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第一話・焔 第五章・1


 塔崎は車を呼ばなかった。帰路を春樹に選ばせ、自分は春樹のいるところでタクシーに乗った。尾行などしないということだろう。塔崎なりの誠意の表れだ。
 土曜の午後で人が多い。日傘や急ぎ足の人々を避けるうちに、ショーウインドウの前に出ていた。
 地下鉄駅の出入り口近くにある百貨店の外壁を、魅力的な商品が飾っている。
 女性の片手に乗りそうなサイズのバッグや、洗練されたデザインの靴が目にも眩しい。
 週明けからアルバイトが始まる。後先なしに応募したものの、給料の使い道を考えていなかった。
(修一に何か贈ろう、かな)
 まっとうな手段で得た金で恋人への贈り物を買う。
 健康的かつ建設的な考えは、忘れかけていたあたたかみをよみがえらせた。新田の利発な目を見るたびに抱いた、胸に灯りがともるような感覚だ。
 ウインドウの商品は高級なものばかりで現実味がない。リアルでない分、恋の浮揚感が大きくなっていく。
 ふわふわした足どりで百貨店の角を曲がる。表通りに面した外壁でないためか、ディスプレイ用のウインドウがない。
 近くにある別の百貨店に行こうとしたとき、強い香りとすれ違った。
「高岡……さん……?」
 オー何とかにしては刺のある香りの正体は、高岡と腕を組んでいる女性だった。
 切れ上がっている目尻が女性にしてはきつい印象を与える。ゆるく結い上げられた黒髪はカラスの濡羽色だ。
 白い肌に真紅の口紅が映えた。三十歳前後だろうか。薄い布地のワンピースが体の線に沿っており、ところどころに口紅と同じ色が入っている。隣にいる男の名を呼んだ春樹について、何も訊こうとしない。
 高岡も春樹を見た瞬間は驚いた顔をしたが、一秒もかからず関心を示さなくなった。
 無表情な高岡のあごに女性の指がかかる。誘われるにまかせたように、高岡が目を伏せた。
 ふたりは気軽で日常的なキスをした。
 高岡はともかく、女性も道行く人の視線を気にしていないようだ。妖艶な目配せをすることもなく、高岡を残して颯爽と歩いていく。
 事務的な声が残り香を裂いた。
「塔崎様とお会いしたのか」
「は……いえ……違い…………ます」
 調教師は腰に手を当て、苛立ちを隠さずに往来を見る。
 消えてしまいたかった。誰と会っていたか悟られないようにするという、商品の務めが果たせない。
 キスする大人の男女を見て動けなくなり、自分の不出来さを突きつけられてしょげかえる。
 些細なことで内へ内へと向いてしまう弱さが嫌だ。高岡と遭遇して頭が真っ白になるのは、もっと嫌だった。
「来い。立ち話では人目に付く」
 公共の場で口づけする男が何を言う。などと思ってみても、従うほかはなかった。








 キザな外車は百貨店の契約駐車場に停められていた。車内にエアコンの冷風が満ちていく。
 春樹はアイスミルクティーを飲み、ルームミラーを見た。車に乗ってから何度見ているかわからない。
 サングラスをした高岡は外を眺めるだけで、話らしい話をしなかった。
「あの……」
 飲みかけの缶を膝に置き、当然の疑問を投げかけてみる。
「さっきの人、いいんですか」
「彼女は同業者だ。緊縛の技術では、この界隈で右に出る者がない」
 目もとのきつさはサディストだったためか。ひとつ納得すると次の疑問が出てくる。
「でも、いいんですか? 一緒に仕事だったんじゃ」
 喫煙したいのか高岡が窓を下げる。予想に反し、ライターも煙草も出されなかった。
「買い物の同伴を頼まれた。仕事の予定に言及される覚えはない」
 少々改まったスーツを着ている高岡に不機嫌さはない。女性とキスしたときも、別段名残惜しそうではなかった。
 目的のわからない時間が愚考を入道雲みたいに膨れさせる。
 高岡もいい年齢なのだし、社会的な礎を築く必要があるのではないだろうか。結婚話のひとつやふたつ、ないほうが不自然だ。
 発車しないためシートベルトをすることもない。うっとうしく感じるベルトがないのも、こんなときは不思議と頼りない。
 アイスミルクティーも飲み干してしまった。左に座る男を、ミラーを通さずに見る。
 来いと言った割に大した話をしない。喫煙もしない。
 淡い色のサングラスが隠す目は、誰を追っているのだろう。
「あの人……好きな人じゃ……ないの……?」
 何を言った、と思う前に、高岡がサングラスを外していた。鋭すぎる眼光に射貫かれる。
「ごめんなさい……! お似合い、だったから。ふたりとも、おとっ、大人だし」
 空の缶が足もとに落ちる。缶を拾おうとしたとき、バッグのなかで携帯電話が震えた。
「す、すみませんっ!」
 素っ頓狂な声を出して着信相手を確かめる。画面をスクロールしていたのは『会社携帯』だった。
「かい、会社から! 稲見さんからです。どうしよう……! 一緒にいるって知られたら」
「言わなければ知られない。早く出ろ」
 思考の歯車がずれて、自分でも何を言っているのかわからない。とにかく通話ボタンを押す。
 と同時に、稲見の叫ぶような声がした。
「はっ、春樹くん!! 怒らないから教えてくれ! 喫茶室で会った子と、何を話した?!」
 高岡にも聞こえたようだ。電話機をビリビリさせるほどの声なので無理もない。
 喫茶室で会った子とは、退院しても社を通した仕事ができないでいた男娼のことだろう。
 返答につまる春樹をよそに、高岡がダッシュボードからメモ用紙を出す。
 何とかつながなくてはならないと判断し、しどろもどろで答えた。
「な、何って言われても、これといって……どうかしたんですか? あの人」
 破られた紙が見せられる。癖のない字で『スピーカーに切り替えろ』とあった。
 指示どおりにすると、稲見の割れた声が響いた。

「全身打撲で発見された! 意識がない! おれがバカだった。あのとき話を聞いていれば、こんなことには……!!」

 稲見が自分のことを「おれ」と言うのも、これほど取り乱すのも初めてだ。息を殺して高岡を見る。
 話が見えないためだろう、高岡の顔には不審しかない。

 おれのせいだという繰り言が、携帯電話から幾度となく聞こえた。


<  第五章・2へ続く  >


【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第五章・2のupまでお待ち下さい。
軽いとはいっても男女のキスシーンがあってごめんなさい!
いつも書いてから謝る私…(汗)
次回はかなりバタバタすると思います。で、次々回が少し静か…かも?
今回、迷いに迷ってエピソードを1つ入れず、次回にまわしました。
ラストまで情報量多めになりそうです。お許しを…!


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