近道 1
2006年クリスマス夢
「里外?」
「ああ・・・。」
時は流れ、木の葉舞い散る季節。
彼の忍服は捲り上げていた袖を伸ばし、行き交う人々は一枚、もう一枚と服を重ねて。
街の大通りには大きなクリスマスツリーが、早々と来月のその日を待ちきれず光を放つ。
どれ位なの?と、聞きたくても聞けない質問を胸に秘めて、はゲンマの隣を歩く。
「今回は・・・長いかもな。」
心の問に、少し寂しそうな顔をしたゲンマが答えた。
「いつから?」
「明後日の朝、発つ。」
「風邪引かないでよ。あ、毎日のようにカボチャ食べてる人は風邪引かないか。」
「・・・此処が風邪引くかもな。」
ゲンマの片手が自分の胸を叩いて。
「えっ・・・?ゲンマでもそういう事言うんだ。」
「悪いかよ。」
照れくさそうに前を見つめるゲンマの掌が、またポケットの中に消えた。
「ううん。悪くない。逆に嬉しい。」
帰りを待つ自分だけではなくて、旅立つ彼も寂しいのだと言ってくれた事が嬉しかった。
彼は忍で、自分はその任務の一旦に関わってはいるけれど、一緒に行く事は出来なくて。
繰り返される日常に取り残される自分と、そうではない彼。
相手を想う時間の長さは違うかもしれないけど、その密度は同じだと教えてくれた気がした。
「行く先は寒いの?」
「あ、まあな。木の葉よりは・・・もう雪が降ってるだろうよ。」
「そっか、じゃ、いっぱい風邪引いてきて。」
「オマエさっきと言ってる事が逆だぞ。」
「だって、私を想って引いてくれる風邪でしょ。だったらいっぱい引いてね。」
「・・・。」
「ん?」
「その前に予防薬・・・。」
名前を呼ばれて見上げるの唇に、ゲンマの唇が降りて来た。
軽く重ねて、再び前を見つめる。
「寄ってくかって言いたい所なんだけどよ、片付けなきゃなんねえ仕事が残ってるから、アカデミーに戻る。」
ゲンマと食事をした帰り道。
いつも通る、大通りから外れた脇の小道。
二人共、自然と足がこの道を選ぶようになっていて。
人通りの少ない、二人になれる道だけど、家までの最短距離。
道を抜けるとゲンマの家がすぐそこで、自分の家もゲンマの家から然程離れていなくて。
二人になれるのは嬉しい、けどもう少し一緒に歩きたい。
距離の長い大通り沿いに歩いても、この小道を歩いても、想う事は一緒。
『二人で居たい。』
ただそれだけ・・・。
「あ、ごめんね。だったら食事の約束、守らなくても良かったのに。忙しいのに無理・・・」
「オレが会いたかったんだ・・・。」
の言葉を遮って、ゲンマの言葉が重なった。
「明日の夜、おまえの家に行く。遅くなるかもしれねぇけど、いいか?」
「うん。」
もう一晩、一緒にいれる。
沈みきった心が少し浮いて、でもその一夜が過ぎてしまえばと思うとまた沈む。
『明日また会える』そう思っていられる、今の時間が長く続けばいいのに。
そんな思いを込めて、ゲンマの腕に回した手の力を少し強めた。
だけど、その思いを悟られてはいけないと笑顔で隠して。
「無理しねえで寝ちまってていいぞ。も仕事あんだし。」
「起きて待ってる。無理なんかじゃないよ。だってゲンマの顔見たいもん。」
「だろ。」
「?」
「無理じゃねえだろ。オレも同じだ。」
仕事の合間を縫って、睡眠時間を削って、その時間のやりくりは大変かもしれない。
でも、好きな人に会えるなら・・・愛する人と一緒に居れるなら・・・
それは無理じゃない。
「そうだね。ありがとう、ゲンマ。」
「まあ、でもほんとによ、眠かったら寝ちまっていいぜ。オレは寝顔で満足。」
「え〜やだ。寝ない。」
「・・・なんてオレがマジで言うと思ったか?明日はお前を抱く。その後、オレの腕ん中でゆっくり寝ろよな。」
「・・・う、うん。宣言されると照れるんだけど・・・。」
小さく言った最後の言葉にゲンマは少し笑って、右手がの頭を自分の左肩に引き寄せた。
周りの景色が段々と自分の家に近づくのがイヤで、
ゲンマの腕をぎゅっと抱え込んで、彼の足と地面ばかりを見て歩た。
でもその足が止まって、僅かだけど視界に入る景色が、此処はもう自分の家なんだと言っていた。
「明日全部終わったら来るからよ。の家から任務に出る。」
「分かった。待ってる。」
「おっと・・・。」
を抱きしめかけたゲンマの身体が少し離れて、
「今日はこれで我慢しとかねぇと・・・」
そう言いながらの額と頬に口付けた。
「やっぱ・・・押さえが効かなくなっちまうな・・・。」
頬に軽く添えられていたゲンマの掌が、の髪に滑り込んで、身体を抱きしめる。
「・・・ゲンマ・・・。」
自分の心臓に囁くの唇を吐息ごと奪って。
一つだった大きな影が長さの違う二つの影になり、ゲンマは「じゃあな。」と片手を上げる。
「どうした?」
いつもなら、すぐ動き出すを不思議に思って、ゲンマが覗き込んだ。
「今日は見送るの。いいでしょ?」
家に入って、扉を閉めたら、彼の姿は見えなくなってしまう。
少しでも長く、ゲンマを見ていたいから。
「ああ。ちゃんと鍵閉めろよ。」
「うん。仕事頑張って。」
「おう、ありがとな。」
笑顔で話すゲンマの体が少しづつ小さくなって、くるりと背中を向けると益々小さくなっていって。
アカデミーに続く曲がり角、そこに差し掛かると、
もう一度右手を上げたゲンマが高く飛び上がり、夜空に溶け込んだ。
―― ゲンマが好き。
たまらなく好き。
幼い頃、心に蒔いた恋という種。
僅かに芽を出したまま、そこだけ時が止まって。
再会した7月。
今までの時間を取り戻すように急速に育っていったそれは、大きな華を咲かせた。
胸に咲く華を愛しみながらが眠りに付いたのは、かなり夜も更けてから。
明けて翌日、夜の帳が降りた頃。
「おーい、差し入れ〜!!」
ニタっと笑ったアンコが大きめの紙袋をかざして入って来た。
「腹減った・・・」
と机に突っ伏すライドウに、
「そうですね・・・ゴホッ」
と咳のオマケを付けたハヤテが答える。
顔を上げたアオバは、ずれた眼鏡を治して、
「そういや昼飯も食ってなかったな。」
ゲンマが思い出したかの様に口を開いた。
今まで書類と睨めっこ。
忙しさがまたそれを呼ぶのか。
片付けては増える仕事の山。
固まった体を解しながら全員席を立ち、アンコが応接セットのテーブルに並べた料理を取り囲む。
「お〜美味そう。」
数種類のサンドイッチと唐揚げに、最初に飛びついたのはライドウ。
見覚えのあるパンと唐揚げに少しだけ表情の緩むゲンマ。
「どなたから頂いたんですか?ゴホッ」
資料室に探し物をしに行ったはずのアンコが作ったとは考えにくい。
いや、料理を作って振舞うというよりも、この中の誰かに「何か買ってきて。」と頼む性格だ。
「ゲンマは分かったみたいよ〜。」
「あ、ではさんですね。」
「そ、そ。受付に居たから声かけたのよ。これ持って来ててさ。
で、此処に勧めたんだけど皆で食べてって帰ちゃった。」
所謂お誕生日席という位置にある、一人掛けのソファーにドカッと腰を降ろして、
アンコは小さな紙袋を取り出した。
「おーおー流石、私の〜。よく分かってる〜。にっしっしっ〜。」
紙袋の中身を覗き込んで、今日一番の笑顔を見せたアンコ。
女性の少ない職場に、新しく入った同性の忍服屋。
今では歳の差を感じさせず、数年来の親友のように仲が良い。
「これは最後のお楽しみ〜。」
袋から取り出したのは、やや小ぶりのコッペパン。
まだ暖かさの残るパンの間に、たっぷりと挟まれている大好きな餡子をニタニタと見つめ、
ロールサンドに手を伸ばす。
「あ、やっぱパン美味しい。」
「そうなんですね。ゴホッ。中身もたいへん美味しいのですが、このパンがとても。
どちらのパン屋さんでしょう?」
「ん〜、パン屋。」
「はい?」
「なんだ?」
次を頬張ってアンコが返事を出来ないでいる間、ゲンマを除いた他の三人は顔を見合わせる。
「さんは忍服屋さんなのでは?」
ハヤテの問い掛けに、漸く飲み込んだアンコが話始めた。
「ほら、ってさ、華の国に住んでたじゃない?だからパン作るの上手いんだよね〜。」
「あ、なるほど、そういう訳ですか。」
幼い頃、親の転勤で、華の国というファッションと芸術の都に引っ越した。
そこでは資格を取り、忍服屋になった。
華の国は他にも賞賛される顔を持つ。
それは食文化。
「何かを作る、っていう才能に恵まれてるんだよ、。」
今度は長方形に切り揃えられたタマゴサンドを口に運んだ。
あっという間に紙製品だけになったテーブルの上。
適度の満たされた腹八分目。
眠くもならず、体を動かすのが億劫でもなく、これからまだ仕事の残る身には丁度良い筈なのだけれど。
もっと食べたい、そう思いながら全員に感謝した。
後片付けをするアンコとハヤテに、ちょっかいを出すライドウとアオバ。
「なに〜アンコ、よくちゃんのご飯食べてるってか。ずるいぞ。」
「いいだろ〜。上手いよ〜の料理は何でも。ハハハ、羨ましがれ。」
それをチラリと見たゲンマは、楊枝を咥えて。
「ほうれんそう料理もね〜ゲンマ。」
アンコの不適な笑みに「うるせえ。」と足早に自分の席へ戻った。
「で・・・。」
「抜かりなく。」
「はい。ゴホッ。」
「少しづつだけどしてる。」
密かに語る四人には気づかずに。
「これは終わりだ。次・・・。」
ゲンマが仰ぎ見た空き机には、低くなり始めていた書類という名の氷山が音もなく融けていて、
残るは水面に浮かぶ薄氷。
幾つかの仕事を抱えては机に張り付き、片付いたら取りに行く。
今回は分担せず、それを繰り返していた。
自分の能率が悪くなったかと、時間を確認すればそんな事は無く。
ゲンマが立ち上がろうとするよりも早く、間近の席だったハヤテが、咽ながら書類を手に取った。
「ゴホッ、ゴホッゴホッ。こちらと、こちらは明日でも平気なようです、ゲンマさん。私がしておきます。」
「私も終わった〜。」
「こっちもだ。」
「俺も。」
「皆、随分と早えな。」
ゲンマは仕上げた書類を再び揃えて立たせると、それは机という舞台で小粋なタップを打ち鳴らす。
「案外、サラッと終わるのがあってね〜。ゲンマ、はずればっか引いてたんじゃないの〜?」
「俺が明日、ちょい早めに来てまとめとくから。」
「らっき〜。あ〜じゃ、帰ろ、帰ろ。」
アンコは既に扉を開けて、みんなを手招く。
「悪いな、ライドウ。」
ゲンマが並んでそう言えば、
「任せとけ!」
と彼は笑顔で答えて。
静まる廊下を抜け建物を出ると、冷たい空気が肌を刺す。
「ゲンマ、明日から里外だな。」
「やられるなよ〜」
「ミスるなよ〜。」
「ゲンマさんお気をつけて、ゴホ。」
ゲンマは誰に向かって言っているのだと、笑い飛ばして。
「オレ急ぐから、先帰るわ。明日から頼んだぞ。・・・ありがとな。」
最後の言葉は風に乗って運ばれ、ゲンマの姿はすぐに視界から消えた。
これにて、特別上忍四人の極秘任務は終了。
氷山は融けてなくなったのではなく、四つの流氷になっただけ。
たどり着いた先は、今残る四人の引き出しの中。
「何か・・・言ったよね、最後。もしかして・・・。」
「ゲンマだからな。」
「ゲンマさんですからね。」
「目的は遂行されたんだから、いいんじゃないか?」
「だね。」
「ああ。」
「そうですよ。ゴホッ。」
任務目的―― 不知火ゲンマ特別上忍の早期帰還。
依頼主の居ない任務だけれど、ちゃんと報酬はあって。
姿を隠す寸前に見せた、彼の滅多に見れない表情と、感謝の言葉。
そしてきっと、これから彼に見せるだろう、もう一人の仲間の笑顔と、それに答える彼の笑顔。
仲間を思う気持ちが強い二人だから。
面と向かって“先に帰れ”と言うよりは、と計画した極秘任務。
極秘の内に終わらなかったみたいけれど。
でも彼は騙されていないようで、騙された振りをするはず。
ペースの戻った自分達に、
『オレが外に行ってる間、鈍ったんじゃねぇか?鍛え直してやる。』
そう言って、悪戯に笑う顔を浮かべて、四人は来た道を引き帰す。
どうか、無事に・・・。
各々言葉は違うけれど、任務に発つ仲間に対していつも思う事、これを胸に秘めながら。
「さて、もういっちょ頑張りますか。」
そして、各自引き出しに忍ばせていた仕事に取り掛かる。
―― ったくあいつ等・・・。
冷えた体に、温かくなった心を抱いて、ゲンマは屋根の上を跳んだ。
BGM 最後に見せた涙