Cufflinks
第一話・焔 第五章・1
校内から出ると一気に汗が噴き出してくる。セミの声で耳が痛い。
虫の警鐘を浴びながら、立ち入り禁止になっている更衣室の前に立つ。
暗い室内から影が出てきた。煉瓦の赤茶色を背にする生徒は、一見まじめそうに見えた。
髪は染めていない。校則で決められた長さで、制服も着崩していない。暑いからとシャツをズボンの外に出す森本のほうがはるかにラフだ。
森本と違う点は目と耳だった。人を不安にさせる目をしている。光ではなく、底に強い熱があるのだ。耳には左右違う数の穴があった。ピアスのための穴だろう。
突っ立っている春樹に、熱のある目を細めた生徒が話しかけた。
「暑いだろ。入れよ」
春樹の肘に触れた人の声ではない。ということは、こいつがリーダーなのだろうか。
「ここではいけませんか? 暑いのは平気です」
喧嘩などになれば春樹に勝ち目はない。敵のテリトリーに入ることは避けたかった。
「女みたいな顔でも気が強いんだな。でも、まあ」
生徒の手がズボンのポケットに入る。携帯電話を出し、ひらひらと振ってみせる。
「誰のために来たのか、考えたほうがいいと思うけどな」
携帯電話が何を意味しているのか予想はつく。
入れと示す生徒に続き、春樹も更衣室に足を踏み入れた。
更衣室は意外と快適だった。
出入り口と対角線を結ぶところに窓がある。開いた窓と出入り口の間を風が通るためか、蒸し暑くない。立ち入り禁止にするほど老朽化したようにも思えなかった。
退路を断たれるという予想は外れた。見える範囲にいる生徒は三人。出入り口の扉がないにもかかわらず、春樹の背後に誰も立とうとしない。抵抗しないだろうという自信が透けて見える。
中央に置かれた背もたれのないベンチに小柄な生徒がいた。あぐらを組み、春樹を見て口笛を吹く。
「ホントに来るとはなあ。よっぽど新田が好きなんだ」
この声も初めて聞く。
ピアスの穴がある生徒が脱衣棚にもたれた。一度はズボンにしまった携帯電話を出し、微笑んでくる。眼底に熱を宿す眼差しが春樹の苛立ちを誘う。相手の出方に合わせるつもりだったが、言葉を押しとどめておけなかった。
「手短にしてもらえませんか」
また口笛だ。小柄な生徒ではなく、窓の近くにいる生徒だった。窓から離れてにやりと笑う。
「気の短いお姫様だ」
春樹の肘に触ったのはこいつだ。この声に間違いない。触れたときと同じ無遠慮な手が伸びてくる。
二の腕をつかまれてベンチに座らされそうになり、本能が腰を引かせた。
「乱暴するな。主義じゃない」
人を不安にさせる目をした生徒が仲間を制した。春樹に座るよう促すと、片手で携帯電話を開く。
「名乗らないのも無礼だな。俺は管井(すがい)。新田と同じクラスでね」
国公立大学も狙う特進クラスにも、色々な生徒がいるものだ。名乗れば無礼でなくなるという考えが幼い。
小柄な生徒が立ち上がる。そのあとに管井が座り、携帯電話の映像が春樹の目の前で再生された。
思っていたとおりの映像だった。用具倉庫でふたりの男子生徒が抱擁している。
抱きしめられている生徒が嫌がっているように見えるのも、春樹が当事者だからにすぎない。
盗撮映像は暗かった。暗さが全体を曖昧にして、新田と春樹の顔をわからなくさせている。加工を施せばクリアになるのかもしれないが、角度が悪いためふたりの顔は判然としないままだろう。
笑ってしまいそうになり、唇を引き結んだ。
脇から覗き込んでいた小柄な生徒が「うわ、泣きそう」などと言っている。春樹が悔しがっていると受け取ったらしい。
「いや。こいつは泣いたりしない」
管井が映像を停止する。春樹と管井の視線が真っ向からぶつかる。
眼底で揺らぐ熱が増していた。
「お前、笑おうとしたろ」
答えない春樹を見据えた管井が、春樹の頬を手の甲で張ろうとした。
「殴りたかったら殴ればいい。薄っぺらい主義だと仲間に知られるだけだ」
管井の手がとまる。
「へ……え。粋がるんだな。この映像、ばらまかれてもいいってことか?」
「するならとっくにしてるでしょう。違いますか」
噂の火元は精密でなくてもいい。だから加工の必要もない。校名と『園芸クラブのふたり』『N田とN羽』とでも題してインターネットに乗せれば済む話だ。センセーショナルなニュースが欲しいなら、撮った当日にそうしているだろう。
こいつらの目的は単純明快。喫煙の事実を知っているか確認し、知っていれば口封じをするつもりなのだ。男子校における禁断の画像を材料にして。
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