「シンの……本物の恋人……?」
マサヤはトモノリから僕に視線を移した。
僕が恋人役を引き受けた事を知っていたトモノリに更に驚き、
バクバクし始めた心臓を抑えながら、うんと頷く。
するとマサヤは『そうか』と言い、そしてまたトモノリに視線を戻した。
「シンに恋人がいるとは知らなかった。
だからそれに関してはお礼を言います。
だけど、本物の恋人がいると聞いた所で、僕はシンを諦めませんよ?」
……は?
マサヤが僕を諦めないってどういう事?
僕とマサヤはあくまでも花屋の店員とお客さんで、たまたまお母さんの
手術の事があったから恋人役を引き受けただけなのに。
全然意味がわからなくてトモノリの方を見たんだけど、トモノリは少し
苦々しい顔をしながらマサヤを睨み付けていた。
「……それは宣戦布告、という事か?」
マサヤはトモノリの手を振り解き、微笑んだ。
「そう受け取ってもらって構いません。
ねぇシン、嘘の恋人じゃなくて、僕の本当の恋人にならない?」
突然のマサヤの台詞に、僕は思わず飛び上がってしまった。
「えっ?何?どういう事?」
「僕が本当にシンを好きだっていう事。」
開いた口が塞がらない。
ぽかーんと口を開けたままの僕を、マサヤが苦笑しながら見ている。
マサヤが僕を好き?
「僕は最初からシンの事が気に入っていたんだよ。
丁度母親の状況もあったし、シンが恋人役をしてくれているうちに
僕の方を見てくれればいいな、と思ってたんだ。
まさか既に恋人がいるとは思わなかったけどね。」
その台詞にハッとして、僕はトモノリを見た。
トモノリは今度は僕をジッと見詰めている。
今は何の感情も浮かべてはいないけど、普段はいつも僕を温かく
見守ってくれる、僕の大好きな大好きな目……
僕は一回深呼吸して、破裂しそうになっていた心臓を
少しだけ落ち着けた。
「……マサヤの気持ちは嬉しいけど、でも、ごめん。
僕はどこまでいってもトモノリじゃなきゃダメなんだ。
トモノリ以外の人を、絶対好きになんかなれない。
同じ様に名前を呼び捨てにされても、やっぱりトモノリの
声で呼ばれなきゃ全然ドキドキしないから。」
マサヤの目を真っ直ぐ見詰め返してそう言った後、トモノリに
視線を向ける。
するとトモノリはフッと目だけで笑ってくれた。
思わず大胆な告白をしちゃったけど、さっきまですごく怒った目を
していたトモノリが笑ってくれた事がとっても嬉しくて、少し赤く
なりながらも思いっきり笑い返した。
するとそれを見ていたマサヤが軽く溜息を吐きながら苦笑した。
「まぁ見事に振られちゃったね。
でも、それでも僕はまだ諦めないよ。
人の心が変わるなんて良くある事だ。
シンの心だって変わるかもしれないし、僕の声にドキドキして
くれる事もこれからあるかもしれない。
だからこれからもよろしくね、シン。」
そう言って僕の頭を撫でた後、マサヤは店を出て行こうとする。
『あれ?』と言った僕に
「今日はお見舞いはいいよ。
心配しなくても、母親には嘘だった事をちゃんと話しておくから。
さすがに振られたばかりでシンと二人でいたら、思わず理性が
飛んでしまいそうだからね。
……トモノリさんといいましたっけ?
取り合えず今はシンを貴方に返します。
ですが先程言ったように諦めるつもりは全くありませんから。」
マサヤが言い終わった時、店長のナガオさんが配達から帰って来た。
入れ違いにマサヤは手を振って店を出て行き、トモノリは僕の帰り支度が
終わるまで店の外で待っていた。
そしてナガオさんに挨拶をした後、トモノリが跨る僕の自転車の後ろに
乗り、トモノリの腰にしっかりと抱きついて家に帰った。
玄関の扉を閉めて靴を脱ぐと同時に、トモノリは僕を抱き上げて
そのまま寝室に連れて行く。
突然の事に驚きながら、取り合えず落ちない様トモノリの首に
腕を回した。
そしていつもはとても優しいのに、ベッドに僕を投げ出すように
降ろした後、そのまま覆い被さって来て少し乱暴なキスをされる。
僕は必死でそのキスに答えながら、僕が嘘をついてた事を
わかっていたのに、何も言わずに受け入れてくれていたトモノリの
優しさに改めて感謝した。
しばらくキスを続けた後、ようやく唇を解放してくれたトモノリを
見上げていると、トモノリが小さく言った。
「……少し手荒くて悪かったな。
あんな風にアイツがシンに触れていたと思ったら……」
「ううん、僕の方こそごめん。嘘ついてて……
トモノリ以外と恋人のフリなんて嫌だったけど、それで
マサヤのお母さんが良くなるならって……
ホントにごめん。
早くトモノリだけの恋人に戻りたかった。
僕、やっぱりトモノリじゃなきゃダメだから……
……許してくれる?」
するとトモノリは起き上がってベットの縁に腰を下ろし、
自分の膝をポンポンと叩く。
……初めてトモノリが声を聞かせてくれた時と同じ……
あの時を思い出してすごくドキドキしながら、僕も起き上がって
あの時と同じ様に四つん這いで近付いた。
そしてトモノリが僕の両脇に手を入れて持ち上げ、向かい合う
ように跨がせた後、目を閉じて僕の額に額を合わせる。
僕が生まれて初めて恋をした人は、僕が生まれて初めてキスを
した人だった。
そしてあの日あの時から、僕はトモノリの声に捕らえられ
続けている。それはこれからもずっと……
緩めに閉じられている少し薄めのトモノリの唇にキスをした。
あの時と同じ様に、口端に当たってしまう不器用なキス。
けれどあの時と違うのはトモノリの声も優しさも僕が知っていて、
そして僕がそれまで生きてきた状況なんかも全てをわかった上で、
体を売って生活していた僕をトモノリが今の世界に引き上げて
くれた事……
初めてトモノリの声を聞いた時の感動と、嘘をついていた事の
申し訳なさと、やっぱりトモノリだけが大好きだと思う気持ちが
ごちゃ混ぜになって、僕の目からは涙が溢れてしまった。
するとトモノリが僕の涙を唇で拭い取ってくれ、そして今度は優しく
キスを返してくれる。
「嘘をついている事は初めからわかっていたし、毎週シンが
アイツの車に乗り込む様子も見に行ってた。
その様子とアイツの目を見ていれば、シンに気がある事位
すぐにわかったから、入院話と合わせて考えれば恋人役でも
頼まれたのだろうと察しはついていた。」
トモノリはもう一度僕にキスをする。
「……シンの優しさから発している行動だから、何も言わずに
時が過ぎるのを待とうと思ったんだが……俺もまだまだだな。」
そう言ってトモノリは苦笑した。
それを見て、僕の目からまたしても涙が溢れ出る。
そして『ごめんね、ごめんね』と何度も繰り返しながら首に抱きついた。
トモノリは優しく僕の背中を撫でて、『もう二度と、ウソでも俺以外の
恋人になるな』と言い、僕は必死で頷きながら、何度も何度もキスをした。
****************
その後、僕はトモノリを連れてマサヤのお母さんに謝りに行った。
お母さんは手術をしたおかげで大分顔色も良くなっていて、やっぱり
恋人役をやった事は無駄じゃなかったとホッとする。
そしてマサヤは約束通り嘘の恋人だった事をお母さんに話しており、
すごく残念そうにしながらも、また顔を見せてね、と笑って許してくれた。
あれからトモノリは僕のバイト先に必ず迎えに来てくれるように
なり、同じくマサヤも必ず花を買いに来る。
その度に二人は睨み合ったりしていて僕は気が気じゃないんだけど、
「シン、そろそろ僕に乗り換えてみない?」
「……シンがそんな事をするわけないだろう?」
「ねぇシン、少しは僕の声で名前を呼ばれてドキドキしない?」
「……その声を聞いているだけで動悸がして吐き気がする。」
と、毎回僕をそっちのけで同じ会話を繰り広げる二人に、実は結構
気が合うんじゃないかと思わず笑ってしまいそうになる事がある。
まぁマサヤには悪いけど、僕がトモノリ以外を好きになるなんて絶対
有り得ない。
お母さんの病院に向かうマサヤに手を振って、トモノリの腰に
ギュッと抱きつきながら自転車で家に向かう。
これからも僕はずっとこうやってトモノリと生きていく。
一生大好きだよ、トモノリ……