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第一話・焔 第五章・3
その週の土曜、自宅マンションに私服刑事が訪ねてきた。
ふたり組で、ひとりは長内(おさない)、もうひとりは服部(はっとり)と名乗った。ふたりともスーツを着ており、小谷とは違う警察署から来たと言った。
刑事たちが座るカウチソファに陽がさんさんと降り注ぐ。彼らの前にあるアイスコーヒーのグラスが汗をかいていた。
「冷たいうちにどうぞ」
よく冷えたコーヒーをすすめた男を、春樹が横目で見る。
五十代前半のこの男は橘(きったか)という。父が勤める社にはいくつかグループ企業があり、ほとんどが世に知られている。橘は、そのなかの一企業の役員を務めていた。
橘とは初対面ではない。春樹が中学生だったころ、進路指導時に父か後見人の同席を求められた。その際、後見人として来た人物が橘だった。あのときはただ、会社の人間としか聞かされていなかった。
今回、社は春樹が警察から事情を訊かれると知り、橘を立ち会わせることにしたのだ。
父が来るとは思っていない。妾腹の春樹を捨てた男に保護者の義務を求めるのは酷というものだろう。
春樹の心にさざなみが立ったのは、社に連絡をしたのが高岡だと聞かされた瞬間だった。自宅電話の受話器を握り、静かに目を閉じることしかできなかった。
商品の私的なトラブルは調教師の能力とは無関係なのだと、社もわかっていると思う。思うが、社に頭を下げる高岡を想像すると、例の黒いモヤが広がる。
「────き、春樹」
長内がリビングのラグマットで正座する春樹を見ていた。服部は小型の大学ノートを開いてボールペンをノックする。春樹を呼んだのは橘だった。
「お前にお話があるそうだ。ここに掛けなさい」
橘はそう言い、立方体のソファを指した。カウチソファのセットで、背もたれがない。同じソファはふたつあり、橘は窓側に置いたものに腰を下ろしていた。春樹は刑事たちに会釈しながら、ぎくしゃくと座る。
「長くはかからないから、楽にしてくださいね」
髪に白いものがまじる服部が、目尻にたくさんのしわを作った。片や長内刑事は訝しげに橘を見る。
「その前に……橘さん、あなたは」
橘は膝に両手を置き、えびすのように細めた目を長内に向けた。
「私は春樹の未成年後見人です。春樹の父は家庭を持っておりますので」
ノートにペンを走らせる服部が上目遣いに橘を見た。橘がふたたびアイスコーヒーをすすめても、一礼するだけで手をつけようとしない。長内もコップに手を伸ばすことなく、春樹と橘を交互に見る。眼差しがどことなく厳しい。
つまり春樹は愛人の子だと言ってのける橘を、悪を許さない人種としては快く思わないのだろう。長内が橘から目を離さずに続ける。
「春樹くんのお父さんは春樹くんを認知されていないのですか?」
「ええ」
「失礼ですが、あなたは後見人として決められた報告はなさっていますか?」
「もちろんです」
長内が春樹を一瞥した。ちらりという言葉がこれほど当てはまる視線もないというくらい、軽い視線だった。
「春樹くんはひとり暮らしだそうですね」
「はい。安全は考慮しておりますよ。この子の父も、私も」
「そうでしょうね。ただ、ここは都心が近い。誘惑も多いでしょう」
担任も口にした、当然の疑問がぶつけられる。橘はえびすの笑顔で切り返した。
「近いからと、街を遊び場にする子ではありません」
長内刑事と後見人との応酬が続いた。家庭裁判所、監護義務など、堅い言葉が交わされる。自分の人生に関係する会話を、薄紙を隔てる気分で数分間は聞いただろうか。
ローテーブルに西の写真が置かれる。テレビニュースで見たものと同じ写真だ。長内が写真を示す。
「春樹くん。この人物を見たことがありますか?」
春樹は遠慮がちにうなずいた。
「あります」
「いつ、どこで見ましたか?」
西勝成の写真に目をやったまま、聞き返されない程度におとなしい声で答える。
「五月二十四日……新宿で」
「新宿のどこ? きみは誰かと一緒だった?」
春樹は橘を見た。後見人の目は細くなっているだけで、笑っていない。上手く続けろと言っていた。
「ホテルの前です。ホテルの名前は忘れてしまいました。学校の先輩と一緒でした」
「先輩の学年と名前を教えてくれないかな」
「二年生の、新田修一さんです」
「どうして先輩とホテルに行ったの?」
「特に目的はないんです。たまには新宿を歩こうかって、色んなところを冷やかして……ゲームセンターで遊んだあと、話しながら歩いていたら……ホテル街に迷い込んでしまいました」
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