暦の上ではもう、秋。
夜風に若干混じる冷たいさざ波は、ここが里へ続く深い森の中だからだろうか。

上を見上げれば、木々の隙間から、満ちた月が顔を出している。
樹木の種類や枝葉の付き方が違うだけで、さっきから代わり映えしない森の景色は、
カカシの移動速度が速い為に、伸びた枝が侵入者を阻む包囲網のようだ。
残像として残る濃い葉の色は途切れる事無く、暗い景色が次々と後ろへ流れていく。

その速さの中で、そこに有り続ける月。
ずっと着いて来る月を再び見上げると、いつもの満月では見えない小さな点が見えた。
それが徐々に徐々に大きくなって、光輝く舞台で餅をつく兎を、黒く覆い隠した。






LIFE 5
  〜 夜明けの太陽 1 〜





その黒い物の正体を見極めたカカシが、肘を曲げる。
暗所に強い目と、人の耳では聞こえぬような、微かな衣擦れの音でも捕える
驚異的な聴力がそれを助け、カカシの位置を正確に捉えれば。
その小さな訪問者は、静かにカカシの腕へと降り立った。

里への帰還中に訪れる忍鳥には、眉頭を寄せる報告や連絡が多いけれど。
今日は里切っての隼ではなく、丸い顔を自在に操るフクロウ。
カカシの腕に停まりながら首だけを動かして、その鳥は
カカシの後方を跳んでいた木の葉の忍達に顔を見せた。

「カカシさん!!任務ですか?それとも」

急かす同僚に、まぁ待てと慌てる様子のないカカシ。
本人よりも、回りが騒いでいた。

その日が近いのは、多くの同僚達が知っている。
取り分け今夜は満月。
その可能性が高いと思っているけれど。

くるりと巻かれた小さな紙をカカシは左手で開いて、綴られた言葉を目で追えば、
待ち切れない同僚が横から覗き込み、簡易な暗号文を即座に解読する。

「どっちだ」と問い掛ける仲間に対して、覗き見た仲間が「始まった」と告げた。







数日前、場所は火影執務室。

「こんな時期に悪いが任務だ」
「いえ」

言葉とは裏腹に、詫びた風でもない綱手が、任務依頼書をカカシに手渡すいつもの風景。
その日を迎えるまで、任務に出る事無く、長期間里に居られるとは、端から思っていないけれど。

「な〜に、心配するな。私が付いてる」
「心配はしてませんよ。綱手様が付いて下されば安心です」

受け取った依頼書に目をやりながらカカシは答え、紙に書かれた情報を記憶装置に入れた。

「経過は順調。もう何時産まれても大丈夫だ。それに、なんせあの尻だからな」

カカシが依頼書に目を馳せている間、綱手は笑いながら、そして最後の言葉を
何故だか自慢気に、満足そうに話す。
任務内容に鬼気迫る物がないから、余計な雑談が交るのかもしれないが。

しかし、“あの尻”に含まれた語彙に、カカシの目が笑って、でも少し困ったように細くなる。

「褒め言葉だぞ」
「分かってます」

カカシが即答したのも訳があった。



の中で目覚めた我が子は、元気に伸びでもしているのか、
大きなお腹に出た小さな波を、がカカシに見せた時。
もうすぐ会えるねと、が子供とカカシに話しかけて、検診の報告を夫にした。

『 順調だって。今日は綱手様に診て貰ったよ。良い骨盤だって褒められた 』
『 そう。そうだよね〜。オレ好みの安産型だもんね。のオ・シ・リ 』
『 あーッ、安産型って、今の女の子には、あんまり嬉しい褒め言葉じゃないんだよ。
  それ若い子に言ったら、カカシ怒られちゃうからね 』
『 そんな事誰に言うのよ。それじゃオレ、セクハラオヤジ街道まっしぐらじゃないの 』
『 それもそっか 』

妊婦に安産型の称号は不名誉な事ではないから、はニコニコと笑っていた。
小さく肉付きの極めて少ないヒップは、見栄えが良いのかもしれない。
特に女性の間では。
でも、やわらかくて、まるくて、夫好みの質量を持った妻のおしりは、魅惑的で気持ちが良い。
それ故にカカシはよく手を伸ばし、叩かれるのだが。



机に肘を付いていた綱手が、椅子の背凭れに体を預けて足を組んだ。

「その時は連絡入れるよ」
「はい」
「そろそろ同行する奴等も此処に来る時間だ。
 隊長は分かっていると思うが、お前だな。副隊長は──────」








眼球を動かせない代わりに、気用に動く頭を、くるり、くるりと回転させて、フクロウはカカシの事を見ていた。
その姿は、どうしたの?と何度も聞いているみたいに。

「急ごう!」

先に叫んだのはカカシの同僚達。
すでに、里から現在地までの距離を記した紙も用意して、副隊長がフクロウの足に留めた。

「翔べ!!」

掛け声と共に振り上げたカカシの腕から、忍鳥が飛び立つ。

「私用で悪いケド……」

急ぐ理由は明確にも関わらず、カカシが一言告げようとすれば、
風のように同僚達はカカシを追い抜いて行く。

「早くしないと、置いてきますよ!!」

届いた言葉は夜風に乗って。
音源は見え隠れしながら、もう遥か先を跳んでいた。








大門の内側で、サクラが大きく手を振っている。

「カカシ先生、お帰りなさい。もうすぐです。急いで木の葉病院へ」
「ああ」

カカシ達が一呼吸置いている間に、サクラはメンバーを見渡した。

「この隊の副隊長さんは?」
「俺です」

一人の男が軽く手を上げる。

「任務完了の一報と、先ほどの連絡は届いています。
 綱手様から、報告書は午後一に届けろと言付かっていますので」
「了解」
「悪いね」

報告書作成を逃れたカカシが、ニコリと微笑む。

「グズグズしてると、産まれちまうぞ」

父親不在でも出産に支障はないけれど、やはり。

「カカシ先生、急ぎましょう」

医療忍者ぶりも板に付いてきたサクラに促され、カカシは飛び上がる。

「後、ヨロシク」

手を振る同僚、親指を立てて見上げる同僚、様々な見送りにカカシは細めた瞳で答えて、
サクラと共に木の葉病院へと急いだ。

「サクラ。遥菜はどうしてる?」
「さっきまでは私と一緒に居ましたよ。今は分娩室の前で待ってます」
「そう。ありがとね」

紺青の空に瞬く星と金色の月が、カカシ達を煌めかせた。








里には木の葉病院だけでなく、個人病院もある。
接骨院に耳鼻科に歯医者、皮膚科に内科に小児科、そして産婦人科や助産院。
里に住まう一般人たちは色々使い分けいて。
忍者達が病院送りとなるのは、大抵木の葉病院だけど。

がその中で選んだのは、木の葉病院で。
吉報を届けたシズネに、綱手が病院へ跳んで行ったのは、が今回の妊娠で初めて病院を訪れた時。
嬉しそうな綱手の笑顔に、は幸せを噛みしめた。
勿論、長である火影への報告は、カカシと正式にするつもりだったけれど。

それから数か月。
臨月を迎えたに出産の兆候が現れた今夜。
最初の時と同じように、綱手は病院へと跳んで行った。




子宮口はもうすぐ最大。
でも破水はまだだった。
痛みに耐えようと力が入ってしまう身体を、助産師さんが和らげてくれる。
いきみたいけど、いきんじゃいけない。
今が一番しんどい時。
分娩が始まれば逆に楽なのだ。
この最大ランクに位置付けされる痛みも、喉元過ぎればなんとやら。
すぐに痛みなど忘れ、良い思い出に変わる。

念の為の血管確保を終えたシズネが経過を書きこんでいると、受付から無線が飛び込んできた。

「カカシさん到着です!!」

その時の身体から、風船の割れるような音がした。

「破水です。………子宮口10センチ。最大になりました」

助産師がそう告げれば。

「まるでカカシを待ってたみたいだな」と、綱手も臨戦態勢に入る。





「お父さん!!」

分娩室前に居た遥菜が父とサクラを見つけて、長椅子から立ち上がった。
サクラはカカシより一足早く奥へ進み、遥菜に笑いかけて横を通り過ぎた。

「おかえり」
「ただいま」
「もうすぐみたいだよ」

微笑む娘にカカシも微笑みかけて。
二人の視線は分娩室の扉に向けられた。


僅かに聞こえてきた妻の声は、やはり例外なく苦しそうで。
自然とカカシの拳に力が入った。
それは妻と我が子に対する、祈りの表れ。


そしてその後届いたのは、歓喜に沸く声と気配。




…─────────────!




産声。


ドア越しで小さいけれど、元気な泣き声が聞こえてくる。

「……お父さん……。うま…れた?産まれたよね!!」

ぽんと遥菜の頭に手をやって、見上げる娘に、カカシは最大級の笑みを見せた。

泣き声が嬉しい。
元気に泣けば泣く程に。

嬉しい泣き声が止まった時、分娩室の中の子供は、の胸に抱かれていた。

産湯に浸かって、身長と体重を測られて、足に母の名前が付けられる新生児。
胎盤を出すという もう一つの仕事も終わって、が天井を見上げている時に、シズネが声をかけた。
後一、二時間、はこのまま。まだ動いちゃいけない。

「綱手様が一番美味しい役目ですよね」
「え?」
「産まれた子供を父親や家族に会わせる役」

シズネはファイルを抱き、そう言いながら肩をすくめた。

耳を澄ませば、みんなの声が聞こえる気がする。

カカシはどんな顔をして抱くんだろう。
きっと遥菜の時のように、おっかなびっくりで。
産まれたての赤ん坊を抱くのは、誰だってそうだと思う。
百戦錬磨の助産師さんたち以外は。

でも今度は、あの時と少し違うはず。

穏やかに、幸せそうに、でもちょっぴり照れくさそうに笑って、
幾つもの命を守って来たあの腕が、優しく包み込むんだ。

実際見ていないけれど、目を閉じれば、そんなカカシが目の前に居る。

が目を閉じて幸せそうに微笑めば。
それを見たシズネは、ドアを見つめて静かに微笑んだ。





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