Cufflinks
第一話・焔 第五章・3
鏡台の椅子に春樹のシャツと上着が掛かっている。高岡のジャケットはカーペットに落ちていた。
もつれるようにベッドに倒れ、互いの服を脱がせながら肌の温度を知る。調教師の高岡とは絶対にしないことだ。
ごく普通の愛撫が距離を感じさせた。この男はプライベートでこうしているのだと思い知らされる。
「ん、う……」
高岡の指がスラックスのなかに入る。際どいところの輪郭を確かめられ、否応なしに息があがる。
「っは……た、高岡……さ……」
耳の下を吸われた。血管が息づいているからなのか、口と口とのキスとは違う快感が広がっていく。血流を速めさせ皮膚をざわつかせる、焔を招く刺激だった。
美しい男が体を引く。ベッドから下りて漆黒の前髪をかき上げた。
「体が熱くなってきているが、本当に水は要らないのだな」
最後のチャンスというやつなのだろう。答えは決まっていた。
「いらないです」
「相変わらず強情だな。では裸になり、本当に特別な客が好む体位をとれ」
本当に特別な客とは塔崎のことだ。仕事、卒業試験という言葉を反芻する。
春樹は息を整えながらスラックスを脱いだ。靴下と下着も脱ぎ、一糸まとわぬ姿になる。サイドテーブルにローションのボトルが置かれた。ラベルも形状も、塔崎が愛用するものと同じだった。
純白のシーツの上で四つ這いになる。高岡がベッドに乗る気配がした。
男らしい手が容器を取る。蓋が開けられ、塔崎が愛用するローションと同じ香りがした。
「……!」
冷たい感触がして声をあげかけた。ベッドの左にある鏡が膝立ちの高岡を映している。春樹の尻にローションを垂らし、コンドームをした指で溝をなぞる。指にローションが足され、静かに入ってきた。
「う……っ、あ……!」
浅いところにある弱点が押される。熱いような冷たいような痺れが広がり、灼熱した鎖が足先から巻きついた。
穴の入り口は緊張と弛緩を繰り返し、異物でしかない指を咬んで離さず、奥へと誘う。
「あ……あ……ひ……」
呼吸が喉を焼く。背骨を焔が走っていく。塔崎では味わえない前戯が頭の芯をとろけさせる。
邪念が────浅ましいもうひとりの自分が高笑いした。
やっぱり体はこいつがいいよな。楽しもうぜ。
得体の知れない声に支配されるのは嫌だ。シーツに爪を立てたと同時に、待ち望んでいたものがあてがわれた。
「ああっ! ひっ、あ……ッ!」
剛直が入る痛みを焔の渦がさらった。雄を呑む穴が、こいつを待っていたのだとうねり出す。忘れようとした自分をあざ笑いたくなるほど、体が高岡の形を覚えていた。
要所を知る男と熱波に翻弄され、頭を打ち振る。熱い手で脇腹を持たれた。ベッドに顔を埋めようとしたらしい。
「姿勢を正せ。お前が選んだことだ」
ごうごうと巻き上がる炎に負けて何も見えない。耳鳴りもひどく、かすれる悲鳴が遠くなる。
「何を言っても忘れてやる。俺の名を呼んでもいい。呼吸をとめるな」
振り向こうとした春樹がのけぞる。まだ限界は遠いはずなのに、まぶたの裏に溶鉱炉と同じ色の火花が散る。
他人の下生えが臀部に触れた。猛猛しいものがすべて埋められたのだ。春樹はかすむ目を開き、三面鏡を見た。
「るし……て……」
腰を動かしかけた高岡がとまる。
「今だけ……今だけ好きと……言っても……許して……」
体を支える高岡の手が離れようとした。春樹は夢中でその手を握る。
「今だけの夢にして……お願い────」
鏡を通して、漁り火を宿した目が春樹を見ていた。共に焔に巻かれるためだろう、全身が汗に濡れている。
「……いいだろう」
砲身が後ろへ引かれる。少しの隙も与えないタイミングでふたたび入り、春樹の弱点を攻め立てた。
「好き……! 高岡さ……すき……!」
愛してる以外の言葉を連ねた。息をとめないから意識は保たれるものの、熱の鎖は容赦なく体を縛る。
後ろにいる男は同じ体温になっているだろうか。苦しむようなら逃がさなくてはならない。
春樹が高岡の手を放そうとした。しかし高岡はそれを許さず、指を絡めるようにして手をつなぐ。
驚いてかぶりを振る春樹が口を大きく開ける。息もつけないくらいの激しさで突かれた。
「い────あ…………!」
乱暴にも思える動きが溶鉱炉の縁をのぞかせた。山吹色の光は春樹の内に棲むものだ。
高岡がこの淵の理解者であっても、落としていいはずがない。
「……好きにな……て、ごめ……」
つないでいる手に力をこめる。一瞬握り返されたように思ったが、快楽の奔流でわけがわからなくなる。
「謝られる理由は……ない」
尻をつかまれて深く入られる。鎌首の鋭さが弱いところをえぐった。
「高岡さ……! いくっ! いくうっ! ああああッ!」
背を反らせて痙攣した直後、熱い戒めが解かれた。忌まわしい熱の鎖が小片にちぎれる。
「いく……いく……い……く…………」
射精を続ける春樹の体は不規則にうごめいた。反っていた背中が丸まり、手の甲や腿に筋が浮く。
いく、と、うわ言のように繰り返す。腕に力を入れていることができず、シーツの波にのまれた。脚の付け根に高岡の指が食い込み、知っている猛りが終息した。
くずおれた春樹にベッドカバーがかけられる。高岡は春樹に目もくれずに身支度を始めた。
起きなくては。手のかかる男娼では失望させる。
春樹は気力を振り絞って肘をつき、高岡を目で追った。洗面所から出てきた高岡が札入れを開く。
男娼の目の前で、一万円札がばらばらと散った。
「俺が街で男を買うときの相場だ。色を付けて五万。床にも落ちたから忘れず拾え」
サイドテーブルの下に、新札ではない紙幣が一枚落ちていた。
「もうすぐ……契約……終わりなんです……よね」
「そうだ」
体を起こそうとすればするほど、三つ揃えを着た男が細かく揺れた。無表情の高岡が手を差し伸べてくる。
頬を伝う涙を高岡が拭った。五万円を投げてよこした指が無用の優しさをみせる。
「それなら……優しくしないでください……」
遠くから救急車のサイレンが聞こえた。きっかけを欲していたのか、高岡がすっと離れる。
「これは優しさではない」
そう言うと、スーツの前を閉じた。
「商品の目を腫れさせないためだ」
調教師の顔に戻った男は、一度も振り返ることなく去っていった。
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