The unexpected order(思いがけないオーダー)
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喫茶店『wrapped in rose』のマスターである私、明野卓(アケノマコト)はカウンター席の一番端に座って本を読み、開店前の一時を過ごす。
この店を始めてからずっと変わらないこの習慣。
けれど変わった事が一つだけ……
「マコト、今日の日替わりパスタはバジル風味の
ペペロンチーノでいいんだよね?」
そう言って業務用の冷蔵庫を覗きながら話しかけて来たのは、私の大事な大事な恋人でもあり、今ではこの店を一緒に経営している河野悠太(コウノユウタ)。
以前大きな会社で社長をしていたユウ君はさすがに経営が上手で、そのおかげでうちの店も昼には行列が出来るほどの繁盛振りになっている。
それを二人だけで捌いていくのは結構大変だったので、一番忙しいランチの時間ぐらいバイトを雇ったらどうだい?と提案してみたのだけど、 『それは先々考えよう。でも俺はしばらくマコトと二人だけでやりたいから。』 と言って他の人を雇う事がなく、現在に至っている。
「うん、そうだよ。
それは私がやるから、ユウ君はこっちに座って昨日の
売り上げをチェックしなおしてくれるかい?
どうも細かい数字を見るのはあまり得意じゃなくて……」
本を閉じてからカウンターの中に入り、手を洗っている私の背中を、冷蔵庫を閉めて立ち上がったユウ君が優しく抱き締めてくる。
そして私の耳に唇をつけながら小さい声で囁いた。
「それは構わないけど……
でも本当は今日、出来るだけマコトには座っていて
欲しかったんだけどね。
昨夜はちょっと激しかったから、まだ足元が少し
ふら付いてるし……」
その言葉に照れ臭くなって、年甲斐もなく赤くなりながら前に回されたユウ君の腕を軽く叩いた。
「ま、またユウ君はそういう事を言って私を困らせるんだから……
こんな年寄りをからかってないで、早く仕事をしなさい!」
腕の中から逃れようと懸命に身を捩ると、クスクス笑っているユウ君が器用に私の向きを変えさせて、軽く音を立てて唇にキスをした。
「……了解、マスター。」
****************
その後目まぐるしく忙しいランチの時間をようやく乗り越え、やっと一息つこうとした時だった。
カラン、とカウベルが鳴り、一分の隙も見せない男性が店内に入って来る。
「いらっしゃいませ」
ユウ君が声をかけると、一瞬だけその鋭い視線をユウ君に向けてから店内の一番奥に真っ直ぐ進み、空いていたボックス席にどっかりと腰を下ろす。
そして胸ポケットからにび色の光を放つシガレットケースを取り出し、早速外国製のタバコに火を点けてその長い足を組んだ。
店内には一瞬で異様な空気が立ちこめ、数組残っていたお客さん達もそそくさと食べ終えて会計を終わらせて出て行った。
その人物が誰なのか知らないユウ君は少し怪訝な顔をしていたけれど、もちろん私はこの人が誰なのか知っている。
私の友人、折原遼(オリハラハルカ)のパートナーで、数千人の組員を抱える黒神一家の若頭、『黒神の昇龍』 との名を持つ相模良哉(サガミリョウヤ)さんだ。
この店とサガミさんはおよそ雰囲気が合わないし、そもそもサガミさんが好んでここを訪れる事はまずないだろう。
だからまたハルカと待ち合わせでもしているのだろうけど……
残りの会計をユウ君に任せ、お冷を持って席に向かう。
そしてテーブルの上にお冷を置きながら話しかけた。
「ご無沙汰しています。
今日はハルカと待ち合わせでも?」
サガミさんは足元から竦み上がる様な鋭い視線をチラッと私に向けた後、溜息と共に紫煙を吐き出した。
「……生姜焼き定食とイチゴミルク。」
「………………。
は?」
思いがけないオーダーに、思わず聞き返してしまった。
するとサガミさんはチッと小さく舌打ちをして、苦々しげに言い直す。
「聞こえなかったのか?
生姜焼き定食とイチゴミルクだ。」
「……あ、は、はい!
少々お待ち下さい!」
慌ててカウンターの中に戻り、最後のお客さんの応対を終えたユウ君にオーダーを伝える。
やはりユウ君も目を丸くして驚いていたけれど、さすがにそれを口に出す事は出来ないので、ユウ君は生姜焼き定食を、私はイチゴミルクを用意し始めた。
うちの生姜焼きは特に若い男性達の間で味でもボリュームでも人気がある。
そして生のイチゴと牛乳と砂糖をミキサーにかけ、最後に上にイチゴを一粒乗せたイチゴミルクはユウ君の提案で最近作り始めたものだけど、出した当初から若い女性の間で注文が殺到するほど、大変に人気が高いメニューの一つだった。
……でも、サガミさんが……あの黒神の昇龍が……
生姜焼きとイチゴミルク?
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