シリーズTOP



唇1

今日は森の18歳の誕生日。

外食でもするか?と聞くとブンブン首を横に振って、智紀と二人だけがいい、と言うので、丁度土曜だったし俺が森のリクエストに応えて料理をし、家でゆっくり過ごす事にした。
まずは買い物に行かなければ話にならないので、いつものスーパーに行って森にカートを押させながら何が食べたいかを聞く。
森がまず初めに食べたいと言ったのは卵焼き。
それから大根とワカメの味噌汁にアジの開きと白菜の漬物だと言う。
『特別な日なのに随分質素だな』 と笑うと、だって〜、と赤くなりながら唇を尖らせ、

「自分の産まれた日には本当に感謝してるけど、でも
 いつも通り智紀と一緒に毎日を送れる事自体がずっと
 特別なんだよ!
 だからいつも通りでいいの!」

と、相変わらず急に逆ギレを起こす。
『わかったわかった』 と苦笑しながらポンポンと頭を軽く叩いてやると、次の瞬間には嬉しそうに笑う。
くるくると良く変わる表情を見て心の中で笑いながら、ケーキすらいらないと言う森の望む通りの物を買って家に帰った。


キッチンで料理の準備をしていると、森は俺の周りを右往左往しながら何か手伝おうとするので、今日の主役はテレビでも見て待ってろ、と言うと、またしても口を尖らせる。
それを見てクスッと笑いながら、森の顔を両手で引き寄せて唇を合わせるだけのキスをした。

何と表現するのが一番近いだろう。
水分をいっぱいに含んだ果物?
いや、少し違う気がする。
特に手入れをしている訳でもないのに常に艶に満ちていて、柔らかい弾力性のある森の唇。
そういえば先日会社の先輩の家に生まれた赤ん坊の写真を見せてもらったが、あの唇に一番近いのかもしれない。
俺といる間中、食べたり喋ったり笑ったりへの字に曲げたり尖らせたりと、何せ忙しいこの唇は、いつまで見ていても何度キスをしても飽きる事がない。
そしてこの唇に更に色んな表情を作り出させる為に、話しかけたりからかったり抱き締めたりキスをしたりと、俺の方まで忙しい。
だが今の俺にとって、それが一番の楽しみでもある。

無表情だった森がこんなに沢山の表情を見せるようになり、食生活のバランスの悪さからか、客と男娼という間柄だった時には水気が無く荒れ放題だった唇が、これほどの柔らかさを持つようになった。
相変わらず俺がいない間は物を食べないが、それでも少しずつそうやって森の内面を引き出し、たまに見せる辛そうな表情を消してやり、森が持つ闇の部分を一歩ずつでも癒してやれる事が嬉しかった。

ゆっくり唇を離すと照れ臭そうに笑ったので、その森の尻をポンと叩いてもう一度、テレビでも見てろ、と言うと、今度は素直に頷いてキッチンを出て行った。
そして森がソファに座って言われた通りテレビを見始めるのをカウンター越しに時々眺めながら料理を始めた。


いつも通りの変わらない食事を、いつも通り森の話を聞きながら食べ、その後はソファに場所を移した。
この 『〜通り』 という言葉が森にはとても大切な意味を持つ。

『明日はご飯が食べれるだろうかとか、明日はちゃんと
 客が見付かるだろうかとか、毎日そんな心配ばかり
 してたから、僕にはいつも通りなんて無かったんだ。
 だけど今はいつも通りご飯を食べれるとか、今まで通り
 智紀と一緒にいられるとか、この言葉を使えるように
 なった僕はすっごく幸せなんだよ』

そう言って森は笑っていた。
俺は森から本当に沢山の事を学んでいる。
衣食住に困らないというのがどれほどありがたいのか、親に愛されるというのがどれほど恵まれているのか。
一人で必死に生きて来た森を見ながら、今まで当たり前と思っていた全ての事柄に感謝する事を教えてもらって来た。


****************


「森、ベッドの上に包みが置いてあるから、それを
 取って来い。」

俺がそう言うと、うん、と頷きながら走って寝室に向かう。
先程料理をしている最中に、あらかじめ買ってあった物を用意しておいた。
森は目をキラキラさせながら綺麗にラッピングされた少し重いその包みを、大事そうに胸に抱えて帰って来る。
当然それが誕生日のプレゼントだと気付いたのだろう。
それを一度受け取ると、隣に座った森に向き直った。

「18歳の誕生日おめでとう。
 まずは一つ目のプレゼントだ。」

一つ目?と森は首を傾げたが、それでも嬉しそうに差し出されたそれを受け取った。
開けてもいい?と言うのでそれに頷き返すと、期待と不安に満ちた目でそっとその包みを開き始める。
それを見ながら冷蔵庫のビールを取りに行った。
直後に 『うわぁ〜!すごいっ!こういうの欲しかったんだっ!智紀ありがとう!』 という盛大な声が聞こえ、それに苦笑しながらビールを持ってソファに戻る。
缶の蓋をプシュッと開けてゴクゴクと咽喉を鳴らして飲みながら、森がそれをテーブルの上に広げ、一つずつを大事そうに手にとっていく様子を眺めた。

俺が買ってやったのは花に関する図鑑や花言葉の本や基本的に花に関するもの。
森はこれ以上ないほど花に夢中になっていたので、いつかは買ってやろうと思っていた。
本は全て英語で書かれた物。
英語が苦手だと言っていた森も、自分の好きな物だったら辞書を引きながらでも読むだろう。
わざわざ勉強というのではなく、そういう形で知らず知らずのうちに苦手な分野を克服していければ森の自信にも繋がるだろうと思った。
それとそれに足して俺のと色違いのキャスケット。
俺が元々持っていた黒いのを森が気に入っているのがわかっていたから、淡い色が似合う森にはベージュのそれを取り寄せておいた。
森は何度も礼を言ってそのキャスケットを被り、早速本棚から辞書を取り出して来て大切そうにそっと図鑑を開き始めたので、本心で喜んでくれた事を嬉しく思いつつその姿を眺めながらビールを飲んだ。


「次が本当のプレゼントだ。」

しばらくしてからそう声をかけると、森は驚いた顔で俺を見ながら図鑑のページをめくる手を止めた。
テーブルに置いていたビールをもう一口飲みながら自分の膝を軽く叩くと、意味がわかったのだろう森は少し恥ずかしそうに向かい合わせに膝の上に跨って来た。
それを軽く抱き締めて額に一度キスをする。

「だがその前に話がしたい。」

意外だったのだろうその言葉に一瞬驚きながらも真剣な顔で頷き、俺もその森と真っ直ぐに視線を合わせながら話を始めた。