Cufflinks
第一話・焔 第五章・3
何かがうなっている。
春樹はカウチソファをまさぐり、元凶を片手でつかもうとした。
(あ……れ……?)
振動しているものに指先が触れるのだが、つかむことができない。力が入らないのだ。うなり続けるものが携帯電話だとわかっているのに、体が鉛のように重かった。
そうこうしているうちに電話機が静かになった。やっとの思いで携帯電話を開き、不在着信を見る。
「公衆電話……」
コウシュウデンワ、と独白を繰り返し、端麗な青年を思い起こした。
(矢田さん)
ローテーブルには空のコップがあり、ラグマットと床には精神安定剤のシートが落ちていた。窓から入る淡い月光が、それらを浮かび上がらせている。
春樹は拳で頭を殴り、記憶を再生させた。
ホテルから徒歩で帰宅した。蝉時雨もおとなしくなったと思いながら、人波を縫って進んだ。
自宅マンションに着いて寝室に入り、処方薬の袋を出した。
眠ってしまえばあの感触を忘れられると思った。涙を拭う、高岡の指のあたたかさを。
春樹の脳裏で、街を徘徊する矢田のシルエットが遠ざかった。
翌日の夕方、春樹は新田が通う予備校を振り仰いでいた。
ひとりで部屋にいたくなくて、午前中から塾を始めとして歩きまわり、最後にこの近くの駅で降りた。予備校のビルは自社ビルなのか、テナントの看板は一切見えない。約束なく訪れた春樹の前に大きなビルが立ちはだかる。
隣のコンビニから出てくる人が続々と予備校に入っていく。駆け込む人もいた。
コンビニをのぞいてみた。雑誌コーナーの向こうに新田が見えた。背格好が似た人と楽しそうにしゃべっている。
扉が開き、新田といた人が予備校に向かう。新田はコンビニ前の駐車場で腕時計を見た。
蝉が短く鳴いて街路樹から飛び立つ。時計から目を離した新田と春樹の目が合った。
「春樹! びっくりした。塾の帰りか?」
「う、うん」
「メールくれれば待ち合わせたのに。何か飲もう」
「いいの? 今の人、走ってったよ。行かないと遅れるんじゃ」
何のことかわからないといった顔をした新田が、ああ、と微笑む。
「あいつとは講座が違う。俺は七時まで空白時間」
新田は春樹の肩に手をかけ、最寄り駅のほうを見やった。
「喉がからからなんだ。このあいだの店でよかったら、入らないか」
昼に蓄熱した舗道から熱気が上がる。春樹が汗を拭うと、新田が屈託なく笑った。白い歯が眩しい。
「とにかく行こう。お前も何か飲んだほうがいい」
駅構内にあるカフェは今日も盛況だった。
新田にすすめられ、春樹もホットドッグを食べた。マスタード抜きで注文してくれた新田と横並びで座る。
「後見人とは話してるか?」
「え?」
新田がアイスコーヒーを飲みほし、水のコップを取る。
「法律上の保護者なんだろう? 積極的に話すようにしたほうがいいと思う」
刑事が訪ねてきた際、未成年後見人がいることを新田に伝えていた。新田が思慮深い目で春樹を見る。
「二学期にはクラス編成のテストがある。お前も将来のこと」
言葉を切り、首を後ろにねじ曲げた。
「ごめん。着信みたいだ」
新田は尻ポケットから携帯電話を出し、電話機を手で覆って話し始めた。
聞くとはなしにしていた春樹に新田の声が届いた。
「母さん落ち着いて。まだ家なんだよね? 病院じゃなくて、家だよね」
ただならない雰囲気に春樹も身を乗り出す。
慌ただしい会話を終え、新田が電話機を閉じた。心なしか顔色が悪い。
「どうしたの? 何かあったの?」
新田は慌てた様子で椅子から下りた。頬とあごをさすり、引き結んでいた唇を開く。
「妹が────交通事故に遭った」
< 第五章・4へ続く >
【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第五章・4のupまでお待ち下さい。
桃色ハートシーンでぶった切る予定が、あらっ! てところで切れました(汗)
いよいよ最終章に突入です。完結までお付き合いいただければ幸せ…v
どうかよろしくお願いいたします!
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