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第一話・焔 第五章・2
「近所の人? いつも花を分けてあげるの? ここ、お祖父さんの土地?」
うなずかなくても、実直な目がそうだと言っていた。
「少し離れたところに野菜の畑もあるから、親父や俺が時々来て手伝うんだ」
新田は以前にも、父親の実家に行くと言っていたことがある。春樹が初めて客についた日だ。実家とはつまり祖父の家で、おそらく畑仕事を手伝ったのだろう。
春樹の隣に新田が座る。同じ目線になってほしくて、新田のTシャツを引いてみる。新田は微笑みながら寝転んだ。
「ここ……もしかして、修一が僕に見せたいって言ってたとこ?」
新田がうなずく。大きな手が春樹の片手を握った。
「好きな人ができたら、連れて来ようと決めてた」
つないでいないほうの手が春樹の髪を撫でる。少し荒れた指が頬に触れる。首すじまで愛撫して、また髪に戻る。
肘をついた新田が、日焼けした顔を春樹の髪にうずめた。
目を閉じて少しして、唇が重なる。いつまた花を分けてくれと人が来るかもしれない。
だが、もう離れることはできなかった。
「修一……」
スイカの味が消えていく。新田の味を直接感じた。いつしか春樹は仰向きになっていた。肩と腰を抱えられ、合わさる口の角度が変化する。
「んっ……あ」
しっとりした唇が触れ、互いの舌を恥じらいながら求め合う。新田の舌の厚み、健康だとわかる歯列、熱い吐息……。
どれひとつとって嫌なものはない。体のずっと奥は高岡のような男を求めたとしても、心は違う。絶対に違う。
無意識のうちにふたりとも小さな声を出していた。穏やかでも、確実に高まっていく。新田の汗が顔や手に触れることすら、甘い刺激になった。
「だめ。も……っ、ん……」
新田が口づけをやめようとしない。新田の胸を押そうとした春樹の手も、Tシャツが貼りつく背中にまわり、大きな筋肉を確かめるようにまさぐってしまう。
風でしなる草が体のあちこちをくすぐる。陽射しが耐え難くなったころ、小さな音をたててキスが終わった。
「来てくれてありがとう、春樹」
仰向けになった新田がまぶたを閉じた。春樹は手をかざして空を見る。
花の名を訊きそびれた。セミの声が降りそそぎ、白い雲に花の残像が重なる。不思議な絵画のようだった。
「連れてきてくれて、ありがとう」
大きな雲がのんびりと流れる。ふたりの上を、綿菓子みたいな影が通っていった。
自宅マンションの玄関ドアが閉まらないうちに、春樹は新田に抱きついた。
「キス……キスして……!」
「鍵かけなくて、い──」
新田の言葉をさえぎって唇を奪う。むさぼるようなキスをしながら靴を脱ぎ捨てた。春樹のショルダーバッグが靴の上に落ちる。新田は自分のバッグを廊下に落とし、春樹の肩をつかんで軽く押す。
「ちょっと待ってくれ。鍵をかけないと。誰にも邪魔されたくない」
「この扉もオートロックだから大丈夫。好き……修一」
春樹は熱にうかされたようになっていた。焔が忍び寄ってきているのか、昼間、長く外にいたからなのか、わからなくなってくる。祖父の家で昼食を食べるあいだも帰りの電車のなかでも、新田が欲しくてたまらなかった。
「はる、き……う……!」
新田の背を廊下の壁に押しつけてキスをする。口腔の粘膜で感じる気持ちよさが下に移動していく。息継ぎの瞬間、二の腕を強くつかまれた。新田の目には困惑の色が見てとれた。
「できれば、寝室に行きたいんだけど」
「そ、そうだよね。ごめん……!」
性急に求めすぎたと、春樹は両手で顔を覆う。手を取り合って寝室に向かい、ふたりしてベッドの端に腰を下ろした。
窓を閉めきってある室内はエアコンもつけていない。快適とはいえない部屋で、つないだ手の熱が冷めそうにない。新田が春樹の手の甲に唇を押し当てる。
「小さいころ植物学者になりたかったと言ったこと、覚えてるか?」
「うん。前の部屋に泊まってくれた日だよね」
竹下が作った煮込みハンバーグをふたりで食べた夜だ。カスミソウの種類と群生した姿、新田が子どもだったころの夢を聞いた。植物学者になりたいという昔の夢を語る初めての相手が、春樹であるとも言ってくれたのだ。
「植物学者になりたいのは、今もじゃないの?」
答えを得るには十秒近い間を要した。新田の目が徐々に光を帯び、希望に燃えるものになった。
「そうだ……今も……今もなりたい」
突然、唇を求められた。キスはほんの少しで終わり、抱きしめられる。
春樹の耳に触れた新田の頬が心配になるほど熱い。
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