12月6日へ
「あの神父め。黙ってりゃいいものを」
おれはベッドのふちに座り、髪をかきむしった。
ぬるくなったビールをあおり、缶を握りつぶして壁に投げる。
歌うたいのジョーが狙うやくざはどちらか。
そいつはすでに、ターゲットとされた側に売った情報だ。
いい金になった。けっこう使ったけど、久しぶりに家賃を契約どおりに払えた。
殺し屋にも色々いる。
何が何でも得物を変えないタイプ、何でも使うタイプ。
ジョーは後者で、たいてい現地調達ですませる。
非合法に銃が買える店として教会を知れば、利用する可能性は高い。
アヤシイやつが現れます、何も売らないほうがいいですよ。
これなら情報の二重売りにはならないし、教会からも小遣いがもらえる。
別段、悪くないだろう?
うとうとしてしまい、ノックで起こされた。
おれは銃口を下にして拳銃を持ち、外から撃たれても当たらない死角に立つ。
「武器を構えているならしまってくれ。私だよ」
神父の声だ。だがここで信じちゃ、おれはとっくにくたばってる。
「こんな時間に何の用だよ。おれのケツを試すのか?」
品だけはいい笑い声が聞こえる。おれは銃をおさめ、ドアをあけた。
神父がでっかい箱を抱えてる。
どういうわけか、サテンのリボンで飾られてた。
「信心深い者が狙われない世界なら、この世は平和なのにね」
おれは息をのんだ。神父が自分のくちびるの前に人差し指を立てる。
「受け取って。サイズは合うと思うよ」
緊張の面持ちで神父を見送り、鍵を二重にかける。
カーテンもブラインドも全部しめ、箱をあけた。
箱には二種類の服があった。
ひとつは軽薄な旅行者向けのアロハとハーフパンツ、パナマ帽。
もうひとつは黒のタキシードだ。
キレやすいほうの幹部候補は、悪党のくせに教会通いを欠かさなかった。
くそ神父がいる教会じゃなくて、小ぎれいなとこだ。
要するに、ジョーを雇ったのは頭が切れるやくざだった。
神父の野郎、ターゲットを調べやがったな。
そしておれに選択肢を与えた。
このまま逃避行か、ジョーの最期を見届けるか。
おれはパナマ帽をかぶった。どのみち、いつかはこいつも吹っ飛ばされる。
南国の風じゃなく、銃かボウガンかナイフか、そんなたぐいのものでだ。
帽子を放り投げる。キャッチする。また投げて、今度は頭でキャッチ。
生まれてから十数年、感化院とストリートを行ったり来たりだった。
聖歌隊のガキが体験した、兄に負ぶわれた記憶もない。
家族は飲んだくれの親父だけだ。その親父も何年か前に死んだ。
情報屋に弟子入りしてからこっち、まさしく綱渡りだ。
サイコロを振り、適当に転がってきた。
どんな目が出ても、まともに終われるとは思っちゃいない。
「お節介な神父め」
リボンがほどけた洋服屋の箱を見る。
ジョーが仕事するのは、タキシードを着るような場所ってことか。
最新式の、薄い防弾チョッキでも入れといてくれればいいものを。
覚悟がないなら逃げろ、なんだろうけどさ。
おれは旅行用の出で立ちをクローゼットに押しこんだ。
ごろつきがたむろする店に行き、殺し屋の狙撃ポイントを探った。
クリスマスが近いある日、おれは抗争の舞台となるホテルに向かった。
メインダイニングを貸し切り、哀れなやくざの誕生パーティーがひらかれる。
おれはすんなりセキュリティーチェックを通った。丸腰だから当然だ。
神父からのタキシードは、馬子にも衣装そのものだった。
自分で浮いてると思うんだから、周りのやつらには相当おかしく見えるらしい。
スピーチするゲストより、おれを見る目が多い気がしてならない。
考えすぎだってわかっちゃいるけど、いたたまれなくてトイレに入った。
ちょうど個室から出てきた男を見て、呼吸がとまる。
歌うたいのジョーがいた。
手を洗い、金の髪を整える。
おれの目は、やつのすっきりした襟足にいく。
ほくろがあった。黒くてくっきりしたのが、うなじの真ん中に存在してた。
姿勢にぶれがない。隙も迷いも興奮もない。何もない。
綱渡りの経験値がちがいすぎる。
男がひとり、余興に臨むように人を殺しにいく。
ジョーは手袋もしないで、左手で外扉をあけた。
何発だかわからない銃声と怒号、甲高い悲鳴を、おれはトイレの個室で聞いた。
情けないと笑ってくれていい。会場に戻れなかったんだよ。
本物の殺し屋を見たのは初めてじゃないのに、一歩も動けなかった。
生きて帰れますように。
それだけを思い、個室を出ようとしたときだ。
ドアと天井のあいだから何かが投げこまれる。
おれのものじゃない、車のキーだった。
外をうかがうより前に、男色神父の声がした。
「ツーブロック先にある、中国系スーパーの裏。シビック。水色」
神父がいる理由を訊いても意味はない。逃げないと始まらないからな。
「生還できる確率は?」
「急げば高い。スーパーの経営者は知り合いだけど、気は長くないから」
路駐の取り締まりから逃れる力がある知り合いか。顔が広いことで。
外扉が開閉する音が聞こえ、喧噪が一瞬大きくなった。
そこでようやく、全身に血がめぐった。
「ホテルで一発やってたんじゃないだろうな、エロ神父!」
おれは周囲に目を走らせ、言われた場所に向かった。
ホンダ・シビックのリアハッチ内側で、歌うたいのジョーが死にかけてた。
タキシードを着こなした神父が、悪鬼のごとき形相でアクセルを踏む。
おれは極めて正当な感想を述べた。
「いかれてるとは思ってたけど、ここまでとはなあ」
「なに?!」
「殺し屋乗っけて、バカみたいに走ってんじゃねえよ!」
「心配ご無用! 警察には鼻薬を嗅がせてあるし、この車は足がつかない!」
こいつが瀕死の状態にある男をどうやって救ったかは考えないでおこう。
究極のアホはほっといて、ジョーに注視する。
殺し屋は腹と腿を血に染めて、死んだ魚のような目で車窓を見てる。
「こうなるって、わかってたのか?」
人殺しに話しかけるのは初体験だ。どうしたって心臓が早鐘を打つ。
不眠症のガキそっくりの金髪をかきあげ、ジョーがにやりと笑った。
「まあ、な」
「死ぬってわかってて引き受けたのかよ」
シビックを操る神父がルームミラーを見る。
ジョーは疲れたのか痛いのかうっとうしいのか、目をとじた。
「こういう仕事に──リスクは付き物だ」
そう答えたジョーは、鼻歌を歌い始めた。聖歌の一節だ。
死神がすぐそこまで来てるってのに、調子を外さず主を讃えてる。
「歌うたいのジョー! それを弟にも歌ったのか!」
殺し屋が光るひとみで運転席を見る。まだ武器を隠し持ってないとはかぎらない。
おれは無断でダッシュボードに手を突っこみ、後方に銃を構えた。
神父が視線でこっちを制する。
「もう少し生きろ! 弟の歌を聴け!」
シビックは礼拝堂の脇にとめられた。
神父が聖歌隊の練習をすると言って車を降りる。
禁欲とは程遠い男の後ろ姿を見て、ジョーが声を絞り出した。
「あいつを、信じて──いいのか」
おれはいつでも銃を発射できる状態にする。
「おれらみたいなのは、自分で見聞きしたものしか信じない」
礼拝堂に明かりがついた。オルガンを使わない調音とハミングが届く。
「だからあんたも、聴いてりゃいいんだよ」
ふと、しんとする瞬間があった。
次に清廉(せいれん)でおごそかなハーモニーが夜気を洗った。
ボーイソプラノが際立つ曲を選ぶあたり、神父もそこそこ気が利くな。
ジョーの目が輝く。リアウインドーに顔をこすりつけて、教会の十字架を凝視する。
おれは後部以外の窓をおろし、できるだけじっとした。
神に捧げる旋律が消えた。おれはミラー越しにジョーを眺める。
「あんたの鼻歌よりはよかったな」
返事はなかった。
殺し屋は死体になった。
血のこびりついた口もとが、やけに安らかだった。