仔猫、旅立つ

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「あ、せや。疲れとるとこ悪いんやけど、お引越しせなあかんねん。荷物まとめな」

 行為後の余韻に浸りながら筋張った腕に抱かれて天井を見上げていると、市丸が突然そんな事を言い出した。



「え…?引越しって、どこに?」
 が身を起こして訊ねると、市丸は寝転んだままで人差し指を立て、自分の唇に近付ける仕種をした。
「それはまだ、内緒や」
「もう、何だよそれ…。とりあえず、普段使う物を先に運んじゃわないといけないよね」
「あ、あかんねん」
 
が荷造りを始めようと着物を羽織って立ち上がると、市丸がようやく身体を起こした。
「え?あかんって、何が?」
「もう戻ってけえへんから、必要なもんだけいっぺんに運んでしまわなあかんねん」
 市丸の奇妙な言葉に、振り返ってじっと目を見つめる。
 どこに引っ越すにしても、もう戻って来ないなんて明らかにおかしい。…本当にただの引越し?こんな急に?
「ギン………」
 もしかして、今もまだ続いている外の戦いと何か関係があるのだろうか?
 しかし、問い掛けも含めたの視線にも、市丸はただいつも通りの笑顔を浮かべているだけだった。
 は市丸から視線を外すと、口を閉じてほんの小さく溜息をついた。
「わかった」
「重たいし、着物と小っちゃいもんだけにしとき」
 背を向けたに、自身の着衣を整えながら市丸が声をかけた。
「うん」
 その声に、背を向けたまま返事を返す。
 ただの引越しじゃなかろうと、これから行く場所がどこであろうと関係はない。今はただ、市丸の言葉に従って荷物をまとめれば良いだけだ。
 が何を言っても、市丸は自分の進むべき道を進むのだろうし、自分はそれについて行く。たとえ、途中でその道が間違いであると気付いたとしても、どこまでもついて行く…。










「随分と遅かったね、ギン」
「えろうすんまへん。久々に帰ったもんやから、つい長居してもうて」
 荷物を持って市丸に連れて来られた場所には、既に二人の死神の姿があった。一人はゴーグルのような物をした浅黒い肌の、市丸よりも更に細身の死神。そしてもう一人は、市丸と親しげに言葉を交わした黒縁の眼鏡をかけた死神…。
「やあ、君がだね?」
「はい…。初めまして、です」
、藍染隊長や」
 市丸がに藍染を紹介した。
「よろしく、
 藍染が差し出した手に、自分の手を合わせる。大きな手にギュッと握られるが、は手が震えないように堪えるのが精一杯で、その手を握り返す事は出来なかった。
 藍染という男を前にして、は底知れぬ恐怖を感じていた。丁寧な物腰、柔らかな笑み…、恐怖とは無縁のような外観のこの男を、なぜこんなにも自分は恐れているのか。理由がわからない事が更なる恐怖を煽った。
「そんで、こっちが東仙はん。目見えへんねん」
「よろしく、東仙要だ」
です。よろしくお願いします」
 目の前に差し出された手を握る。東仙の動きは、目が見えていないとは思えない程の自然な動作だった。
「…直接は見えないが、大体の事は感じる事ができる」
 そんなの様子を察したように、東仙がくすりと笑って説明した。
 こちらは藍染とは反対に、全くと言っていいほど邪気を感じさせない人物だった。
 には、この三人のキャラクターが随分と奇妙な取り合わせに思えた。ここで待ち合わせたという事は、これから引っ越す場所にこの二人も一緒に行くのだろうが、友達…というには微妙な距離を感じるこの三人が一体どういう関係なのか、は不思議だった。

「では、行こうか…」
 そう言って藍染が手をかざすと、何もなかったはずの空間に亀裂が走り、禍々しい世界がぱっくりと口を開けた。
「ひっ………」
 は思わず市丸の腕にしがみ付いた。
「大丈夫や…、怖がらんでもええよ」
 市丸に優しく背中を撫ぜられる。
 事情を知らないにも、これから市丸と共に進む道が決してなだらかではない事は、容易に想像できた。


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