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第一話・焔 第五章・2
翌日の十時近く、東京近県にある新田の祖父の家に着いた。雲ひとつない天気だ。
「駅からちょっと離れてるから、疲れただろ」
新田が引き戸を開ける。乾いた音をたてて開いたので、口に手を当ててしまった。周囲に畑しかないとはいえ不用心ではないだろうか。
「鍵、かけないの?」
「昔の人間だから。このへん、危なくないしな」
靴を脱ぎ、歩くとギィと鳴る廊下を進んだ。突き当たりの左からかすかな物音がする。プラスチックのタイルが敷かれた昔ふうの台所で、老女が漬け物を切っているようだった。短くしてあるすだれをくぐり、新田が声をかける。
「ばあちゃん。遊びにきたよ」
シンクの前にいた老女が振り返った。目のあたりが新田に似ている。
「あれ修一、駅に着いたら電話せんけぇ」
「丹羽くんと歩きたかったんだ。丹羽春樹くん。学校の後輩だよ」
春樹がおじぎをすると新田の祖母も深々と頭を下げる。挨拶が終わり、新田がシンクに向かう。くっついて歩こうとする春樹を笑顔で制し、手を洗って盆にコップを並べた。
「冷たいお茶ある? じいちゃんは?」
新田の話し声が大きい。祖母は耳が遠いようだ。春樹の言葉は伝わっただろうか。首の後ろが熱くなってくる。
漬け物と冷えた麦茶、爪楊枝を乗せた盆を持って新田が廊下に出る。春樹は手持ちぶさたで新田に続いた。
居間の座卓は大きかった。天然木を加工したもので、畳敷きの和室によく合っている。
祖母が持ってきたスイカが座卓に置かれた。
「ほら、じいちゃんだ」
新田の視線の先に小柄な老人がいた。居間は庭に面している。雨戸とガラス戸、障子が開け放されており、縁側では蚊取り線香が焚かれていた。草むしりでもしていたのか、祖父のズボンには土や草がついている。祖父は服の汚れを払って軍手をポケットに入れ、にこにこと笑った。
「じいちゃん。こちら、丹羽春樹くん。学校の後輩で、仲良くしてもらってる」
「僕のほうこそお世話になっています。先輩は何でもできるから」
仲良く、のひと言で、一気に汗をかいた。新田が小皿に乗った三角形のスイカを祖父の前に置く。縁側に腰を下ろした祖父がスイカをかじると、春樹にも皿が手渡された。
新田は祖父と祖母に学校生活を話して聞かせた。孫の報告を楽しむ祖父母という絵は、春樹にとってテレビか映画のなかにしかないものだ。新田が誘導してくれることもあり、春樹も園芸クラブの活動などを話す。
縁側の向こうに広がる庭がすがすがしい。高岡の別邸のような、職人の手を必要とする日本庭園ではない。民家の、ありふれた庭だ。庭木や草花が生き生きしている。新田の自宅と同じ花木もあった。
よく手入れされているのに、人に見せつけるようなところが一切ない。
「いいお庭ですね。植物が全部、生きてるって感じがします」
春樹が身を乗り出し、祖父に言った。世辞ではない。家屋と調和のとれた清楚な庭に引き出された言葉だ。祖父よりも新田の顔がほころんだ。
「庭いじりが趣味なんだ。俺もじいちゃんに似たのかな」
そういえば祖父は園芸クラブの話になるとよく笑った。来客である春樹に合わせてくれたのだと思ったけれど、植物の話そのものが好きなのだろう。
「じいちゃん、熱中症に気をつけないとだめだよ」
新田が祖父に言い、祖父はわかっている、とうなずく。手ぬぐいで顔や首を拭き、春樹にも一礼して言った。
「修一を、よろしくお願いします」
春樹と新田が顔を見合わせる。ほとんど同時に頬が染まり、ふたりともスイカにかぶりついた。
昼食の用意が整うまで外で過ごそうと新田が言い、靴を持って勝手口にまわった。勝手口から敷地の外に出ると緩やかな傾斜がある。土の私道をコンクリートで固めたもので、灰白色で粗いコンクリートの縁まで草が生い茂っていた。
視界が突然開けた。
斜面の始まりから一、二分ほど歩いた地点に、一面の花畑がある。
「きれい……!」
春樹は感嘆の声をあげ、駆け足で花畑に入った。
花も葉も、地面を埋めつくす草も、夏の陽の下できらめいていた。青々とした葉が色とりどりの花を縁取り、時おり吹く風にそよぐ。寝転がったら最高だ。
早く新田に来てほしい。誰より優しい声で、花の名前を教えてほしい。
「ねえ! しゅ────」
こらえきれずに寝そべった春樹は、私道でしゃがむ新田を見た。新田の向こうに近所の主婦らしき人と、小さな男の子が見える。新田は摘んだ花を束にしたものを、主婦に渡した。「ぼくもー!」と言う子どもにも数本の花を渡す。
主婦が頭を下げ、男の子は元気よく手を振って歩いていく。
手をつないだ親子が見えなくなるのを待つように、新田がゆっくり花畑に入ってきた。
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