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僕は照りつける太陽の下、一人線路の上を歩いている。
ローカル線、無人の終着駅である寂れたこの村では、
見渡す限り全てが緑と言ってもいい。
人の姿もほとんどない。
19歳の時、当時雑誌社の編集長をしていた小野さんから紹介されて、
初めてここに来たのは……もう6年前。
その時もちょうど今と同じ位の時期だった。
一見ここは当時とほとんど何も変わらない。
でもよくよく見ると以前あったはずの建物が無くなってたり、
小さな双葉でしかなかったものが今では大輪の花をつけていたり
する。
普段住んでいる都会とは違い、ゆっくりゆっくり時の流れと共に
変化していく、この進み具合が僕には心地いい。
僕は一旦線路脇に胡坐をかいて座り、プシュッと持っていたコーラの
缶を開けた。
持っていたハンカチで額の汗を拭い、コーラを飲みながら
ふと昔を振り返る。


母子家庭だった僕は、大学時代に事故で母親を亡くし、
天涯孤独の身となってしまった。
だからその後は学校に通いながら、色んな本や雑誌などの挿絵を
書く事で生活していた。
貧乏だったのに、『貴方には才能があるから』と
わかりもしないのに得意げに言って、無理して美大に行かせて
くれた母の気持ちを考えると、とてもじゃないが大学を辞める
気にはなれなかった。

けれど生活する為に絵を描くわけだから、先方が望む通りの絵しか
描けない。
当然それは自分の描きたいものではなく、それならいっそ絵を
描くのを辞めて違うバイトにしようと思っていた矢先、僕が
煮詰まっている事に気付いた小野さんが

『僕のお気に入りだから内緒だよ?』

と言ってこの場所を教えてくれたんだ。

当時50代半ばだった小野さんとは、僕が絵を描き始めた当初からの
付き合いで、人付き合いが苦手で事務的作業が全く向いていない
僕を、何かと気にかけて面倒を見てくれた。
僕の絵が売れ始め小野さんが雑誌社を退職した今となっては、
まるで僕のマネージャーのようにスケジュール管理までしてくれる。
洋子さんというとても綺麗な奥さんと二人暮しの小野さんには
子供が無く、息子の面倒を見ているようなものだから、と笑って
言ってくれる。
家族のいない僕にとって本当の父のような存在だった。

『人もいないし物も無い。
 本当に不便で何も無い場所だけど、その分心が真っ白になる。
 だからきっといい絵が描けるよ。
 生活の為じゃなく、自分の為に絵を描いてごらん。
 宿をやっている友達に頼んであげるから。』

その励ましを受けてこの場所を訪れ、森や小川、空や鳥、
刻一刻と同じ表情を見せる事が無い自然の姿、
その全てに創作意欲をかきたてられた。

夏休みのうちの1週間という限られた時間の中、
僕はとりつかれる様に8枚の絵を描きあげた。
帰京後その内の6枚が様々な絵画展で次々と評価を受け、
大学卒業後、自分で好きな絵を描きながらそれに収入も
伴ってくるようになった。
小野さんも、本当に喜んでくれた。
その後僕は様々な場所に出向いては自分の思うままに風景画を
描き続け、1週間後には『新進気鋭の風景画家』として初めての個展も
開かれる。
状況的には大成功とも言える道を歩んでいるはず……なのだが……


ゴクッとコーラを一口飲む。
ここは僕の原点とも言える場所。
当時『あれはどこの場所?』と何度も聞かれたが、
誰にも教えた事はない。
ここは僕にとって特別な所だから。
でもその後ここを訪れた事は一度も無い。
それが出来ない理由があったから……
でも初めての個展を1週間後に控え、
ある思いに囚われながらも一歩踏み出せない僕に

『今あの場所に戻ってみる事が君には必要なんじゃないのかな?』

と小野さんが背中を押してくれた。

……それが、今僕がここにいる理由。

もう一度コーラを飲んだ後、僕は空を見上げた。
雲一つ無く澄み渡った空、ジリジリと焼けるように照りつける太陽。
これが数時間後には全く別の顔を覗かせるのだ。
やはり描きたいと思う。
これからも、大自然の移り変わっていく様を描き出していきたい。
でもその前に、僕には今どうしてもここを訪れずにはいられなかった
理由があった……