Cufflinks
第一話・焔 第五章・1
「それで? お前は新田に何と言った」
カウチソファで脚を組む高岡が、ダイニングの椅子に座る春樹を見る。一階で見たときと同じ、墨より黒い三つ揃えを着ていた。ソファの背には不織布がかけられたジャケットが置いてある。
高岡は部屋に入るとまず、学校からの手紙を音読するよう命令した。手紙にはアルバイトの申請が通ったことと、働き先の店名や場所、労働条件などが書かれていた。保護者向けの文言を機械的に読む声を、高岡は急かせることなく聞いていた。手紙の読み上げが終わると、何があったのかと再度訊かれた。
借り物のジャケットにキスしそうになったと言えるはずがない。冬に留学を控えている新田の夏は短くなりそうだが、一日だけ新田のために空けてくれと言われたことを伝えた。
新田への返答を問われた春樹は、消えてしまいそうな声で答えた。
「何も言えませんでした……」
「俺にばかげた電話をする暇があったのにか」
「……はい」
高岡はこめかみを押さえている。頭痛を我慢しているようだ。
「ひとつ訊く。お前は誰と生きたい」
息をつめて高岡を見た。灰色の瞳に射貫かれるのは怖くない。答えがふたつあることが体を強張らせた。
「しゅ、修一と」
「それならもっと大切にしろ。塔崎様の援助を受けても心は手放すな。愛人は伴侶ではない」
「わかり……ました……」
春樹の倍以上生きている調教師は、商品を悩ませる元凶が愛人話にあると思っている。
今ここで、高岡を見つめて胸を開いたらどうなるだろう。
抱いてくれと懇願したら、溶鉱炉に落としてくれるだろうか。
ダイニングテーブルに液体が落ちる。いい香りがしたので顔を上げると、ため息をつきそうな顔の高岡がいた。
「泣くな。いい加減に割り切ることを覚えろ」
おかしなことを言う。カーチェイスまがいの運転で疲れて、幻覚を見ているのかもしれない。
「泣いてません」
「こんなことで意地を張るな。ほかに努力すべきことがあるだろう」
慣れ親しんだ指が頬に触れた。涙を拭きとる仕草で撫でていく。
(泣いていた……?)
須堂の社用車で同じことを経験していた。新田が逃げた夜の記憶が鮮明になる。
高岡の名が出たとたん、須堂の隣で落涙した。自分の涙に気づかないでいた春樹は、高岡に惚れたのかという須堂の言葉を否定した。
否定できないところまできてしまった。恋人はひとりだと主張する理性を、高岡が吹き飛ばした。
仔犬を世話する手をつかむ。高岡の手を離さずに椅子から立ち、背伸びする。
目を開けたままの高岡に口づけした。
「もう来ないでください」
今度は自分でもわかるほどに涙があふれた。手を離して床に正座し、肘のあたりで目を覆った。
「心の片方を引くのは高岡さんです。塔崎様じゃない。だからもう、来ないで」
オー何とかが離れない。高岡はしゃがんで目線を合わせようとした。サディストのくせになっていない。襟をつかんで引っ張り上げればいいものを、自分から下りてきてしまう。
「契約を終了してください。このままでは修一を見失う」
「仕事とプライベートは分けろ。泣いて済ませるな。言ったはずだ。この世界は甘くない、血反吐を吐く努力が要ると」
目の奥で神経が切れそうになった。T大に受かってもわからないのか。
こんな簡単なことが。
「仕事じゃない……! これは、こんなの、あなたは」
恋なのだと、どうして気づかない。愛だの恋だの言う立場で、何故こうも肝心なところで鈍いのだ。
「こんがらがっているなら解いてやる。話せていないことがあるなら言え」
高岡の右手をとり、春樹がつけた傷痕に唇を寄せた。
反射的に髪がつかまれる。右手から顔を引き剥がされるのは容易かった。
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