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第一話・焔 第五章・2


「これでよし、と」
 春樹は引き出しの鍵をかけ、椅子に座った。六畳間の窓から外を見る。
 五日分の給料は現金でもらった。新田に何を贈ろうか、考えながら雑貨屋や書店などを見てまわった。
 結局何も思いつかず、一銭も減っていない給料を学習机の引き出しに入れたのだ。
 花を買って礼を言った、少し低い声が耳から離れない。
 雨のなか、高岡はどんな目をして墓を見るのだろう。花は慰めになっただろうか。
 不意の振動でぎくりとする。携帯電話が新田からの着信を告げていた。
 通話ボタンを押したとき、無意識に目をつぶっていた。
「アルバイト終わったか?」
「う、うん」
「どうした春樹、元気ないな。疲れたのか」
 妙にゆっくり動く心臓を、服の上から押さえる。
「疲れたっていうより、気が抜けちゃって」
 電話機の向こうからたくさんの足音がした。電車の発着を知らせるアナウンスも聞こえる。
「どこにいるの? 駅?」
「ああ。塾のそばの。悪い、こっちからかけたのに、切らないと。明日の夜かける」
 電話が切れる音がむなしい。申し訳なさでいっぱいになった。
 アルバイトという共通の体験を、分かち合いたそうな声だったのに。
(あんなに誠実な人はいない。大切にしないと)
 自宅電話の音に、椅子から転げ落ちそうになった。駆け寄ってディスプレイを見る。
 表示されていたのは『会社携帯』だった。
「……はい」
「春樹くん? 明日の午後、空いてるかな」
 先週とは打って変わっていた。からっと軽い、いつもの稲見だ。
「ちょっと無理してでも空けてくれないかな。塔崎様の接待をしてほしいんだよ」
 めまいがする。ひたいに手を当て、可能なかぎり低い声で応戦した。
「今、夏休みですよね」
 すこぶる元気な笑い声のあとに、稲見節でかわされた。
「学校は休みでも世間は動いているんだよ。明日の午後、いつものホテルで。僕が迎えにいくからね。あ、花屋の仕事お疲れさま。今日は早く寝なさい」
 受話器を置いて苦笑いしてしまった。見事な変わりようだ。どん底にいるような稲見よりは、ましだけれど。
 折よく仕出し弁当が届けられた。ローテーブルで弁当を広げてテレビをつける。
 箸を割ったとき、肘が当たってテレビのリモコンが落ちた。

「今朝……区の河川敷で発見された男性」 「今夜のロードショーは」

 地方ニュースから洋画の紹介に切り替わった。
 ニュース映像に見覚えのある男が映ったような気もしたが、春樹の関心は映画に向けられた。
 だし巻き玉子をほお張って、華麗なアクションに見入る。
 記憶に薄い男の顔も、うら寂しい河川敷も、不必要な情報として消えていった。


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