雨も雪もまったく予想させない、からっからに乾いた日だった。
 助修士が御用聞きと話してるのを横目に、セダンを頭から突っこんでとめる。
 巻きあがる砂塵を睨むやつらは無視して車を降りた。
 おれも御用聞きみたいなもんだけど、砂糖やバターは売らない。

 おれの売り物は情報だ。




 おれは口笛を吹き、映画館にでも入る感じで教会に足を踏み入れた。
 教務所や礼拝堂、便所、応接室にも神父の気配がない。
 残るは神父たちが寝起きする部屋だ。いやしかし、まさかな。

「昼間っからは、ないよなあ」

 信じられないだろうけど、ここのくそ神父は男色家なんだ。
 迷える子羊に牙をむくような真似はしない。
 やりたくなると私服で街へ出て、至福の時を過ごすってわけ。
 琥珀色のひとみで男に微笑み、あの手この手で安宿に連れこむ。
 翌日には福音がどうたら、イエスがうんたらだから、呆れるよなあ。
 そんな神父もさすがに神の家ではコトに及ばないだろう。
 なんて常識は、ものの見事にはずれた。

 神父用の質素なベッドに、聖歌隊のガキが横になってる。
 純白のシャツも黒のズボンも正常だけど、襟だけが少しゆるめられてた。

 おれは目もそらさず、ぽかんとしてたと思う。
 変態神父がつまみ食いするのは、成人した男だからだ。
 けどまあ、神ってのは気まぐれに芸術品をつくる。
 ガキは美少年だった。折り紙付きといっていい。
 まじりっ気のないブロンドが、ひたいの生え際と襟足でくるくるしてる。
 肌は桃のように繊細で、髪との対比が文句なしに完璧だ。
 狼の目(アンバー色のひとみ)をした神父が手を出したくなるのもわかる。
 わかるけど、取引先がパクられるのはいただけない。

「あー、錯覚じゃなければ、そいつは子どもに見えるのですが」

 何か飲まされたのか、よっぽどよかったのか、歌う天使はぐうぐう寝てる。
 神父はというと、着衣にも表情にも乱れがない。
 端整な顔立ちが冷静に告げる。

「きみが想像するようなことはないよ」

 あっても言わないよな。まずは商売。
 神父の未来もガキの心の傷も、おれには関係ない。

「いつから読心術ができるように? 何も思ってませんよ」

「話が早いのはきみの美点だね。では応接室に」

 神父はガキに布団をかけてやり、扉をそっとしめた。




 おれは紅茶を念入りにチェックした。
 無味無臭のクスリは少なくないからな。

「仕事上の仲間に変なことはしないよ」

 笑いながらカップを持つ神父を、ちらと見て言う。

「いたいけな少年は、どうして熟睡してたんです?」

「悩みを打ち明けたからかな。眠れないので発声に支障をきたすと告白されたんだ」

 なるほど。弱ったガキの相談に乗ったってか。
 眠ってしまえばどこをどう鑑賞しようが、それこそ神のみぞ知る、だ。
 神父のカップが、きびしい音をたてて置かれた。

「陰惨な悪夢に苦しめられている。生き別れた兄が撃たれて死ぬ夢だそうだ」

 キリスト像の御前で歌うからって、テレビも映画も見ないわけじゃない。
 人が撃たれるのは衝撃的で、印象に残りやすいものだ。
 とにかく刺激のあるものを目にすると、夢に出てきたりするだろ?

 で、生き別れの兄貴とやらが危ない夢に出演する。
 夢とうつつがごっちゃになるなんて、大人でもよくあることだ。

 おれは頭の後ろで手を組み、笑顔のない神父を見やった。

「物騒ですけど、子どもの夢でしょう。歌でのスランプかもしれませんよ?」

 神父はため息をつき、脚を組んで首をかしげた。
 ビジネスの話を始める合図だ。おれは身を乗り出す。

「街を牛耳るやくざ連中の、跡目争いはご存知で?」

 神父が静かにうなずく。
 ここは町外れだけど、繁華街と断絶されてるわけじゃない。
 糞溜めみたいな街には、統率という身勝手な仕切りをするやつらが必ずいる。
 おれが話す『街』にもそいつらはいて、シノギだ何だと騒いでやがる。
 世襲にこだわらない組織だから、直系じゃなくてもかまわない。

 神父は男狩りの場でもある街を憂うのか、渋い顔で紅茶をすすった。

「ふたりいるらしいね、幹部候補が」

「ですね。頭が切れるのがひとり、キレやすいのがひとり」

 稼ぎも子飼いの数も甲乙つけがたいとなりゃ、やることはひとつ。

「ここはあらゆるものを調達するでしょ。重火器含めた武器も」

「抗争に使う品の依頼は受けないよ」

「そんなことはわかってる。どっちに売っても報復だ」

 神父にしたって、武器を売った側に味方したと思われるのは承知だ。
 危険かどうかはおいといて、得にならないことはしない。

 おれは言葉を切り、タバコを出そうとした。
 神父が禁煙と書かれた張り紙を指す。おれは素直にタバコをしまった。

「頭のネジが足りなくても、神父を殺すバカはいない。ここに頼む物好きはいないよ」

 ホモでも神に仕える者だ。面倒を好む変わり者はいない。

「では、きみが売りたい情報とは?」

 おれは一度、神父の真似をして脚を組んだ。
 カーテンが引かれて扉もとじてると確認して、一枚の写真をテーブルに置く。

 神父は眉をよせ、慎重に写真を取りあげる。

「──これはだれだ」

 滅多に聞かない、真剣な声だった。

「歌うたいのジョーっていう、殺し屋だよ」

 好みか? と言える雰囲気じゃない。
 何なんだよ、この、氷山のてっぺんに瞬間移動したような冷たさは。

 神父が写真をおれの前に差し出し、ジョーの首に指を置いた。

「この写真では見えないが、うなじにほくろがないか。利き手は?」

「ほくろなら、たしかにあるな。利き手は左」

 ジョーと数か月一緒にいた女から仕入れた情報だ。間違いない。
 もっとも女はジョーの標的で、いまは墓の下だけど。

「ジョーが狙うのは組織の次期幹部候補のどちらかだね?」

「ああ。でも、どっちかは死んでも言えない」

 よそ者の殺し屋が来るから武器の売買には気をつけろ。

 それがこの教会用の情報だ。これ以上は情報の二重売りになる。
 神父もそこは心得てるんだろう、余計な質問はしなかった。
 かわりに、言わなくていいことを漏らした。

「ジョーの髪はあの子と同じ色で、あの子も左利きだ」

 金髪や左利きは、けっこういるもんですよ。
 それ以前にあの子ってのは、不眠症のガキのことですかね。

 神父が写真から目を離した。一介の情報屋を狼のひとみが見据える。

「ジョーはおそらく、あの子の兄だよ」




 その日の夜、おれは十回くらい寝返りを打った。




 実の兄が死ぬ悪夢にうなされ、聖歌隊のボーイソプラノが眠れなくなった。
 天使の歌声に悪影響を及ぼしたので、神父は話を聞いてやった。
 ありのままを話したからか、ガキは神父のベッドで爆睡した。

『あの子が五歳になる前に、ジョーは家出したそうだ』

『車の窃盗でね。それまでにも悪行はあったそうだけど』

『告白した際にジョーの写真を見せてくれた。きみのより若くても同じ男だよ』

『あの子は兄を覚えている。うなじにあるほくろや、利き手を』

『正夢と神。私が信じるのは後者だけれど、きょうはほら、こういう日だから』

 神父がそう言って見たカレンダーは、十二月六日を示してた。
 聖ニコラウスの祝日だと思い至り、おれは唾を吐きたい気分になった。
 サンタクロースの起源とされる司教だか、守護聖人だかの日だ。

『神父さん。それはつまり、神が予知夢をみさせたと?』

 おれの質問は無視された。そうするしかないよな。わかってる。
 サンタクロースのプレゼントか、奇跡か、どっちでもいい。

 やくざの頭部に照準を定める殺し屋を、どうやってとめる?
 万一とめられたとして、おれも神父も、二度と朝日を拝めない。
 血で血を洗うマフィアの喧嘩に茶々なんて入れたら、拷問と死のコンボだ。
 殺し屋の犯行を阻止しても、おれたちのひたいに風穴があく。

 神父は紅茶を飲みほして、こうも言った。

『ほくろ、負ぶわれたときに見たんだって』

 寂しかったり、思いどおりにならなかったり、病気だったり。
 そういったことで、ガキは簡単にぐずる。
 おおかた、ジョーが弟をあやしたんだろう。
 抱っこして、おんぶして、「ほーら、坊や、よしよし」。

 ガキは自然と兄貴のうなじを見る。
 いつも同じところにほくろがあって、安心して泣きやむ。

 やさしい兄が、車泥棒から人殺しに成り果てるとも知らずに。


                                        12月7日につづく