世に忘られず

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「い…市丸隊長…。大丈夫なんですか…?」
「ああ、イヅル。な〜んもあらへんよ」
 瀞霊廷四番隊救護室。寝台で身を起こした市丸の緊張感のない声がなんとなく場違いに室内に響いた。
「僕の事…わかるんですか?」
「当たり前やないの」
 その答えを聞いたイヅルは、疑問一杯の目を卯ノ花に向けた。
 それと言うのも、つい先程、執務の合間の休憩時間。三番隊代十二席と、呑気にお茶とお菓子で和んでいたイヅルは、突如飛び込んできた四番隊隊士により「市丸隊長が記憶喪失」という知らせを受け、慌ててと共にここへ駆けつけたのである。
 ところが当の本人は、横になるでもなく寝台の上でいつもの笑みを浮かべていて、いつも通りイヅルの名を呼んでいるのだから、やイヅルがキツネにつままれたような気持ち(市丸だけに)になるのも仕方がないのだ。

 イヅルの視線を受けた卯ノ花は、困ったような表情を浮かべるとおもむろに口を開いた。
「我が隊の隊士が、廊下で仰向けに倒れている市丸隊長を発見し、ここに運びました。市丸隊長はすぐに意識を取り戻したのですが、頭を打っているようでしたので、念の為、色々と問診してみたところ、どうやら、ここ10年ほどの記憶を失っているようです」
「10年!?…ああ、そうか。だから僕の事はわかったんですね。………え?…って事は………?」
 イヅルの視線がを捉える。
君のことは…?」

 ああ、どうしよう。足が震えそうだ…。

君…?その子の事か?…ごめんなぁ、わからへんねん。堪忍してな」
 その言葉に、足元が崩れ去るような喪失感に襲われる。
「悪いんやけど、名前教えてくれへん?」
「あ…、…、三番隊代十二席、です」
君か。…スマンなあ…」
「いえっ………」
 本当に申し訳なさそうな顔をする市丸に、は忘れられた寂しさを堪えて首を振った。本当なら笑顔で「気になさらないで下さい」とか「市丸隊長の御体に、他に何事もなくて良かったです」とか言った方が良いのはわかっているのだが、顔を見ると恨みがましく泣いてしまいそうで伏せた頭を上げることができなかった。
 この場で、の事だけがわからないと言う市丸。
 10年間の記憶が無いという事で、別にの事だけを忘れてしまった訳ではないとわかっているのだが、なんだか、のけ者にされて置いてきぼりをくらったような気分だった。

君…」
 沈んだ様子のに、イヅルも何と言葉をかけるべきか戸惑っていた。
 実は、このは、市丸一番のお気に入りなのだ。1年前に十二席として三番隊に配属されたは、その小動物のような愛らしさと素直な性格で、瞬く間に市丸の心を捉えた。また、自身も市丸の、周りをかえりみない溺愛ぶりに戸惑いつつも、その愛情を素直に受け入れている様子を間近で見守っていたイヅルであるだけに、今のの気持ちは、容易に想像できてしまうのだ。

 そんなからふと視線をはずしたその先に、何かを考え込むような表情でを見つめる、市丸の姿があった。


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