか、軽さはあんまり変わらないから、感覚は鈍らない筈だよ。」
はゲンマのリュックの隣にインナーを置いた。
「いつ用意したんだ?」
「え?昨夜だよ。大丈夫、新素材真冬バージョンでも、人体実験済みだから安心して。水通しはしたし。」
そう言って笑うの腕を掴んで、強く引き寄せて。
「じゃなくて、オレが言いたいのは・・・。」
次の言葉を探すゲンマが、自分の不器用さに苦笑して選んだのは、
「さんきゅう。」という言葉と、その想いを込めたキス。
唇を離したゲンマはを肩に担いで、リビングの明かりを消した。
「ちょっ・・と・・・ゲンマ?」
「あーわりい、もう限界。」
寝室のベットにを横たわらせて、
「今夜は抱くって言ったろ。」
が黙って頷くと、ゲンマは彼女の震える唇に再び自分のそれを重ねた。
長い腕に抱きすくめられて、ゲンマの舌が入り込んでくる。
巧みな舌に翻弄されて、何もかも考えられなくなる。
ゲンマのシャツを握りしめて、必死に応えた。
「・・・。」
唇の隙間からゲンマが甘く囁いて、の唇をペロリと舐める。
顎を伝い、首筋を味わって、それでも確実にゲンマの片手はの夜着を剥がしていく。
肩紐をずらし、の肩を舐め上げて、布に覆われた胸をそっと包み込む。
ゲンマの唇が二の腕から肘まで下りて、
「赤くなってる。」
そう言うと、さっき壁にぶつけた箇所を丹念に舐めた。
の掌を持って、指先を口に含む。
僅かな感覚でも脳に伝える敏感な指先。
口内の熱さ、舌の滑らかさ、情報の全てが脳に送り込まれる。
「ひゃ・・・あ・・・ん・・・。」
「これ位で感じてたら、後が持たないぞ。」
ゲンマは笑うと、の足を持ち上げて、今度は足の小指を口に含んだ。
「・・・ちょ・・・そんな所・・・だめ・・・。」
「消毒してやるって言ったろうが。」
「・・・何とも・・・ないって・・・ば・・・。」
「オマエの全身、喰いてぇんだ。」
「もう・・・だったら、此処にして。」
が自分の唇に指を押し当てて、キスを強請る。
衣擦れを立てて現れたゲンマの裸に、心臓が高鳴った瞬間、素肌と唇が重なった。
ゲンマの掌で踊る胸の先端も、熟れた果実も、余す所なく食べられて。
はゲンマを体内に飲み込んで、二人は高みに登りつめた。
正月には戻って来れると思う、そう言ってゲンマが出立してから、早一ヶ月半以上。
日を追う毎に街のイルミネーションも華やかになり、其処彼処から聞こえるクリスマス・ソング。
明日はもうクリスマス・イヴで。
クリスマスが来るという事は、お正月も間近に来ているという事になり、街同様、の心も華やぐ。
今夜は店で雇っている女の子達と、今月二度目の忘年会。
飲み屋の前で別れて、は一人、大通りを歩いた。
あの日ゲンマと見たクリスマス・ツリーが煌きを放って立っている。
その前で写真を撮る人々、ツリーを見上げて寄り添う恋人達。
家に居る時は残り一枚になったカレンダーを見て浮き立った心が、少し沈んで。
―― ゲンマ・・・。
心の中でそっと呟いた。
街の流れに合わせて歩いているのに、自分だけ時が止まっているみたいで。
いつもならゲンマの声に耳を傾けているから、街の音がこんなに賑やかだとは気づかなくて。
明日は公休。
何処へも行かず、家でゆっくりしていよう・・・。
たかがクリスマス・イヴ。
この日に誰かと過ごさなければいけないなんて、決まりがある訳じゃない。
そう心で呟いて、は一軒のスーパーに入った。
華の国が産地のワインを選んで、店内をうろつくと、すぐに目に留まったカボチャ。
―― あー昨日食べるの忘れた・・・。
柚子湯だって入ってない・・・。
今年は風邪引くかも・・・。
日付が変わるのが嬉しくて、そんな風習が木の葉にある事をすっかり忘れてて。
目に留まったカボチャを一つ、籠の中に入れた。
会計を済ませて、外に出ると、一気に体が冷える。
ワインとカボチャと色取り取りの食材が入った袋を握り締めて、家路へと急いだ。
大通りからいつも通る近道。
静かで、互いの声も良く聞こえてた。
今日はいつもに増して、しんと静まりかえる。
でも街の喧騒より、こっちの方が何だか暖かい。
全て見通せる右側を少し寂しく感じながら、ゲンマを思い浮かべて。
袋を握る剥き出しの手が寒さに悴む。
衣替えの時、まだ早いなぁ・・・と思った手袋もそろそろ必要。
今は温めてくれるゲンマの掌がないから・・・。
袋を腕にかけて、寒さに痛む掌に、はあーと息を吹きかける。
一瞬だけ温まった掌を擦り合わせて、夜空に願い事をするように自分の顔の前で組んだ。
自分の命と共に在り続けた手。
それなのに、こんな感じだっただろうか?
薄くて、小さくて、なんだかスカスカする。
自分の手が華奢だとか、可愛いとか、自惚れているんじゃなくて、
この手を繋ぐよりも、ゲンマの手を繋いでいる方が多いから。
だから感覚が違って、心許ない。
「暖めてあげようか?」
不意に掛けられた声に顔を上げると、見知らぬ一人の男性の姿。
下を向いて、とぼとぼと歩いていたから、気が付かなかった。
後ろを振り向いても、誰も居なくて、それが自分に投げ掛けられたものだと漸く分かった。
「・・・あ・・・の・・・。」
「寒そうだから暖まっろうよ。一人なんだろ。」
「帰りますので・・・。」
右に行っても、左に行っても、道を塞がれて。
気持ち悪い・・・恐い・・・寒さとは別の震えが背筋を走る。
「すいません、退いてもらえますか?」
「ねぇ、いいじゃん。重そうだし、君の家まで持って行ってあげるからさ。」
「そいつ、オレじゃないと感じねーぞ。虚しい思いするだけだから止めとけ。」
突然、背後から聞こえた声に、体温が一気に上昇する。
後ろから回された腕に引き寄せられて。
「こいつ、オレの女。悪いが他当たれ。」
目の前の男が横を通り過ぎると、つむじにコツンと軽い一発。
「夜、一人でここ歩くなって言ったろ。」
目の奥が熱くなってきて、景色が滲んで見える。
ゆっくり振り返ると、見慣れた忍服。
そして見上げると、少し怒った顔をしたゲンマ。
「ご・・め・・・っ・・。」
堪えきれなかった涙が一滴、零れ落ちた。
それをゲンマが親指で拭ってくれて。
ゲンマの手がとっても温かくて。
「本当にゲンマだよね。本物だよね。」
「オレじゃなかったら誰なんだよ。」
「だって・・・みんな変身したりするから・・・。」
「変身ってな〜変化だろ。」
まあ、いいか、と笑うゲンマの頬に手を当てて確かめる。
いつもはキチンと剃られている髭の感触がゾクリとした。
「ゲンマ・・・髭生えてる。」
「オレだって髭くらい生えるって。それよりオマエの手、冷てーな。」
ゲンマは自分の頬に添えられた手を握って、腕に掛けていたスーパーの袋を持ってくれた。
繋いだ手をポケットに突っ込んで「行くぞ。」と声を掛け歩き出す。
「明日はゆっくり出来るからよ。」
「お正月辺りに戻るんじゃなかったの?」
「ああ、任務が少し早く片付いたってのもあるし、に会いたかったし。
何しろオレが居た部隊全員同じでよ。」
「なにが?」
「どうせなら、好きな女とイヴを過ごすかって・・・。野郎ばっかの所に居たしな〜。
しかも森ん中でっつうのは虚しいものがあるぞ。だから休まず帰って来た。あ、途中船ん中では休んだけどな。」
任務先が何処だかは聞いてない。
此処より寒い場所という事だけ。
周辺の国々の気温はそんなに変わらないし、船を使ったという事はかなり遠い所。
大陸に着いて、休まず帰って来たなんて、すごく無理をしたんじゃないかと思う。
でもこの言葉は禁句。
ゲンマの体の事を思ったら、無理はしてほしくないけど、
無理をして帰って来てくれた事が嬉しい自分が居る事も事実。
髭だって伸びるはずだよね。
アスマさんみたいに立派じゃなくて、坊主頭みたいな髭なんだけど。
「おかえり、ゲンマ。無事に帰って来てくれて、凄くうれしい。」
「おう、ただいま。」
「あと・・・当たり前だけど、会えて嬉しい。」
笑ったゲンマがポケットの中の手を握り締めてくれたから、私もそれに応えた。
「オレの部屋来るか?」
「ん〜ゲンマ、自分の部屋で寝たい?」
「オレはが居りゃ何処でも。」
「じゃ、私の部屋に来ませんか?」
「ああ。勿論。」
ゲンマの部屋を通り過ぎて、もうすぐ自分の部屋。
任務に行く前に通った時は、あんなに短く感じた距離も、今は長く感じて。
早く部屋に着かないか、と気が焦る。
やっと近づいた自分の部屋。
待ちきれずに、繋いだ手をすり抜けて、バックから鍵を出して開けた。
「そんなに慌てるとまたぶつけるぞ。」
後ろに立つゲンマを見ると、何だか可笑しくて、顔が笑う。
「なんだよ。」
「だって・・・ゲンマ、サンタクロースみたい。」
白い大きなスーパーのレジ袋を肩に担いで、髭生やして。
「あんな爺さんじゃねえぞ。」
「まあ・・・そうなんだけどね。でもそんな感じ?」
「そんな感じ?ってなー、ペナルティ2。」
「なんでー。」
そう叫びながら部屋に入る。
「オレを爺さん呼ばわりした事と、ナンパされた事だ。」
テーブルにそう呼ばれた原因の袋と、自分の荷物を置きながらゲンマが答える。
「えーあれは私のせいじゃないと思うんだけど・・・。」
「一人で歩くなって言ったの、もう忘れたのか?」
「あ・・・。」
「これで3個目だ、お仕置き確定。今夜は覚悟しろよ。」
「えっとですね・・・お疲れの所、無理しない方が良いのでは?」
「またそれ言うか?」
「へ?・・・あ・・・。これは言葉の文でして・・・。」
「ほ〜文ねえ。まあ、何事も体で覚えるのが一番だからな。」
グイっと引き寄せられて、ゲンマの唇が重なった。
首筋に落ちた唇が動くと、少し伸びた髭の感触に嫌悪とは違う鳥肌が立って目を瞑った。
「へえ〜なるほどな。」
耳元で囁くゲンマの低い声と、髭の擦れる音が直接響いて、思わず声が上がる。
「・・・ぁ・・・っん。」
「すげえ、いい表情。マジでいじめたくなる。」
その声に我に返って、ゲンマの腕を振り解いた。
「・・・お風呂・・・入れてくる・・。」
上ずった声が恥ずかしくて、逃げるように浴室に飛び込んだ。
その後、お風呂から上がって来たゲンマの髭が、何でだがそのままで。
髭は朝、剃るものなんだろうと一人納得して、自分もお風呂に入った。
気に入らなかったみたいだけど、本当にサンタクロースだよ。
ゲンマがサンタで、プレゼントはゲンマと過ごす時間。
私が一番欲しい物をちゃんと分かってくれてた。
明日は今日買ったカボチャでケーキを作ろう。
ゲンマに手伝ってもらって。
ね、ゲンマ・・・。
次の日の昼間、陽気に台所に立つゲンマの隣にが居なかったのは・・・
ケンカをした訳じゃなくて、仲が良すぎたのが原因なんだけど、それはまた別の場所で。
Merry Christmas
サンタが街に帰って来た。
BGM hazy moon