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第一話・焔 第五章・2


 アルバイト最終日にして、ようやく人並みの速さでレジを打つことができた。
 店員にならっておじぎをする。顔を上げると、店長と目が合った。
「慣れてきたのにね。寂しくなるわ」
「ほんと。丹羽くんがいると思うと、出勤が楽しくて」
「来年も来てほしいなあ。今度は二週間くらい?」
 店長を皮切りに、女性店員が次々に話しかけてくれる。
 春樹が働く花屋は、商業ビルの一階に入る小さなテナントだ。店員が全員若い。
 高い花が並ぶガラスケースはなく、季節の安価な花が前面を占めていた。そこから二、三種類を組んで、五百円から千円程度にまとめた花束がよく売れる。
 素人目に見ても忙しい店で、春樹の仕事は補佐的なことに終始した。たまにレジを触らせてもらえても、混んできたら交替させられる。「はい」「申し訳ありません」「気をつけます」ばかりだ。
 それでも花に囲まれ、人の笑顔があった。落とされた茎や葉、梱包資材の片づけも、花の名前を頭に叩き込むのも、掃除するのも、立っているのもしゃがむのも、すべてが苦にならない。
 店長が奥から大きな花束を持ってくる。近所の得意先に届けるようだ。
 豪華な花束に見とれてしまい、客に気づくのが遅れた。店員に遅れて礼をする。
(……え。この香り)
 オー何とかを愛用する調教師がいた。夏の午後二時を回ったというのに、スーツでしっかりきめている。
「いらっしゃい……ませ」
 慣れてきたはずの言葉が喉につかえる。何とか言い、店員の陰に隠れるようにして立った。
「墓参の花をお願いします」
 こそこそする春樹とは対照的に、美貌に見惚れないところがプロなのだろう。店員はにこやかに笑い、差し障りのない会話を交わしながらキクを抜いていく。リンドウに触れたとき、高岡の少し低い声がした。
「大変不躾なのですが、そちらの方に選んでもらえないでしょうか」
 店員と春樹が顔を見合わせる。そちらの方とは、春樹のことだ。
 高岡には学校からの手紙を読んで聞かせていた。この店の場所も隠さず伝えた。
 だからといって、突然来ることもないだろう。こっちは会わないようにしているのに。少しは考えてほしい。
「かしこまりました。丹羽くん、お願いね」
 店先で花を補充していた主任が言い、花を戻した店員は別の客についた。
 春樹は大げさにならないように深呼吸し、高岡に向きなおった。
「どなたのお墓参りですか?」
「知人です。若くして亡くなり、身寄りがありません」
 一度は店員が戻したキクに触れようとした春樹が、息をのんだ。

 『躾けた人に死なれてるんですよ、彰さん』

 成瀬が言っていた。客に本気になった一途な子で、身寄りのない子だと。
 高岡は今でも墓参りに行っているのではと────そう言っていた。
 義理堅い調教師の視線を追う。抑えた色調の花ではなく、朱も鮮やかなグラジオラスを見ていた。
「その人……その方は、華やかな方ですか……?」
 切れ長の目がこちらを見た。やわらかく微笑み、「ええ」と言う。
 自殺した商品の墓参りかはわからないし、誰の墓なのかも関係ない。
 墓で高岡を待つ人がいて、高岡はここに花を買いにきた。それなら、精いっぱいの花を持たせよう。
 洋ランを中心にトルコキキョウ、グラジオラス、多めのキクを用いた、一対の花束が紙袋に入れられる。春樹がしたことは花選びのみで、アレンジと包装は主任がしてくれた。仏花としては派手だと思うが、主任は選びなおさなかった。
 会計をして紙袋を渡したとき、高岡の指が触れた。春樹は赤くなる顔を見られないよう、直角に体を折った。
 主任の謝辞が聞こえない。つり銭も受け取ったはずなのに、高岡がまだ立っている。
「ひとつ訊いてもいいでしょうか」
 灰色の瞳は春樹を見ていた。教育の一環とはいえ、仕事だ。逃げることはできない。
「はい」
「花を選んだ理由があれば、教えてほしいのですが」
 答えられる内容でよかった。ほっと息をつきそうになる。
「若くて華やかな方が喜ばれる花、ということと、守る意味からです」
「守る……?」
 はい、と言いながら店先のキクに触れる。
「キクの香りは邪気を払うと言われています。仏様を守ってくれる花なんです」
 アルバイトの初日は祝日で客が多かった。邪魔になるためだろう、その日は一日、店の奥で花の名前や用途などを教わった。キクがもつ力も、そのときに聞きかじったことだ。
 高岡は春樹が触れたキクを抜き取り、香りを嗅いだ。目を伏せて春樹に返す。
「ありがとう」
「え……」
 店の表を飾る花々を見た高岡が、唇の端を上げた。
「あなたに選んでもらってよかった」
 いつからあったのか黒い雲が広がり、一帯を暗くした。長身がビルの陰に消える。ほどなくして雨が降り出した。
 墓参に合う、こぬか雨だった。


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