かけ流しの豊富な湯量を誇る、自然に囲まれた全5室の温泉宿。
丸窓からは情緒溢れる坪庭が見え、右手に見える窓や部屋ごとにしつらえられている露天風呂からは、遠くに見える山並みに薄っすらと白い雪が積もっている様子など、その雄大な自然を余すところなく望む事が出来る。
角部屋にあたる二間続きの特別室に通された後、念の為五人衆の子達がくまなく室内を調べて何も異常がない事を確認する。
そして彼らは私とリョウの荷物を置いてからそろって頭を下げ、この部屋の隣にある自分たちの部屋に戻って行った。
リョウは決して華美ではない漆塗りの座椅子に胡坐をかいて早速紫煙を燻らせ始め、私は一旦荷物の整理をしてからリョウの向かいに座り、右手の開放感溢れる窓の外の景色を眺めていた。
ここを訪ねるのは2度目。
去年も今年と同じ、1月10日から1泊2日の休日を満喫した。
黒神一家の会長である黒谷さんと昔から懇意にされている方が営まれているこの宿は、一般人は宿泊する事が出来ないし、宿代がいくらかかるのかも明確にはわからない。
政治家や経済界の大物などが隠れ宿として泊まられるというここは、細部に贅を極めている割りにはひっそりとした佇まいで、とても風雅で落ち着いた雰囲気だった。
痒い所に手が届き、なおかつ必要以上の干渉を一切して来ない徹底した配慮と、普段の喧騒を忘れさせてくれる静かな贅沢に包まれながらゆっくりと過ごす事ができる。
私もリョウも、仕事柄土日祝はおろか盆もクリスマスも正月もない。
私は家族のいるスタッフ達に優先して年末年始の休みを譲っていたし、リョウは三箇日、黒神十人衆を筆頭として会長と組長の許に全国から主だった幹部達が集うという仕来たりがある為、その準備やら後始末やらで何だかんだと忙しい。
だから年末年始といえば、普段以上にすれ違う事が多かった。
けれど一昨年末、年明けの休日予定をあらかじめメールで伝えておいた私の予定に合わせてリョウが時間を作ってくれ、この温泉宿に泊まる手筈を整えておいてくれていた。
当日の朝に初めて泊まりに行く事を知らされ、宿代は既に支払っていると聞かされた私は突然の事にとても驚いたものの、リョウの気持ちが本当に嬉しかった。
とは言っても、若頭という常に危険と隣り合わせの立場であるリョウは、公私共にボディーガードを兼ねる五人衆の子達を伴わずに行動する事はない。
それでも普段は交代制なので、去年ここに連れてきたのは土岐(トキ)君と『ミキ』君という呼び名の豊田美樹(トヨタヨシキ)君だけだったのだけど、今年は何故か5人全員が行くという。
今朝迎えに来てくれた車が2台だったのを見て驚きながら 『今年は随分大所帯ですね』 と言うと、リョウは苦笑した。
「全員で俺と遼を守って来いと、わざわざ会長が指示を
出したからな。
会長は以前の件のねぎらいも含めて、こいつらに
体良く休みを取らせてやりたかったんだろう。」
以前の件とは朱雀こと市川一真君の件だろう。
あの事件前後は5人それぞれが各分野で組の為に尽くしたのだと聞かされていた。
それに五人衆という若頭補佐の仕事の彼らにはほとんど休みが無い。
年に一日か二日ぐらいしか休みをもらえない事もざらだという。
それでも常に羨望の的になる役職らしく、『いつも大変ですね』 と言った私に土岐君が 『兄貴の為に命をはれるのが何よりの誇りですから』 と胸を張っていた。
健人君が運転するいつものリョウの車に私達は乗り込み、もう1台に残り4人が乗っていた。
車で3時間ほどの距離。
長くも短くもないその距離を、健人君はリョウが呆れた様に咎めるまで、いつも以上に一人で喋り続けていた。
リョウに咎められた健人君は慌てて黙り込んで運転を始め、その姿に思わず笑ってしまったものの、おかげで楽しく道中を過ごす事が出来た。
****************
「遼、風呂に入るぞ」
すっかり窓の外の景色に見蕩れていると、向かいのリョウが磁器製の灰皿でタバコを揉み消しながら私の方を真っ直ぐに見ていた。
「え?今ですか?一緒に?」
到着したばかりでもう少し部屋でのんびりするのかと思っていたし、もし一緒に入るとしても夜だと思っていたので驚いてしまった。
「前回まともに遼と過ごしてからどれぐらい経つ?」
「ん〜、確か12月の13日でしたから…約1ヶ月前ですね。」
せっかく少し一緒に過ごせそうだという時に限って急患が入り、私が帰れなくなるというような事態が続いてしまったので、まるで一緒に住んでいるというのが嘘のように、時々交わすメールや電話以外この1ヶ月お互いの顔を見る事すらほとんどなかった。
「……これ以上俺を焦らすつもりか?」
ニヤリと意地悪く笑いながら言ったので、久しぶりに見る事が出来たリョウらしい表情が嬉しくて思わず笑ってしまった。
座椅子とお揃いで、漆塗りの深い光沢を放つ座卓に手を付いて立ち上がり、座卓の周りを回りながらのんびりとリョウに近付いていく。
「そう言われると余計焦らしたくなるのは何故でしょうね?」
「遼が素直じゃないからだろう?」
「そうですか?
私はいたって素直なつもりなんですが?」
「その減らず口以外はな」
楽しそうに細められている目を見つめ返しながらクスクス笑い、隣にまで近付いた。
「そういえばあの時以来キスもしていませんね」
「遼がして来ないからな」
相変わらずな台詞に苦笑しながら両膝を畳に付き、リョウの肩に両手を置いて顔を近付けながら囁いた。
「一人寝の1ヶ月はとても寂しくて長かったです……」
そのままそっとリョウの唇に口付ける。
久し振りに感じる、私を蕩けさせる唯一の唇。
しばらく黙って口付けたあと、ゆっくり唇を離す瞬間舌先でその唇を軽く舐めた。
途端に逞しい腕の中に引き摺り込まれ、強引に唇を塞がれる。
膝の上に乗せられながら首に抱きつくと、リョウの舌が私の舌を捕らえ、貪り、性急さのあまり飲み込みきれない唾液が次々と口端から零れていく。
セーターの裾から忍び込んで来たリョウの手が胸を弄り、目的の場所を見付けるのと同時に執拗にそこを指で攻め上げた。
「んっ…ぁ……」
追い立てられるような1ヶ月振りのその感触はさすがに強烈で、一気に腰まで突き抜けるような快感が走り、全身に鳥肌が立ち、勝手に喘ぎが漏れる。
もっと先を求めてリョウの舌を追うと、突然セーターから手を抜かれ、唇が離された。
突然の事に驚いて目を丸くしながらリョウを見上げると、相変わらずな顔で私を見下ろしながら笑う。
「続きは風呂でな」
意地悪なパートナーの首に抱きついたまま、はぁ〜、と震える息を吐き出しながら苦笑し、今度は私が焦らされる番なのだと覚悟を決めざるを得なかった。