オレンジの光を放つガラス球が黒い線に沿って連なり、モーターの低い音が喧騒に混じり合う。

ソースの香りに、ふわりと流れてくる甘い香り。

「あ!クレープだ。無性に食べたくなる時があるんだよね。」

木の葉神社の鳥居を潜って。
左右に並ぶ出店を見ては、無邪気に表情を変えるの肩をゲンマがそっと包み込む。

「でも、まずはお参りだね。」

境内の一番奥。
木製の賽銭箱に小銭を投げ入れて、二人は願い事を一つ囁いた。







夏祭り 中編







「ゲンマ食べるの早い〜。」

陽気に笑う親父さんから、たこ焼きを買ったのは、ついさっきの事。
拝殿横の石段に腰を降ろして、それぞれ小船に見立てたトレーの中身をパクつく。

「慌てて食わなくていいぞ。ゆっくり食え。」

ゲンマはそう言い終わると、残り一個のたこ焼きを口の中に放り込んだ。

「うん。熱っ・・・。」
「もう熱くねえだろ?」

食べ終わったゲンマはいつもの楊枝ではなく、竹串を揺らしながらを覗き込む。

「熱いよ・・・。」

これでも大きめのたこ焼きを半分に切って、冷ましながら食べているというのに。

「オマエ、そこまで猫舌だったか?」
「猫舌は猫舌だけど・・・う〜ん・・・。」

ゲンマの舌が丈夫過ぎるんだと言わんばかりに、はそこから丸いたこ焼きを一つ吊り上げた。

「ホントに熱いんだってば。ちょっと食べてみて。」

怪訝そうな顔をするに、ゲンマは口に咥えた竹串を外し、何の躊躇いもなく一口でそれを口の中へ納める。
一瞬の間を置いてゲンマの息が乱れ始めた。

「ね?熱いでしょ?」

クスっと笑うが、同時に買ったお茶をゲンマに差し出した。

今彼がどのような状態か、手に取る様にには分かる。
こんがりと焼けた表面は空気に晒され温度を下げてはいるものの、その中心は高温を保ったままなのだから。

口の中で割れたたこ焼きの意に反した熱さに、ゲンマは口を開いてハフハフと冷ましながら、の差し出したお茶を受け取った。
ゴクリと口の中身を飲み込み、次いでお茶を流しこんで、漸く落ち着いたゲンマが話し出す。

「オマエのあちぃ。あのオヤジ、には焼きたて寄こしたんだな。俺のはこんなに熱くなかったぞ。」
「そっか、取り換えっこすればよかったね。」

はたこ焼きに視線を落として、半欠のそれをまた一つ口の中に隠す。

「・・・サービスのつもりだろ。」

ゲンマの言葉と重なるようにして、一時大きくなった境内のざわめき。
聞き取れなかったが「ん?」と小首を傾げて聞き返した。

「いや、なんでもねぇ。」

男の思考回路は自分も男だ、よく分かると。
二つ共支払は自分。
だけれど屋台の親父は個々にそれを手渡した。
それが意味する事はきっと一つ。
だがに、態々教えてやる事もない。
隣に座っているのは“俺の女だ”と心で呟き、ゲンマは薄っすらと笑みを浮かべた。




「ん〜美味しかった。御馳走様。」

たこ焼きと、その代金を払ったゲンマの両方に向けてはお礼を述べて。
下駄の音を弾ませながら、二つのトレーをゴミ箱の中へ落した。


空に輝く一番星。
水色だった空は深みを増し、夕日の緋と藍色が溶け合う。

同時に立ち上がったゲンマは、空に向けていた視線をに戻して自分の帯に指を掛けた。

「そろそろ行くか?」
「うん。・・・って何処で見ようか?」
「打ち上げはこの近くの演習場だ。間近で見たいか、それとも離れた場所がいいかだな。」

火影岩の正面から直線状に位置する演習場で打ち上げられる花火は、程木の葉全域から見る事が出来る。

「う〜ん・・・。どっちも惹かれる。演習場で見れるの?」
「ああ。打ち上げ会場以外の安全な所は解放されてる。」
「・・・安全じゃない演習場って・・・・・・。」
「まぁ、色々あるってこった。」
「へぇ・・・そうなんだ。」
「とりあえず先に演習場行ってみるか?」
「うん!」

来た時よりも賑わう神社の境内。
くの字に曲がったゲンマの腕をがそっと掴んで、二人は演習場に向かった。










葉音を起てる事なく、ふわりと流れる夜の風。
今宵は湿度は低めだが冬の軽さとは違って、夏特有である空気の重さを肌で感じる。

仄暗い沿道には数件の出店が立ち並び、光に吸い寄せられる人影二つ。

各地の神酒所から聞こえて来ていたお囃子も今では遠退き、演習場に付く頃になると藍色の夜空が自分を飾る花を待っているようだった。


打ち上げ会場より程良く離れた観覧スペース。
その中心では幾つかのグループが輪を作り、既に宴会が始まっていた。

そこから少し離れて。
植え込みのすぐ近く。
運良く空いていたベンチに二人は腰を下した。


ふんわりと盛られた白に、銀色のスプーンで掛けられた赤がその形を少し崩して染み込む。
先を丸く切ったストロー。
背凭れに腕を伸ばすゲンマの横で、涼しげな音が鳴る。

「ゲンマも食べる?」

は雪の音を立てながら一つ掬って。
ゲンマは特に何も言わず、パクリとそれを食べて。
正面に戻ったが何度か自分の口に運んでと、何回かそれを繰り返し。
最後は残り少なくなった溶けた氷を一気に飲み干すと、の身体が強張った。

「んっ・・・。」
「あ?」

ゲンマの発声には片方の瞳を閉じ、上目使いで彼を見上げる。
そして両方の瞼が閉じたかと思えば、首を引き、肩を上げて、身を細めて。
くぐもった吐息が再びの喉から洩れた。

それは何度も見て来た表情と仕草を思わせるもので。
重圧を掛けていたゲンマの衝動に揺さぶりをかける。

「んっ・・・。キ〜ンって響いた・・・。」

月の光がゲンマの身体で遮られ、爆音と共に湧き上がる歓声。
反射的に顔を上げれば、夜空に浮かぶ今年最初の花火と、いつもより熱く感じる唇の感触。
ゲンマは軽く重ねたまま、に言葉を注いだ。

「オマエの唇、冷てぇ・・・。」

言い終われば、途端に噛みつくようなキスを何度も繰り返す。
自分の口内での唇を丹念に舐め回し、その舌先がゆっくり彼女の中に入り込んだ。

冷たさと甘さの残るそこ全てに、ゲンマは熱を与えて。
絡めた舌が温かさを取り戻す頃、何事も無かったかの様にゲンマの身体がふっと離れた。
注ぎ込まれた熱がの体内を溶かし出し、打ち上がる花火の音が全身に響き渡って痺れてくる。

ゲンマはベンチに浅く腰かけ、背凭れに寄り掛かりながら花火を見上げて。
広げた片腕の先は優しくの肩を抱く。

「間近で見ると腹に響くな。」
「・・・・・・うん。」

夜空を仰ぐのでなく、は振り返って。
その瞳に映すのは、花火ではなくてゲンマの姿だった。

さらりと揺れる金茶色の髪。
熱かった唇には、いつもの様に楊枝が咥えられる事もなくて。
広がる長い腕と、浴衣の隙間から覗く厚い胸板。

「なんだ。花火、見ねえのか?」
「え、あ・・・見るよ・・・。」
「どうした?」

ゲンマは薄っすらと笑みを浮かべて、背凭れに預けていた身体を起こした。

「・・・だって・・・ゲンマがあんなキスするから・・・。」

ざわめく身体に花火の低音が更に拍車を掛けて来る。

「足りなかったのか。ならもっとしてやる。」

ゲンマの大きな右手がの頬と首筋を覆った。

「いい、いい、此処では。誰かに見られちゃう。」
「俺は構わねえけど。此処じゃなきゃいいんだ?」
「・・・まぁ・・・それはね。」
「誰にも見られなきゃ、して欲しいって採るぞ。」

は返事の代わりにコクリと頷いた。

「だったら俺んちで見るか?花火。」
「え?」
「なに、心配すんなって。花火はゆっくり見せてやるよ。」


── 見てられればの話だけどな。


言葉と同時に、心では意地悪な言葉を吐いて。
が二つ返事で答えれば、頬に添えていた手をスルリと下に落とした。

「その代わり飛ばすぞ。」

言い終わるや否や、の膝裏に腕を伸ばしその身を抱き上げ、ゲンマは夜空を飛んだ。

「え、あっ、きゃ。」

一瞬の出来事に、の腕はしっかりとゲンマの首に回される。

「そうだ、しっかり掴まってろ。」

飛び上がる抵抗さえ感じなくなれば慣れたもの。
細めていた目を大きく開けば、ゲンマの肩越しに大きな花火が見えた。

「うわ〜ゲンマ見て見て、後ろ。花火が近い。綺麗〜。」
「見ていいのか?」
「あっ・・・。」
「なんせ下駄だからな。足元狂うかもしれねぇぞ。」

ゲンマはそう言って屋根の上を飛びながら、火影岩に背を向けた。

「ダメ!前見て、前。」
「後ろ向けつったり、前向けつったり、忙しいヤツだな。」

その時、流れの変わった風。
空中でふわっと止まった感覚と、その後一気に落ちて行く感覚。
は短い悲鳴を上げて、ゲンマの肩に顔を埋めた。

耳元で聞こえるゲンマの笑い声。
そして向きを変え、舞い上がる感覚に、は顔を上げてゲンマの横顔を見つめた。

「なんだよ。」

ゲンマは口元を上げながらチラリとに視線を送る。

「今の、ワザとでしょ。」
「どうだろうな。」
「いじわるー!!」
「そろそろ着く。今度はほんとに降りるぞ。」
「うん。」

ゲンマの部屋は最上階の角部屋。
屋上からベランダに滑り込んで、緩やかに降り立った。





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後編は別館掲載です。

2007/08/05

photo by  KAEDE