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第一話・焔 第五章・1


「ウブなお嬢ちゃんかと思ったら、これはこれは」
 管井が芝居がかった調子で言った。不鮮明な画像が入った電話機を閉じ、親しげな笑顔を向けてくる。
「バカじゃ学年一位とはつき合えないか。それか、本気だってことだよな。新田と」
 返答はしなかった。管井の頭は空っぽではない。春樹の真意くらいわかるだろう。もとより本気でないならここに来るはずがない。
 高岡の双眸が頭をかすめる。かぶりを振りそうになり、管井がいぶかる目をした。が、すぐに笑みが戻る。
「話が早いのは助かる。あと十分もすりゃ予鈴が鳴るしな」
 今日は夏休み目前の短縮授業日だ。普段より長めの休み時間も半分以上が過ぎていた。
 ダン! という音と振動がした。
 管井が木製のベンチにまたがるように座りなおしていた。姿勢を変える際、自分の股の前に両手を突いたのだ。
 相手のリズムを読み、自分のものにする。
 人心を掌握する素質をかいま見せた管井が、完璧な笑顔をかたむけた。
「お掃除大好きの新田から、何を聞いてる?」
「ここに出入りする生徒が喫煙しているようだ、と」
 新田が言っていた『素行のよくない連中』は言わずにおいた。
「そうか。で? 新田はあの缶、どうした?」
 やはり知っていたのだ。更衣室の外に忘れた缶を新田が片づけたことを。
「持って帰りました。学校に知られないように」
 小柄な生徒が得意の口笛を吹いた。春樹の肘に触れた生徒と笑っている。
 管井はふたりを冷めた目で見て、言った。
「優等生は違うな。俺たちをかばってくれるのか」
「そんなんじゃないと思います。新田先輩は面倒なこと、嫌うところがあるから」
 指導を回避するために片づけたとは言わなかった。余計な情報を与えて揶揄されたくない。
 春樹は何と言われてもいい。新田にだけは、間抜けな男娼といても太陽が似合う存在でいてほしかった。
「清掃活動はしても注進はしない……ね」
 ゆらりと立ち上がった管井が携帯電話を開く。
「知られて困るのはお互い様だ。教師が見回りするようになったら、用具倉庫で愛を深めるのも難しくなる」
 先ほどの映像が再生されて一時停止する。画面上でメニューが表示され、『削除』が青く反転した。
「これを消したら──俺たちの悪い癖、忘れてくれるよな?」
「忘れます」
 管井が微笑み、春樹をかき抱く新田の映像が消去された。コピーされていたら、とは最初から考えていない。
 流出して新田の将来に影が落ちるようなことになれば、一生をかけて償うしかないのだから。
 小柄な生徒が表の様子をうかがう。春樹の肘に触れた生徒は窓を閉めている。
 春樹はふたりに気取られないようにして、管井の目を見た。自分の口の前で人差し指を立てる。
 ジェスチャーで外に出たいと訴えると、管井が唇の端を上げた。
「お姫様を送ってく」
 言いながら外に出る管井に、小柄な生徒が一瞥をくれた。窓を閉める生徒は、こちらを見もしないで手を振るだけだ。こそこそ喫煙するだけの、もろいつながりなのかもしれない。木陰を選んで歩く管井が春樹を振り返る。
「さっきの動画、買うとかならナシだ。これでも美意識はある。複製もないし、ばらまく気もない」
 さばさばした物言いが板に付いている。ちっぽけな美意識でも本物なのだろう。
「わかってます。ひとつだけ訊きたいことがあるんです」
 周囲に人影がないのを確かめて、小声で訊いた。
「新田先輩の自転車に触りましたか? チェーンに細工したり……しませんでしたか」
 管井は目をつり上げ、木の幹に片手をついた。葉が何枚も落ちる。
「し、て、な、い」
 低く、区切った声が怒りを表していた。春樹は深々と頭を下げる。
「ごめんなさい。失礼なこと言って」
 幹から管井の手が離れる。両手をポケットに入れ、笑いをこらえるような顔でこちらを見た。
「こんなカタチで呼び出されて失礼か。変わってるな、お前」
「それとこれとは別ですから」
 吹き出しそうになった管井が前髪をかき上げた。春樹の胃に新しい痛みが走る。
 自転車のチェーンを切ったのは管井たちではない。ほかの誰が否定しても、春樹は自分の直感を信じた。
 管井たちではないなら、粥川しかいない。
 軍鶏の目をした男が新田に危害を加えようとした。頬にはえくぼがあったに違いない。
(でも、どうして……? リスクが大きすぎる)
 春樹は胃の底から突き上げる痛みをこらえ、鳥肌が立っている腕をさすった。


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